第2話 社員を募集
背の高い木々に囲まれたその建物は、まるで、森の中に巨大な白い船が浮かんでいるように見えた。
正面には植物のレリーフが施された重厚な鉄の扉があり、その扉を囲む部分だけがガラス張りで覆われている。
扉の横には『KOZUE LABORATORY inc.』と彫られた金属の看板が掲げられている。
「こんなところに会社が……?」
僕が呟くと、彼女は「綺麗でしょー」と振り返り釣鐘のように張り出したノブに手をかけ扉を開けた。
彼女は微笑みながら手を振る。
「さ、どうぞ入って入って」
そう言って、建物の中へとどんどん進んでいった。
一瞬迷ったものの、急かされるように僕は中へ足を踏み入れた。
建物の中は、白い壁に反射した柔らかな光で満たされ、森の木陰にいるような少しひんやりとした空気が漂っていた。
高い吹き抜けの天井からは、明るい日差しがまるで無数の糸のように線を描きながら降り注ぎ、静けさの中に神秘的な雰囲気を作り出している。
突然、後ろで「グワン」という重い音がして振り返ると、鉄の扉が閉まっていた。
押してみたが、びくともしない。
——閉じ込められた?
背筋がぞわりと寒くなる。
前を向くと、彼女の姿が消えていた。
代わりに、白い壁の一部が静かに閉まりかけている。
慌ててノブを掴み、隙間から身を滑り込ませると、そこは四面が白一色で囲まれた広い通路だった。
突き当たりには、大きな木の幹が見える。
——外に続いているのかな?
誘われるようにその木の方へと歩いていくと、そこはガラスで仕切られた中庭のようだった。
ガラスの向こうには、小さな公園が入りそうな広さがあり、中央にはまるで神話に出てきそうな巨大な木がそびえ立っていた。
吹き抜けからは日光が降り注ぎ、巨木を照らしている。
幹は重なり合ったように分厚く、脇には小さな小屋も見えた。
樹皮には、よく見ると細かな模様のようなひび割れが走っていて、ところどころで苔が薄く生えている。
枝葉は天を覆うように広がり、光が差し込むたびに緑色の輝きが揺れる。
まるで、木の根元からは薄く光が立ち昇るように見え、それが大樹をまるで神聖な存在のように感じさせていた。
——なんだ、この木は。
目を逸らすことができずに見惚れていると、後ろから声がした。
「おーい、こっちだよ!」
驚いて振り返ると、白い壁の一部がドアのように開き、隙間から彼女が半身を覗かせて立っていた。
「ごめんね、迷わせちゃった? さ、こっちこっち!」
彼女は手招きして、僕を部屋に招き入れる。
ドアをくぐると、そこは一見、普通の事務所のようだった。
昔ながらのスチールの机が四つずつ並んで、二つの島を作っている。窓際には大きな机が配置され、それなりに広い事務所。そんな印象だ。
ただ、どこか不自然だ。
時計は掛かっているが、針は動いていない。
机の上には何も置いてなくて、部屋の隅には観葉植物が置かれているが、その植物は見たことのない形をしている。
「こっちだよー!」
彼女の声に促され、事務所の一角にあるパーテーションで区切られたスペースに向かう。
そこには、薄いグレーの二人掛けソファが二つ、ガラスのテーブルを挟むように置かれていた。
「そこに座ってー」
彼女は僕にソファを勧め、ふと気づいたように「あ!お茶、出すねー」と言ってその場を離れていった。
——完全に流されてるな、僕。
遠慮がちにソファに腰掛け、カバンを足元に置く。
ソファの生地は柔らかな起毛が施されていて、意外に手触りは滑らかだ。ただ、座り心地はやや硬めだった。
「お待たせー」
背後から軽やかな声がして振り返ると、彼女がトレーを持って現れた。
「はい、どうぞ」
彼女は僕の前にカップを置くと、対面に座った。
そしてカップを手に取って一口飲み、「ふー、落ち着く」と満足そうに息を吐き、ソファに深く体を預けた。
彼女の様子を見ながら、ようやく僕は尋ねた。
「あの、ここって一体どんな場所なんでしょうか?」
「え。会社ですけど」
「会社って……」
返答に詰まる僕に、彼女は笑顔を浮かべ言った。
「そっか、名前を言ってなかったね。私は梢ひとみです。この会社の社長してます。よろしくね!」
そして、にっこり微笑みながら、大きな瞳でじっと僕を見つめてくる。
微妙な間。
——これって、僕の名乗り待ちだよね……。
なんか名前言うのやだな―、と思いつつ答える。
「森川裕一といいます。ちなみに、今年で27歳になります」
僕が名乗ると、彼女は満足そうにウンウンと頷きながら、またジッとこちらを見つめてくる。
再び、微妙な間。
「えーと、実は、今、仕事を探しているんです」
「失業中ね」
「…ハイ。失業中です。ちなみに前職は文具関係の営業をしていました」
「へー、そうなんだー」
彼女は大きく頷き、また僕を見つめてくる。
彼女の眼圧がスゴイ。
——だから、なに?
会社に入れてください、とでも言えばいいの?
でも、勝手にここに連れてきたのは彼女だ。
僕が望んで来たわけじゃない。
「で…、この状況は、どうなってるんですか?」
僕の質問に、彼女——いや、梢社長は少し驚いた様子で眉を上げた。
「状況って? 君は失業中。私は社員を募集中。だから、今、面接をしています。以上です」
屈託なく、まるで当然のように答える彼女。
そしてにっこり微笑む。
「あの、まだ僕は‥‥‥」
「はいはい。この会社はねー、いろいろやってます」
「いろいろ?」
「はい。いろいろ」
「具体的には?」
「……園芸当番? とか?」
そんな給食係みたいな言い方‥‥‥しかも疑問形?
「そうねー」と、彼女は腕組みをして目を閉じ考え込んでしまった。
僕はいたたまれずに、尋ねる。
「あのー、他に社員の方は?」
「今は、いないよ」
「いない?」
「うん、今は私一人。……かな?」
——だから、なぜ、疑問形?
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