第163話 コアの暴走――
コアの暴走――。
ダンジョンの核が制御を失い、モンスターを無限に生成し始める現象。
放置すれば街どころか周囲一帯が魔物の群れに飲み込まれ、全てが終わる。
異世界でも、霧影山でも同じだ。
結局、ダンジョンコアを破壊する以外、止める手段はなかった。
まさか、それが──この街で再現されようとは。
入社当時、神戸氏から聞かされて話が蘇る。
「千年前、大樹が花を咲かせたとき――化け物が湧き出し、この一帯を地獄絵図に変えた」
その災厄を収めたのが、異世界から現れた"管理者"たち。今の社長たちの始まりだ。
そして時の権力者の組織が神戸氏たちの"継続案件特務管理局"となり、岩田さんやツバサさんのような"調停者"がその橋渡しをした。
現在の体制が作られた背景がそれだ。
つまり、これは歴史の繰り返し。
今また、同じ"災厄"が始まろうとしているのかもしれない。
▽▽▽
オフィーはじっと、通路の先──ガラス扉の向こうに広がる大樹を見つめていた。
僕もつられて視線を向ける。が、建物全体が小刻みに揺れて、立っているのもやっとだ。
「来る!」
オフィーが短く叫ぶ。
「セーシア! 防御隔壁を展開じゃ!」
大樹卿が手を突き出し、遅れて梢社長も並んで手をかざす。
青白い魔法障壁が、ガラス扉の手前に展開された。
──轟音。
ガラス扉の向こう側で爆発が起こり、大樹の根元にあった小屋が木っ端微塵に吹き飛んだ。
煙が晴れると、そこには地面が大きく抉れ、底の見えない巨大な"穴"がぽっかりと口を開けていた。
そして──その縁から、ぬるりと緑色の"腕"が這い上がってきた。
分厚く節くれだった指先が、ねばりつくように穴の縁を掴む。
まるで地獄の底から何かが這い上がってくるかのように。
そして――姿を見せたのは。
「ゴブリン……?」
違う。知っているそれじゃない。
何かが決定的に狂っている。
ぞわり──背筋をなぞるような不快感。
数じゃない。存在そのものが“壊れて”いた。
無数の黄色い目が、感情のないままこちらを見つめてくる。
生きているのに、死んでいる。そんな矛盾を孕んだ存在が、数十? いや──数百か‥‥‥、それ以上。
無尽蔵に湧き、深淵から這い出してくる。
そして──地響き。
咆哮を上げながら、異形の狼モドキがその後ろから飛び出してきた。
泡を吹き、牙は異常なほどに長く、瞳には明確な"殺意"が漲っている。
続いて、毒々しい鱗に覆われた巨大なトカゲが、ギザギザの牙を剥き出しにして地面を這ってくる。
腐臭を撒き散らし、緑色の体液を滴らせながら、一直線にこちらへ──。
終わらない。異形の群れ。
まるで悪夢が現実になったかのような光景だった。
心臓が早鐘を打つ。呼吸が詰まる。
「……なんでこんなことに。どう戦えばいいんだ?」
震える僕の声に、大樹卿が顔を引きつらせて叫んだ。
「大樹の生気が膨れ上がっとるんじゃ! そんな中、今のこの騒ぎで均衡が崩れた! 奴ら、凶暴化しとる!」
──ズガン!
魔法障壁に、最初のゴブリンが激突する。
ガガガガガッ──!
青白い光がひび割れ、火花が散る。
「くっ……これは、さすがにキツイ!」
梢社長が顔をしかめ、額に汗をにじませる。
「自然の理とは時として狂気を張らんでおるんじゃ……」
大樹卿の声が、かすかに震えていた。
──理とか言ってる場合か!
「仕方ない。処理していくしかないか」
オフィーが呟く。
彼女は無言で大剣を構え、前へと進み出る。
一歩踏み出すたび、空気がビリビリと緊張する。
──そして、次の瞬間。
彼女の体が風のように加速した。
大地を蹴る音。
閃光のような剣撃。
その一閃が、ゴブリンの群れを鮮血とともに一掃する。
剣が唸り、血飛沫が空を舞う。
その中を彼女は、呼吸一つ乱さずに敵を屠っていく。
「援護します!」
浩司さんの制止を振り切り、ツバサさんが前に飛び出し、いつの間にか手にしていた細剣を横に薙ぐ。
「──ウィンドスラッシュ!」
風の刃が一直線にモンスターの群れを貫く。
大気が震え、魔物たちが吹き飛ばされる。
そして、ツバサさんはくるりと振り返り、満面の笑みで言った。
「さあ、森川さんも! みんなで守りましょう!」
やだ、ナニコレ?……ニチアサヒロインが完全に覚醒して、誘ってくる。
彼女の目には、迷なんて欠片もない。
……やばい、眩しすぎる。
たじろぐ僕に、のじゃロリが腰の剣を抜き差し出してきた。
「ほれ、これを持っていけ。名剣じゃぞ。あとワシのピュアな思いもつけといた」
えーーーー!?
顔に「嫌です」って書いてあったのを読み取ったのか、のじゃロリが片足をぐいっと持ち上げ――
「とっとと行けや!」と、器用に僕の尻を蹴り上げた。
「うわああ乱暴者ーーー!」
次の瞬間、僕は見事に結界の向こうへ蹴り飛ばされた。
モンスターの群れがうごめく戦場の、ど真ん中へと。
――もう、こうなりゃヤケだ!!
叫びながら、名剣の柄を握りしめる。
構え方?知らない! 型?とにかく振れ!
だいたい勢いでどうにかなる!!
僕は管理者でもなければ、権力者でもない。そして調停者でもない。
──でもな。
僕は、梢ラボラトリーの社員で、“大樹の守護者”なんだよ!
奇声を上げながら飛びかかってきたゴブリンを、反射的に斬り裂く。
肉が裂け、血が飛び散る。
この会社に来て、何度目だよ、こんな目に遭うの……。
別の個体が横から襲いかかってくる。
体をひねり、剣で叩き落とし、返す刃で首を斬る。
血と叫びと臭いが、全身にまとわりつく。
三ヶ月前まで、僕はただの無職の引篭りだった。
剣で化け物を斬る人生なんて、夢にも思ってなかった。
何度やっても、命のやり取りに“慣れる”なんて、できるはずがない。
でも‥‥‥。
今、足を止める方が、もっと怖い。
ここで止めなければ──街に怪物があふれる。
大樹は、もちろん僕も、それを望んでない。
だから、今、ここにいる。
前を向いて、剣を振るう。斬る。突く。倒す。
そのとき──
外から、とてつもない爆音が轟いた。
建物全体が揺れ、天井から埃がパラパラと舞い落ちる。
──ドガァァァン!
今度の音は、さっきとは比べものにならない。
まるで戦車砲でも撃ち込まれたかのような、空気を引き裂く轟音。
「今度は何だよ!?」