第166話 梢ラボ崩壊
会社が……崩壊した。
傭兵部隊に命を狙われ、異世界で仲間と戦い、大樹のコピーに惑わされ、不老不死をめぐってカルト集団に襲われ……。
それでも、何があってもここへ戻ってくれば、大樹やみんながいてくれた。そんな僕らの拠り所が、今――がれきの山と化している。
しかも、頭上にはドラゴン。
夜空を周回しながら、サーチライトの光を反射している。
その周囲では、兵士たちが銃を手に、魔獣と戦っていた。
ゴブリンが兵士に襲いかかり、オオカミもどきがバリケードを越えて街へ駆け抜ける。目の前ではミノタウルスが巨大な斧で装甲車を真っ二つに叩き割った。
――いったい、ここはどこだ。
現実か、悪夢か。その境界が曖昧になって、頭がぐちゃぐちゃだ。
まるで映画のセットの中に放り込まれたような感覚。でも、鼻を突く硝煙の匂い、耳を劈く爆音、頬を撫でる熱風――これは、間違いなく現実だった。
「森川、ぼーっとしてる場合じゃない!」
オフィーの声にハッとして振り返ると、彼女が険しい顔で周囲を警戒していた。
「ドラゴンが戻ってくる!」
空を見上げた瞬間、巨影が急降下してくるのが見えた。翼を畳み、鋭い爪を突き出して――まさに獲物を狙う猛禽のように。
「くそっ!」
オフィーに肩をつかまれ、崩れた壁の陰に押し倒される。
直後、ドラゴンの爪が僕たちのいた場所のコンクリートを深々と抉った。
……破片が頬に当たって、痛い。
「森川、大丈夫か?」
「ああ、なんとか。みんなは?」
息を切らせながら答える。心臓が早鐘のように鳴っている。
「大樹卿たちなら大丈夫だ」
オフィーの視線の先、社長、大樹卿、ルリアーナさん、ツバサさん、浩司さんたちが防御結界に包まれ、壁の残骸の陰に固まっていた。
ドラゴンが再び空に舞い上がる。
巨体が月明かりを遮り、一瞬だけ辺りが暗闇に沈む。でもすぐ、サーチライトの光がそれを打ち消した。
「それよりあそこ!」
オフィーが指さした先、がれきの向こうで兵士がゴブリンに囲まれて応戦している。
「行くぞ!」
オフィーが一歩踏み出そうとしたそのとき――白い閃光が魔獣たちをなぎ払った。
閃光のあとを追って、純白の影が猛烈な速度で魔獣たちに突っ込んでいく。
血しぶきが舞い、次々と魔獣が倒れる。
あの白い影は――
「ドン殿下!」
僕が叫ぶと、その影はぴたりと動きを止め、手を振りながらこちらに近づいてきた。
「やあ、大変なことになってるね」
どこか楽しげな、でも心配そうな笑みを浮かべる殿下。
「ドン! 遅いぞ!!」
オフィーが襟首をつかんで怒鳴ると、「ごめんごめん」と笑って頭をかく。
「ちょっと寄り道しててね。でも、頼もしい助っ人を連れてきたよ」
そう言って振り返ると、後ろから人影が数人。
「なんだこれ、何がどうなったの?」
その声――美魔女・梅さん! 梢ラボの先輩まで来てる!
「おー、ここが異世界ってやつか。……聞いてた話と違うなー」
「わー、なんかゴミ山みたいー」
「ちょっと! 二人ともはしゃがないの!」
「ルオさん! ギーブさん! ソラさん!」
影流の森で命を懸けて共に戦った、トーマの冒険者パーティ!
三人が「森川!」と笑顔で手を振ってくる。
そして、ドン殿下の背後から顔を出し、「ご無沙汰してます」と恭しく頭を下げる男。
「あっ、ダーズ!」
僕たちを裏切ったと思われた、殿下の従者だ。咄嗟に剣を構えると――
「いやいや、違うんだ。あれはカルビアンに潜り込ませるための偽装だよ」
ドン殿下が必死に弁明。
「嘘だー。そのわりに、一言も説明なかったけど?」
僕が抗議すると、オフィーがぽかんとした顔で「あれ? 言ってなかったっけ?」と答えた。
「え? 聞いてませんけど?」
「……そっか、言い忘れてたか」
目をそらして小声でつぶやくオフィー。
――ここに犯人がいました!
「しかし、よく来てくれたな」
話を無理やりすり替えるオフィー。
ホント。今これだけの仲間が揃っているのは、心強いなんてもんじゃない。
そこへ、大樹卿がやってくる。
「やあやあ、皆ご苦労じゃったのー」
にこやかに微笑むのじゃロリ卿に、皆が恭しくかしずく。「今はよいよい」と手を振る様子が、妙にサマになっていた。
――やっぱ、この人って偉いんだな……
「見ての通り、状況はかなりやばい。こっちの人族たちは魔獣に対抗する手段を持っておらん。皆で協力して、町の魔獣を殲滅してくれんかのー?」
大樹卿の言葉に、皆がうなずく。
「あー、ただ、こっちは魔法がない世界じゃからの。使用時はくれぐれも注意してくれ」
さっきから魔法をバンバン使ってたご本人が注意を促す。
「とにかく、我ら『異界の管理者』として、この町を魔獣から守らねばならん。皆の健闘を祈っておるぞい!」
「任せてください。トーマじゃ森川に助けられちまったからな!ここらで一丁恩返しといくぞ!」
ルオさんが僕の肩をバシバシ叩く。
ただし、冒険者たちの衣装がこの世界で見ると完全にコスプレ。革鎧や巨大戦斧は明らかに“非現実”。ソラさんなんて、美貌+ローブ+三角帽子で、ハロウィン感すら漂っている。
……彼らを街に放っていいのか、ちょっと不安になる。
その時、突然――
ドォンッ!
爆音とともに、街の中心で巨大な炎が上がった。魔獣の攻撃が激化している!
「まずい……このままだと、街全体が……!」
梅さんが青ざめる。
「時間がない。手分けして、救助と殲滅を同時に行うぞ!」
大樹卿の表情が一気に引き締まる。
「ドン殿下とオフィーは町に流れた魔獣を頼む。冒険者組はここら一帯の掃討を頼む!」
「了解!」
皆が一斉に応える。いつもののんびりした空気が一変、戦場の緊張感が辺りを包んだ。
頭上で、怒りに満ちたドラゴンの咆哮が響く。今度は――明らかに近い。
僕は仲間たちの頼もしさに胸を熱くしながら、それでも、この絶望的な状況を前に再び身が震えた。
本当に、僕たちだけで、この街を救えるのだろうか――。
今ここに、“位階の管理者”、“権力者”、“調停者”が集まった。
そして僕も、その“守護者”のひとりとして。