第177話 終わらせない夜
ヘリの窓から見下ろした地上は、無残な瓦礫の山と化していた。
かつて梢ラボラトリーがあった場所――そこにはもう、建物の残骸と立ち上る煙しかない。サーチライトの白い光が、破壊された現実を容赦なく照らし出していた。
黒塗りの車両と装甲車が幾重にも警戒線を張り、まるで戦場のような緊張感が漂っている。
入社してから約三か月足らず……。それでも僕はこの場所に確かな愛着を感じていた。
――なんだか、寂しいな……
そして、その廃墟の中心にただ一つ、毅然と立ち続ける存在があった。
巨大な大樹。
周囲の破壊を嘲笑うように、損傷ひとつない姿で堂々とそびえ立っている。
サーチライトの光を浴びたその威容は、まるで神聖な存在のような荘厳さを放っていた。
以前は親しみすら感じていたその大樹が、今は別次元の存在に見える。人を寄せ付けない、神域の風格を纏って――まるで僕たちの知る世界とは違う領域の住人のように。
そして、その上空には。
黒く、ねじれ、歪んだ"何か"が、空に幾度となく円を描いていた。
あのドラゴン。いや、もう"ドラゴン"とはいえないだろう。
鋼のように黒光りする鱗、ぬめるような質感、脈打つ血管の網目――まるで悪夢が現実ににじみ出たような異形の存在が、不気味に空を漂っている。
「どうしますか? 燃料もギリギリなので、着陸していいですか?」
操縦士の声に、即答したのは――梢社長。
「降りよっか!」
指さした先には、オフィー、ルオ、ギーブたちが手を振って待っていた。
ヘリは稲刈りの終わった田んぼに向かって降下を開始する。風圧で周囲の藁くずが舞い上がり、視界が白くかすんだ。
そして、梢社長が着陸を待たずに飛び降りた。
「いやー、 夜景、最高だったね!」
満面の笑みで言い放つその姿に、ツバサさんが困り顔で返す。
「……まあ、そうですね」
――いやいや、空気読んで!!
「うおっ、これが空飛ぶ乗り物か!?」
ルオさん、ギーブさん、ソラさんがワラワラと群がって、ヘリにベタベタと触りながらはしゃいでいる。操縦士さんは離陸していいのか迷っているようで、目が泳いでいる。
そんな中、梢社長が胸を張ってドヤ顔で言い放つ。
「うらやましかろー? これが人類の叡智ってやつよ!」
――うん、もう一度言わせて! 空気読んで!!
「で、結局……ドラゴンは仕留め損ねた、ってわけか」
低い声が背後から届く。振り返ると、オフィーがゆっくりと歩いてきていた。
「いやいや、そう簡単にはいかんでしょう」
肩をすくめた僕に、オフィーは鼻で笑って、
「フン。まあな……」
そう呟き、夜空を見上げた。
その視線の先には、“それ”がいた。
重く、どこか意志を宿したような気配で、こちらをじっと見下ろしている。
「なんだ、あれは……。本当にドラゴンか?」
眉をひそめたオフィーの背後から、別の声が響く。
「もはや、あれはドラゴンとはいえんのー」
現れたのは――のじゃロリ大樹卿、ルリアーナさん、ドン殿下、梅さん、そして……なぜか詩織さんまでいた。
詩織さんは肩に担いでいた棒を地面に突き立て、そのままぺたんと座り込む。
「よかったー、みんな無事だったんだねー!」
「詩織さんこそ、大丈夫?」
僕が駆け寄ると、彼女は地面の土をつかんで、いきなり僕に投げつけてきた。
「モー! 心配させんなよなー! あと、なんかあったら仲間はずれにしないで声かけろよー!」
ぽいぽいと土を投げてくる詩織さん。僕は慌てて後ずさる。
そこに梢社長が駆け寄って、詩織さんをやさしく抱きしめた。
「ごめん、ごめんね……」
優しく頭を撫でながら、梢社長が微笑む。
ほんのひととき、緊張が解けた空気が場を包み込む。
……が、その雰囲気を壊すように、声が飛んだ。
『ちょいちょーい! なんか終わった感出してないかーい?』
モモがノートPCをパカッと開き、画面をこっちに向けてくる。映し出されたのは――もちろん、サブリナ。
『あのドラゴン、大樹を狙ってるみたいだよー』
「大樹を? やっぱりか!」
『ユグドラシルAIからしたら、もう大樹って“お役御免”なんだよ。ココピーもデータ解析も済んで、ダンジョンコアもゲット済み! だから本体はいらないって判断らしい』
「そんな……!」
――単なる"敵対"とか"ライバル"じゃなかった。ただの不要品。それだけだった。
『ユグドラシルAIはね、もう自分のほうが“大樹より上”だと思ってるの! だから大樹は滅却!ってね。どーすんの、マジで!』
「そっちから何とかできないんですか!」
ツバサさんが焦った声を上げる。
『ムリムリ! 干渉信号は封じたけど、あいつ本体の行動までは制御できないよ! あ、やばい! 攻撃くるよ!!』
皆が一斉に空を見上げる。
ドラゴンは空中で静止し、口元にチロチロと赤い火花が灯っていた。
――やばい! ブレスくる!!
ドラゴンは背を反らし、反動で大きく口を開ける。
次の瞬間――大樹めがけて、灼熱のブレスを吐き放った!
「いかんっ!」
大樹卿が叫び、瞬時に大樹との射線に防御シールドを展開する。
その後方では、ルリアーナさん、梢社長、ソラさんが次々に魔力を集中させ、結界を重ねていく。
ゴオオオオッッ!!!
凶暴な轟音を伴って、炎の奔流が結界に叩きつけられた。地面が揺れ、夜空が真っ赤に染まる。
だが……。
「よし! 何とか持ちこたえた!!」
しかし、終わりではなかった。
ドラゴンは空中で身をひねり、再び炎を口元に灯らせる。
――まずい……連撃だ!
しかも、その視線は……。
「こっちを見てるしーーーー!!」。
次の標的は、僕たちだった。