第169話 世界の終わり
夜の空気には、まだ焦げた匂いが漂っていた。
かつて梢ラボがあった場所は、今や瓦礫と灰の山。どこか虚ろな空き地になり果てている。
かつて希望の象徴だった大樹も、ぽつんと寂しげに立ち尽くしていた。
大樹卿、オフィー、ドン殿下、ルオさんたちは、町に散った魔獣の掃討へと向かった。
ここに残っているのは、僕とツバサさん、そして梢社長――三人だけだ。
「……結構、派手にやられたね」
ツバサさんがぽつりと呟き、瓦礫の上に腰を下ろした。
顔はすすで黒く染まり、前を見つめる目が静かに潤んでいる。
いつもの余裕は、そこにはなかった。
僕は、ただぼんやりと立ち尽くす。
目の前に広がるのは、かつての日常が燃え尽きた跡。
――何か、できることはないか?
焦りがぐるぐると頭の中を回る。でも、答えは出てこなかった。
「……くそっ!」
拳を握りしめ、足元のがれきを蹴飛ばす。
でも、怒りをぶつける相手は、もうどこにもいない。
「すっかり壊れちゃったね……」
梢社長がぽつりと呟いた。
目の前には、かつての社屋……その残骸。何も残っていない。ただの灰と破片。
――三か月前のことが、胸をよぎる。
あの日、僕は、梢社長に半ば強引に連れてこられた。
「会社」と名乗ってはいたけれど、どう見ても怪しげな実験施設。
……いや、正直に言えば、最初は「やべーとこに来たな」って思った。
でも、社長は妙にキラキラした目で、こう言ったんだ。
「大樹のあるこの場所を守る!それが仕事だよ」
……バカっぽいけど、ちょっとワクワクした。
変な会社。でも、なんだか嫌いになれなかった。
そこから、いろんなことがあった。
戦い、出会い、失敗、仲間――。
そして今、目の前にあるのは、「終わってしまった」世界。
悔しい。
守りたかったものを、守れなかった。それが、何より悔しかった。
僕は唇を噛みしめる。
そのとき、梢社長がこちらをじっと見つめた。
「森川君、落ち着いて」
珍しく、落ち着いた声だった。
いつものズレたテンションじゃない。
まっすぐで、優しくて、ちょっと泣きそうになる声。
「こういうときだからこそ、余裕を持って、笑顔でいようよ」
……いや、笑顔って今!? 空気、読んで社長!!
でも、その無邪気な笑顔が、なんだか胸の奥をズンと突いた。
この人、こんな時でも、笑えるんだ。なんか、ずるい。
「建物は壊れた。でも、私たちの“やること”は、まだ終わってないよ?」
そう言って、またにっこり笑う。
――まったく、変わらないな、梢さんは。
ツッコみたい気持ちと、ちょっと救われた気持ちが、胸の中でごっちゃになる。
「胸を張れ、森川! あなた、大樹の守護者なんでしょ?」
ドン! と背中を叩かれた。
重い。でも、痛くない。不思議と力が湧いてくる。
……ああ、変わったのは、僕のほうか。
最初は何もできなかった。
でも今は――誰かを守りたいと思える自分が、ここにいる。
届かなかった。でも、悔しいと思えるくらい、僕はもう、戦ってたんだ。
梢社長は、ずっと変わらない。
だからこそ、信じられる。
瓦礫の中に立つ彼女の姿が、妙にまぶしく見えた。
そのとき――
空を裂くような重低音が、頭上から迫ってきた。
▽▽▽
見上げると、小型ヘリが音を立てながら降下してくる。
継案特局――神戸さんたちのヘリだ。
着陸と同時にドアが開き、人影が飛び出した。
「矢吹さん!? モモも!」
「無事でしたか!」
ゴーグルを外した矢吹さんの顔は、いつになく険しい。
その背後から、ぴょこぴょこと飛び出してくるモモの姿に、少しだけ心が和らぐ。
「とりあえず、これ預かってきました」
矢吹さんが差し出したのは、小さな通信デバイスとインカム。
「サブリナさんと岩田さん達は、まだダム側で調査中です。向こうで解析を続けていて――」
ヘリの風に髪をなびかせながら、矢吹さんが叫ぶ。
「ファントム0.7がユグドラシルの制御を一時的に遮断したんです! そこに突破口が!」
モモがうんうん、とぴょんと跳ねる。
僕は通信デバイスを装着し、端末を持ち上げる。
ピンク色のノートPCを操作するモモの指先が走ると、デバイスからホログラムが立ち上がる。
そして、聞き慣れたテンションMAXの声が響いた。
『Yo〜! お疲れちゃーん! みんな無事!?』
「サブリナ……」
軽すぎるテンション。だけど、その声の裏には、かすかな焦りが混じっていた。
『時間がないから、すぐいくよ!
ユグドラシルAIの、マジでヤバい目的、判明しましたっ! じゃじゃーん!!』
ホログラムに映るサブリナが、なぜかマスカラ片手に踊る。
『“世界を完コピ”。データ化による、世界のリビルド計画!!』
――は?
僕たちは一瞬、耳を疑った。が、サブリナの顔は真剣そのもの。
「……リビルドって、つまり、世界を書き換えるってこと?」
『そ。現実世界を丸ごとデータに変換して、“理想状態”で再構築。完全な世界にしたいんだってさ!』
まるでゲームをリセットするような話だ。
でもそれは、救いじゃなくて、支配だ。
「そんなの……誰が?」
『ノウス。神格プロトコル。ユグドラシルAIの本性だよ』
その声が、ほんの少しだけ低くなった。
『このままじゃ、この星まるごと、ただの素材にされる。……だから、止めて。お願い。』
ホログラムのサブリナが、こちらをじっと見つめる。
――沈黙。
ツバサさんも、梢社長も、何も言わなかった。
でも、皆、同じことを感じていたはずだ。
——この世界が、消される。
僕は、ゆっくりと顔を上げた。