第184話 ジャミング・ディストーション
何匹目だ……? あと、何匹いるんだよ……。
斬っても斬っても終わらない。
一匹一匹が信じられないほど素早く、鋭い牙で四肢を食い破ろうとしてくる。
しかも連携が異常だ――まるで一つの巨大な生物みたいに、息ぴったりで襲ってくる。
汗が目に滲み、剣を握る手はじっとりと湿っていた。
鉄錆のような血の匂いが、空気を重たく染めている。
「みんな無事かっ!?」
叫んだ瞬間、木陰から急降下してきたチビドラが、僕の頬を爪で引き裂いた。
「うぎゃあっ!」
熱い痛みが走る。血が頬を伝った。
「ちょ、森川くん!? 耳元で叫ばないでよー! ビビるでしょ!」
背中合わせで魔弾を放ちながら、梢社長が振り返る。
「社長、さっきみたいなドカーンとしたの、もう一発お願いしますっ!」
「そんな余裕あるならとっくにやってるっての! ……詰んだわ~、完全に詰みましたわ~。魔力、ゼロなんですわ~」
そのとき、ツバサさんの叫び声がどこかで聞こえた。痛みを含んだ、切迫した声だった。
――くそっ、助けたいのに……!
視線を巡らせても、見えるのは崩れた瓦礫とチビドラの影ばかり。
小さいくせに、一匹一匹が本気で僕たちを殺しにかかってくる。
牙も爪も、想像以上に鋭い。
「誰かっ……無事なら返事してくれ――っ!」
返事はない。代わりに聞こえるのは、チビドラたちの不気味な鳴き声。
キイィィ……キイィィ……。
まるで僕たちを嘲笑うような音。
どこかで誰かの悲鳴。爆音。破裂音。
それらが、ぐちゃぐちゃに混ざりあって――まるで、悪夢みたいだった。
このまま――やられるのか? こんな“ちっこい奴ら”に?
何も、通じない。
武器も、魔法も、叫びも、誰にも届かない。
……どうすれば――
そのときだった。
――ゴォォォォ……!
空気を震わせる、重低音。
プロペラの音が頭上に広がる、空を見上げると――黒い影。
「……ヘリ?」
あれは、俺たちをここに運んできた輸送ヘリだ。
「えっ見て見て、あれ遊覧したやつじゃん! キレイだったな〜、また乗りたいな〜」
トロンとした目で見上げる梢社長―完全に、現実逃避している。
「今そんな場合じゃないでしょ!?」
「……あっ、窓から誰か手ぇ振ってる! うらやましっ」
「って、え!? サブリナ!?」
窓越しにサブリナが必死にジェスチャーしているが、爆音にかき消されてよく聞こえない。
その隣に白衣の男が、拡声器を構えていた。
……あいつ、ファントム0.7の施設にいた変態科学者……ヤバ男だ!
『現場の皆さーん、聞こえてる〜? 今から《ジャミング・ディストーションver.女神の旋律》起動しまーす♡ 敵の通信をぶった切る超音波でぇす♪』
「うわぁ……ネーミングセンスがヤバい……。何あの人」
梢社長が呆れたようにぼそりと呟いた。
――マッドサイエンティスとのヤバ男です。
梢社長のため息混じりのツッコミと同時に、ヘリの下部が青白く点滅した。
――バチィィィン!
雷のような閃光とともに、空気そのものが軋むような衝撃。
骨の芯まで嫌な感覚が染み込んでくる。
「っ……ぐっ……な、なにこれ……耳鳴り……?」
『これは超音波でーす! 人間には聞こえませーん! でも見て見て〜!』
ヤバ男の実況が鳴り響くなか、空を見上げる。
さっきまで飛び回っていたチビドラたちが、空中でふらつきはじめた。
まるで糸が切れた操り人形のように、次々と墜落していく。
「……落ちた!?」
木々に激突し、枝葉を揺らしながら、ドサドサと落ちていくチビドラたち。
頭を振り乱す動きは、まるで“耳をふさいでいる”みたいだった。
「あの変な音……あれで群れの連携を切ったんじゃな」
気づけば、隣に大樹卿が立っていた。
その隣にはモモもいる。どうやら、すぐ近くで戦っていたようだ。
「よっしゃああああっ!!」
「やったーっ!!」
あちこちから歓声が上がる。ツバサさんと詩織さんも無事だ。
詩織さんは飛び跳ねて喜び、ツバサさんは膝をついて息を整えていた。
――よかった。二人とも無事だったんだ。
反対側では、ルオさんやドン殿下たちが、ぽかんと空から落ちてくるドラゴンを見上げていた。
やがてヘリが着陸し、岩田さん、淳史くん、ヤバ男、サブリナが次々と飛び出してくる。
岩田さんはまっすぐツバサさんに駆け寄り、「無事か」と声をかける。
「なんで姉貴がいるんだよ〜……」
その後ろで、淳史くんがぼやいた。
ヤバ男は、ヘリを降りるとまっすぐ詩織さんの前に駆け寄り、なぜか詩織さんの前に膝をつき、手を差し出す。
「おお、愛しの君! この音階の奇跡、しかとご覧いただけましたか!」
「……なにあんた。キモッ!」
詩織さんの一刀両断。惨殺。
サブリナが近づいてきて、駆け寄ったモモの頭を撫でる。
「ししょー!」
「がんばったな〜」
「今の音……あれ、何だったんだ?」
そう尋ねると、サブリナは自慢げに説明を始めた。
「チビドラたちはね、お互いの位置を超音波でやり取りしてるの。で、それを例のAIが指揮して、みんなで連携攻撃してたってわけ! そこに『違う音』をぶつけて、通信をメチャクチャにしちゃったのよ〜♪」
フンスと鼻息荒いサブリナに「さすがサブちゃん! なんか、赤壁の孔明みたくなーい?」と褒める梢社長。
ああ、最近三国志系のゲームにハマってたっけ……。
サブリナはモデルポーズでくねくねと踊り始める。
「すごかろ〜、すごかろ〜♪」 ……ここで、新しいカオスが始まっていた。
「……油断するなぞい。今のうちに、こいつら片付けるのじゃ」
大樹卿がそう言って、杖でパタパタともがくチビドラたちを淡々と叩き潰していく。
――ちょっとホラーな絵面だな、これ……。
その後、継案局のメンバーも合流し、全員で地面に転がるチビドラたちの処理にあたった。
「全員、無事みたいだな」
現れたのは、オフィー、神戸氏、矢吹さん。
「街に出てた奴らが急に止まってな。さては、サブの仕業か」
「すごかろ〜っ!」
再び踊りだすサブリナ。
「これで……一段落ですかねぇ」
神戸氏が空を見上げて、ぽつりとつぶやく。
――ああ、終わったんだ。ようやく、これで……
そう、思ったそのとき。
「……違うな」
重い、大樹卿の声が響く。
彼女の視線は、辺りに散らばる残骸――いや、地面の下を睨んでいた。
空気が、変わった。
ひりつくような静電気が肌にまとわりつき、世界全体が“沈黙”を飲みこんだような圧力。
重く、黒く、深い。視えない何かが這い寄ってくる。
そして――その“正体”に気づいた瞬間。
俺たちは、言葉を失った。
――大樹。
僕らが守るべき、梢ラボラトリーの象徴。そして今、僕たちが直面する"本当の脅威"が、地の底で目を覚ました。
チビドラなんて、ただの前座だったんだ。