第19話 大樹のへや
会社に戻ってからも、サブリナの笑いは止まらず、結局、荷物はすべて僕が運び込む羽目になった。
その後も「ルーターはそっち! ハブはこっち! これとこれを配線して!」と、サブリナの矢継ぎ早の指示に従って、僕はデスクの下に潜ったり床を這ったり、忙しく動き回った。
ひと通りパソコンの設置が終わったところで、社長の声がかかった。
「お茶入れたよー! そろそろお昼にしよっか」
梢社長がデスクの上に、もらったサンドイッチを並べてくれている。
時計を見ると、とっくに13時を回っていた。
「ギャホー! 食べる! 食べる!」
ノートPCにしがみ付いていたサブリナが、奇声を上げて立ち上がった。
「サブちゃん、これコンピューターだよね? これでゲームできる?」
完全に遊ぶ気満々の社長である。
「もちろんできるよー! 何やりたい?」
「異世界に行って冒険するやつとかー!」
——あなたにとっては、異世界じゃない気がする…。
「あとねー、銃をバンバンぶっ放すやつかなー!」
「オーケー、滾るやつをブクマしとくよー!」
——僕の中のエルフ像、返してほしい…。
「あれだけ警戒してたのに、ネット環境入れちゃっていいんですか?」
僕が尋ねると、サブリナはニヤリと笑った。
「そこはそこ、持ち込みのノートなら大丈夫。全部対策済み〜。とはいえ、変なエロサイトとかは見るなよー。ログ、筒抜けだからなー」
サンドイッチを両手に持ってウヒヒと笑うサブリナ。
「それと、際どい内容の記録とか通信も禁止。それさえ守ればOK!」
そう言いつつ、両手の持ったサンドイッチを左右交互にかぶりつく彼女。
——この人、PC触ってるときもそうだけど、集中力スゲーな。
「それにさ、ここの一番大事な“心臓”はデータでもサーバーでもないだろー」
大事な心臓?
「ほら、あの樹。だろ?」
サブリナが梢社長に視線で問い掛ける。
「まあ、そうですね‥‥‥」
梢社長はにっこりと微笑み、うなずいた。。
「ところでー、さっきの奴って昨日言ってた電話の人だろー」
「そうそう、それ! 私も聞きたかったんですよー」
サブリナと梢社長が揃って僕を見る。
「本人曰く、大学時代のゼミ仲間だそうです」
「ってことは、友達のフリして近づいてきたってこと?」
「まあ、そうですね……」
僕は肩をすくめ、ため息をつく。
「友達のいないモリッチの弱点を突くとは……敵ながらやるよなー!」
サブリナがウケケと笑いながら言う。
「でも、まだそんな奴いるんだねー」
「そんな奴って?」
「ここを狙ってる奴らだよ」
「ここって……会社のこと?」
「会社っていうか、あの大樹の力、だねー」
サブリナはお茶を一口飲みながら、さらりと言った。
「いずれにせよ、PCの管理とかはモリッチが面倒見なよ。ヒトミッチじゃ全然無理だし、他の人にも任せられないでしょ」
そう言いながら、サブリナは俺の肩をポンポンと叩いた。
「本当、森川くんが入社してくれて助かるわー。車も運転できるし、コンピューターも使えるし」
——どうせ、ゲームが目的なんでしょ!
「それなー、友達少ないのもメリットだよなー」
サブリナのディスリが相変わらずしつこい。
「ちなみに、ほかの社員の方って何人いるんですか?」
「そうねー、登記上は私と森川君以外に三人だよ」
「三人…人間ですか?」
「戸籍上は人間。でも、ホントはあっちの人間だけどね」
「なるほど……」
いやいや、“なるほど”じゃない。ここ数日で常識がどんどん崩れてきてる。
「そろそろ顔合わせもしなきゃね。サブちゃん、いつまでいるの?」
「うーん、しばらくいるつもりー。シオッチも『いつまでも居なー』って言ってくれたし、なんか波乱の予感がして面白そーだし?」
——波乱の予感って、普通の会社でそんなことある?
「助かるよー! じゃあ、しばらく出勤ねー」と手を叩き喜ぶ梢社長に、「交通費、出してねー」とサブリナが軽く答える。
——って、チャリ通のくせに!
「わかったー、ガンちゃんに言っとくー」
社長、また丸投げ……!
ひと通りサンドイッチを食べ終えると、梢社長がナプキンで手を拭きつつ「さて!」と僕に言った。
「森川くん、大樹に会いたいでしょ?」
「はい。ぜひ、見せてもらいたいです」
「あー! ヒトミッチ、私も見たい見たいっ!」
テンション高く騒ぐサブリナ。
「じゃあ、みんなで行こー!」
拳を突き上げる社長。僕たちは席を立ち、大樹のある部屋へと向かった。
▽▽▽
円状に広がるスペース。
その広さは見た目以上で、中央には巨大な大樹が悠然と立っていた。
周囲はガラスで覆われているはずなのに、なぜか頬にそよ風が当たる。
どこから吹いてくるのかはわからないが、その風はひどく心地よい。
足元はふかふかの芝生で覆われており、ところどころには膝丈ほどの草花が群生している。まるで異世界に迷い込んだかのような光景だ。
葉の隙間から差し込む日差しが、地面に光の模様を描く。
風にそよぐ葉の音が、ささやくように響く。
ここに立つだけで、心がふわりと軽くなる。
体が空中に浮き上がりそうな、不思議な心地よさ。
さっきまで騒がしかったサブリナも、大樹を目の前にして言葉を失い、ただ茫然と見上げていた。
そして、一言、ぽつりと漏らす。
「すごい…」
その声に呼応するように、僕の口からも自然に言葉がこぼれた。
「本当に…すごいです」
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