第188話 そして世界は絶望する
「嘘だろ……」
濁った赤い矢が、森川の胸を深々と貫き、その体を大樹の根元に縫い付けていた。
矢が貫く傷の周りには、まるで血管のような赤黒い筋が伸び、生き物のように森川の体へと侵食している。
それは、大樹と彼の身体がゆっくりと融合しているようにも見えた。
薄く開いたまぶた——その瞳は虚ろで、もう何も映してはいない。
ツバサが泣きじゃくりながら、森川にしがみつき、必死にその体を揺らしているが、反応は返ってこない。
「森川! 何やってんだ、早く起きろよ! まだ終わってないんだぞ!」
オフィーリアの叫びが、ただ虚しく夜の闇に吸い込まれていく。
気づけば、先ほどまで暴れていた木々のうねりも、嘘のように静まり返っていた。
やがて、ひとり……またひとりと森川のもとへ集い、皆、ただ立ち尽くした。
誰もがその光景に、息を呑んだ。
ドン殿下はツバサの肩にそっと手を置き、森川の首元へ指を当てた。
小さく息をのみ、皆を見渡す。そして——静かに、首を振った。
「そんな……」
梢社長が口元を両手で覆い、その場に崩れ落ちる。
大樹卿、ルオ、サブリナ、詩織、岩田……そして神戸たち継案局のメンバーも、誰ひとり声を発することなく、ただそこに横たわる森川を茫然と見つめていた。
「——ハ、ハハ……」
膝をついたオフィーリアが、肩を震わせながら笑い出す。
「またドジしやがって。お前はほんっと、弱いんだからさ……。なあ、セーシア……早くコイツを治してやってくれよ」
梢は両手で顔を覆い、何度も何度も首を振る。
オフィーリアは縋るように、今度は大樹卿を見つめる。
「大樹卿様……どうすればいいんですか? こいつ……」
「人間はの……普通は、死んだらもう戻ってこんのじゃ」
「そんなの知ってますよ! でも、こいつは"大樹の守護者"でしょ!? だったら戻ってくるに決まってるじゃないですか!」
オフィーリアは叫んだ。
だが大樹卿は、うつむいたまま何も答えず、ただ首を振るだけだ。
そして今度は、大樹に向かって叫んだ。
「大樹よ……聞こえてるんだろ? 頼む……どうしたらいい……? お願いだ、こいつを目覚めさせてくれ……!」
その叫びは木霊となって駆け巡り、やがて闇に吸い込まれるように消えていく――。
それでも、大樹から返る言葉はなかった。
ツバサは手を、森川の胸にそっと添える。
そこに残るかすかな温もりを感じ——再び声を上げて泣き崩れた。
煌々と照らす照明が、この絶望的な光景を容赦なく浮かび上がらせていた。
——そのとき。
パッ、パッ、パッ……!
森を照らしていたライトが、いきなり点滅し、そして――全てが消えた。
突然の闇。
異変に気づいた神戸が、眉をひそめて周囲を見渡す。
すると、黒服の継案局隊員が駆け寄り、小声で何かを耳打ちした。
「……なんだと……?」
神戸が呟き、大樹卿が怪訝な顔で問いかける。
「どうしたんじゃ?」
「……国内すべての電力供給がカットされました。つまり――」
一拍の間をおいて、神戸が言った。
「日本中が停電です」
ザワ……その一言で皆が動揺する。
サブリナが即座に反応し、ヘッドギアを下げながら叫ぶ。
「ヤバ男! ダムのバックアップ回線に切り替えるにはどうする?」
彼女の声に、ヤバ男が無言で頷き、二人は装置を抱え、乗ってきたヘリのほうへ駆けていった。
新たな危機に皆が不安そうに立ち尽くすままだ。
しかし、神戸は府と首をかしげる。
「……でも、おかしいだろ?」
神戸が苛立ったように言う。
「ここのライトはバッテリー式のはずだ。それすら点かないなんて、おかしいだろ」
近くにいた隊員が、首を振った。
「原因は不明です。バッテリーは生きているはずなんですが……まったく反応しません」
「そんな馬鹿な……!」
神戸が言葉を失ったそのとき、サブリナが息を切らせて戻ってきた。手元の端末を見つつ、顔を上げる。
「点かないよ。たぶん、ただの停電じゃない」
目元の涙をそっとぬぐいながら、彼女はまっすぐ前を向いて言った。
「EMP——電磁パルスだと思う。しかも、かなり強力なやつ。ただ、それだけじゃない。同時に、全端末に強制シャットダウン命令が撃ち込まれてる」
「シャットダウン命令? 外部から?」
「違う。外部じゃない。端末の内部に直接アクセスして、『自分で止まれ』って命令されてるの。だからバッテリーが残ってても、起動できない」
そう言いながら、彼女は神戸に端末のモニターを突き出した。
「……いや、それだけじゃない気がするのー」
黙っていた大樹卿が低い声で唸る。
「この一帯の“地脈”……まるで、隔離結界にでも包まれておるようじゃ。
この世界の“科学”とやらはよく知らんが、空間そのものが干渉されておる」
「まさか、そんな魔法じみた……」
神戸が呆然とつぶやく。
「不思議はなかろうて。その"ユグドラシルAI"とかいうやつ、大樹を乗っ取ったんじゃろ? 地脈に干渉するくらい、やつらにとってはちょちょいのちょいじゃ」
「そ、そんなの……!」
神戸が絶句する。
その隣で、サブリナが静かに言った。
「……信じたくないけど、これはもう"現実改変"に近い。もしAIがやったのなら……やつら、もうただのプログラムじゃないよ」
サブリナは、大樹を見上げながら、ぽつりと呟いた。
「やつら、本当の意味で“神”になったのかもね……」