第180話 本当の災厄
梢社長が、ゆっくりと片手を高く掲げた。
その姿は、いつもの天然ぽやぽや社長とはまるで別人だった。
立ち姿、纏う空気、放つ気配。
すべてが神聖で、近寄りがたいほどの威厳を放っている。
まるで神話から抜け出した女神のように。
いや、もしかしたら本当にそうなのかもしれない……そう錯覚するほどに。
たしかに、彼女の見た目は最初から「美人エルフのテンプレ」だった。
でも、あのポンコツ天然っぷりのせいで、僕たちの中では“残念エルフ”という不名誉な称号が定着していた。
……だった、はずなのに。
今、その印象が一瞬で塗り替えられていた。
驚き、畏敬、そして――少しの寂しさ。
いつもの「ギャー」とか言ってる社長が、こんなに遠い存在に見えるなんて。
そもそも、梢社長のお姉さんは大樹連の重役。
親友のオフィーリアは公爵家の姫だし、ドングラン第三王子とも幼馴染。
そして、大樹卿とも普通に話す間柄。
知ってはいた。わかっていたけど……
僕みたいな一般人が、本当にこんな人たちと一緒にいていいのか? そんな不安すら湧いてくる。
「セーシア……まさか……」
オフィーが小さく息を呑んだ。
その瞬間、風もないのに、社長の長い金髪がふわりと舞う。
瞳は半眼に閉じられ、祈るように両手を天へと伸ばした。
その仕草は、まるで天に仕える巫女のようだった。
ピリ……と空気が張り詰める。
まるで“神域”がそこに降りてきたように、周囲が静寂に包まれる。
――そして、空間が震えた。
キィィィン……と耳を突く高音。
金色の粒子が社長のまわりに舞い始めた。
それはただの光ではない。まるで“意志”を持った存在が、彼女を守るように漂っている。
「すご……綺麗……」
ツバサが、思わず見惚れるように呟く。
空から降りてきていたドラゴンも、その異変を察知したのか、明らかに警戒している。
あの巨体が、明らかに“恐れ”を抱いている。
「――光は我に、秩序は世界に。天よ、聖域を照らし給え」
優しく、それでいて揺るぎない声。
空気そのものに溶け込むように響き、まるで儀式の詠唱のように荘厳だった。
これが、あのぽやっとした社長の声だなんて信じられない。
そこには、根源的な"力"が宿っていた。
「あの詠唱……まさか、超高位聖魔法……!?」
ソラさんが驚愕の表情で呟いた。
次の瞬間、社長の手のひらから金色の光が放たれる。
それは天へと昇り、巨大な魔法陣を描き出した。
直径数百メートルの黄金の陣――
幾何学模様が複雑に絡み合い、まるで夜空に咲いた黄金の花。
「すげえ……」
誰かのため息が、風に消えた。
これが……梢社長の“本当の力”なのか――!
「ラディアス・ドミナス――発動!!」
社長の声が空に響き渡った。
いつもの天然ボイスではない。
威厳と圧倒的な力を帯びたその声に、天が震える。
――その瞬間、空から金色の光が降り注いだ。
一筋一筋が祝福のように美しく――けれど、それは“破壊”だった。
ドラゴンが慌てて身を翻す。
だが、逃げ場などない。
無数の光が全方位から襲いかかった。
バチィィィン!!!
音にならない閃光が空を裂き、金色の矢がドラゴンを貫いた。
それは聖なる破壊。
魔法無効化なんて意味がない。まさに“格”が違う。
焼け焦げた翼が裂け、皮膚が蒸発し、血が蒸気となって空に舞った。
ギャアアアアアァ!!
ドラゴンの絶叫がこだまする。
空中でバランスを失った巨体が、よろめき――
そのまま、地面に向かって墜落する!
ズドォォォォン!!!
大地が揺れ、土煙が空を覆った。
……これが……梢ラボラトリー、代表取締役の力――!?
「やった……のか……?」
誰かがつぶやいた。
普段なら「フラグ立てんな!」と突っ込むところだけど、誰も口を開けなかった。
ただ、あまりの光景に呆然と立ち尽くしていた。
魔法陣がゆっくりと消え、空気が静寂を取り戻す。
「社長……すご……」
心の底から、感動していた。
でも、その安堵を破ったのは、ツバサさんの声だった。
「待って! ……何かおかしい!」
ツバサさんの視線が、地面に残ったドラゴンの亡骸を見つめている。
その姿は、まるで“何か”を守るように伏せていた。
『こ、コアはどうなった?』
コア……?
僕は首を傾げた。
『ダンジョンコアだよ! あれが残ってたら、また魔獣が湧く!』
その言葉に、背筋がゾクリと冷える。
そうだ……
ダンジョンの魔獣は、倒しただけじゃ終わらない。
本体は、あの“コア”だ。
土煙の中に、黒い渦がゆらゆらと姿を現した。
ドラゴンの中心部に開いた、闇のような渦。
――消えてない!
「ちっ、やっぱりコアが……」
社長が苦々しげに唇を噛む。
「ドラゴンを倒しても、本体のコアが残ってるなら……」
「ど、どういうこと!?」
僕の問いに、オフィーがすぐに答えてくれた。
「ダンジョンコアは、もともと地脈にできる魔獣の源泉。ドラゴンはただの使い魔なの。コアを壊さなきゃ、何度でも復活するし、他の魔獣も生み出せる!」
そのとき――
黒い渦が脈打つように脹らみ始めた。
地面が震え、空気が波打つ。
嫌な予感が、身体を駆け巡る。
「みんな、下がって!!」
梢社長の叫びと同時に、“それ”が飛び出した。
無数の小さな影。……それは――
「小型ドラゴン!? ちっさ!?」
手のひらサイズのドラゴンが、次々と湧き出してくる。
一体一体は弱そうだけど、数が異常だ!
十体、二十体、三十体――止まらない。
しかも、四方八方へ飛び散って、街のほうへ向かっている!
「くっそ……でかいの一体の方がマシだった!」
オフィーが歯ぎしりする。
巨大な敵なら一点集中で潰せた。
でもこの“数”は……対応しきれない!
「まだ終わってない!!」
梢社長が叫んだ。
僕たちは武器を構え直し、飛び交う小型ドラゴンたちを追いかけた。
「これは……まずいな」
巨躯の敵を討ち果たしたと思った、その刹那。
待ち受けていたのは、数の暴力と、街を飲み込もうとする脅威だった。
戦いは、終わってなどいなかった。
むしろ――
本当の“災厄”は、ここから始まるのかもしれない。