表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
167/199

第167話 コーヒーと銃声①


 詩織は、今日三回目のテーブル拭きと、四回目の床のモップ掛けをしていた。


 本日、『喫茶こかげ』は臨時休業。


 理由は単純。コックの弟――あっ君が、昼過ぎに岩田さんからの呼び出しで出て行ったきり、まったく連絡がないからだ。


 電話も来ない。L〇NEも既読にならない。

 

 気づけば、外はすっかり夜。店内も誰もいない。


 まあ、二人のことだし、そう簡単にやられるようなタマじゃない。

 心配してるわけじゃない……わけじゃないけど!


 それにしても、音沙汰がなさすぎる。

 

 梢ラボに電話しても繋がらず、誰からも何の連絡もない。

 何か――とんでもないことが起こっている。少なくとも、それだけは確信できた。


 あっ君も岩田さんも、特別な力を持ってるわけじゃない。

 梢ラボの人たちみたいに、魔法が使えるわけでもない。


 だからって心配してるわけじゃ……ないけど!!

 

「電話の一本ぐらい、かけてこいっつーの!!」


 床にモップを思いきり叩きつけると、ぶわっと水しぶきが舞った。

 そして、ちょうどその瞬間――扉のカウベルが軽やかに鳴った。


「ごめんなさーい、今日は休みで……」


 反射的に声をかけてから、詩織は相手が“お客さんじゃない”ことに気づいた。

 

「しおりちゃ〜ん。お邪魔〜♪」


 現れたのは、ピンク亭のタイショーだった。


  相変わらず、正面から見るとほぼ裸エプロンにしか見えない、ギリギリアウトな服装。


 こんな格好でこの寒空の中、平然と歩いてきたのかと思うと、職務質問をしなかった警察官をひとりずつ叱り飛ばしたくなる。


「さっきまで、あっ君たち、うちに来てたのよー。それで、ご報告をと思って、来ちゃった♪」


 “来ちゃった♪”のところで人差し指を立ててウインク。

 その仕草が妙にサマになってるのがまた腹立つ。その肉体美でそれやる? マジか。

 

 ……それはさておき。


 タイショーが自分の店を空けて人の店に出歩くなんて、何年ぶりだろう。

 その事実だけで、どれほど異常な事態なのかがわかる。


「ねぇ、何が起こってるの? あいつら、出たきり電話一本もよこさないのよ!」


 詩織はまたモップを力任せに叩きつける。

 水が跳ね、タイショーは「落ち着いて落ち着いて〜」と手をバタバタさせてなだめてくる。


 ――そして語られたのは、信じがたい話の数々だった。


 どうやら、梢ラボが"世界を牛耳ろうとするAI"にハッキングされ、電気も通信もすべて乗っ取られたらしい。


 サブちゃんと森川くんはそのAIを出し抜こうと逃げたが、継案特局に捕らえられて監禁された。

 それを知ったあっ君と岩田さんが乗り込み、二人の救出に成功。


 さらに、なぜか神戸さんとも和解し、今はモモちゃんを連れて、そのAIに対抗するコンピューターがあるダムへ向かったという――。


 詩織は途中から、もう頭が追いつかなかった。


 ひとみっちやツバサちゃん(岩田さんの妹!)、オフィーリアたちは会社に籠城中。

 誰がどこで何をしてるのか、情報が多すぎて把握できない。


 ……情報過多! 理解が追いつかない!!


 なんか、みんなすごいことやってるのに、私だけ、めっちゃ蚊帳の外じゃん。


 パンクした頭を投げ捨てて、詩織は言った。


「とりあえず、コーヒー淹れるけど、タイショーも飲む?」


「いただくー♡」


 ――落ち着こう。


「ねえ、そのAIって、こないだネットでうちの店の評判が急に下がってたのと関係ある?」


「あるある。うちもやられてたんだけど、どうやらあれ、そのAIの仕業だったみたい。口コミを操作して、梢ラボに圧力かけてたんだって」


 タイショーによれば、AIはネット操作によって評判を下げたり、世論を誘導したりして、梢ラボを従わせようとしていたらしい。


 さらに直接的な攻撃の影響で、通信機器も壊滅。連絡手段が完全に途絶えたという。


「そりゃ、連絡取れないわけだ……」


「でね、うちのモモとサブちゃんが、そのAIの本体をやっつけるためにダムへ向かったのよ」


「……なんでダム?」


「地下にね、でっかいコンピューターがあるらしくて、それで悪者AIを成敗できるんだって。名前は……えっと、"ファラオ"だっけ?……ううん、"ファントム"だった!もう、紛らわしい名前ばっかりで嫌になっちゃう!……で、そこに突入したってわけ」

 

 へぇー……わっかんない。


 でも、あっ君たちがとんでもなく危険な場所に行った、ってことだけはよくわかった。


 普通の人間が、そんなところへ……。


 二人は同時に、ズズズーッとコーヒーを啜った。


 窓の外はすっかり夜。

 冬らしい風が吹きつけ、ガラスがカタカタと鳴る。


 いつもなら満席の時間帯の店内も、今は二人きり。

 どこか寂しい空気が漂っていた。


 それにしても――。


「ねえ、タイショー。その格好、寒くないの?」


「大丈夫。こう見えて、いつも微熱持ちだから」


 ふ〜ん。


 二人はまた、静かにコーヒーを啜った。


「……ねえ」

 

「な~に」


「みんな、大丈夫なのかな?」


 思わず口から出た本音。あっ君のこと、心配してるって認めるみたいでちょっと癪だけど。

 

「大丈夫よ」

 

「……そだね」


 でも、本当に大丈夫なのかな。私にできることって、何もないのかな。


 静かな店内には、時計の針の音と、コーヒーを啜る音だけが響いていた。


 ――その時だった。


 遠く、北の方角。梢ラボのある田園地帯の方向から――


 ……ドン


 かすかな、けれど重たく腹に響くような音が、空気を揺らした。

 

 詩織が、カップを持つ手を止める。

 タイショーも、黙ったまま、ゆっくりと窓の外へ視線を向けた。


 風の音に混じって、別の音が近づいてくる。


 「パン」「パンッ」……乾いた破裂音。

 間をおいて、さらに数発。――銃声!?。


 そして数秒後。それを合図にするかのように、街のどこかでサイレンが鳴り出した。

 

 ひとつ。……またひとつ。


 やがて、複数の警報音が町全体を包み込む。


 消防、救急、警察――それぞれ異なる音色のサイレンが、幾重にも重なって、夜の空気を引き裂いていく。


 音が、近づいてくる。

 静かだった街が、少しずつざわめき始める気配がする。


 詩織は、持ち上げかけたカップを、ゆっくりとソーサーに戻した。

 タイショーは、黙ったまま目を細め、耳をすませている。


 それはまるで――嵐の前に吹き始める、最初の風の音。


 “何か”が、確かに動き出した。


 その気配が、音の向こう側から、じわじわと忍び寄ってきていた――。


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ