第160話 笑顔
「なんか、笑ってませんか?」
サブリナのアタックを見つめながら、神戸氏が僕のほうを振り返る。
確かに、さっきからギアの下から覗くサブリナはブツブツ呟きながら、顔は嬉しそうに笑っている。
返す言葉が見つからず、苦笑いしながらつぶやいた。
「……笑ってるね〜」
──どうせ、思いっきり楽しんでんだろうな。
「師匠……すごい……」
隣でモモがモニターに釘付けになったまま、うっとりとした声でため息をついた。
「なになに?」と僕もモニターを覗き込んでみたが、そこには意味不明なコードが、高速でスクロールしていた。
全然読める気がしない。
「さすがだね! もう干渉は完全にクラックしたみたいだよ!」
ヤバ男が手を叩きながら、嬉しそうに声を上げる。
「ってことは……もう、こっちの制御は取り戻せてるってこと?」
「そもそもユグドラシルAIは、量子耐性を持つポスト量子暗号で多層的に保護されてるんだ。
アクセス権の照合だけで数千万通りの鍵交換が発生する仕組みでね。
外部からは、そもそも構造すら覗けない完全なブラックボックスなのに……。
ファントムはもう中枢に到達してる。マジで、あの子は怪物だよ!」
──日本語しゃべれ!
とにかく、うまくいってるってことね。
と、ヤバ男がふと顔をしかめ、モニターに目を近づけた。
「ん? ファントムのIDが……“ファンちょ”になってる?」
──ああ、それ、すみません。たぶん、サブリナのせいです……。
僕がアハハと笑ってごまかしていると、空気がふいにピリッと張りつめた。
「あーーーーー!」
今度はモモが、手にしていたピンク色の自前ノートを見つめながら、大声を上げた。
「どうした!」
驚いて全員がモモのノートを覗き込む。画面には、梢ラボラトリーの社屋が映し出されていた。
「あ、これは……うちらが監視カメラで取得してる映像ですね」
神戸氏が落ち着いた声で説明する。
そのとき、モモがモニターの一部を指さして叫んだ。
「これこれ! ここ見て!」
映像には、社屋の上空から垂れ下がるロープ。そして、そこを伝って降下してくる黒装束の武装集団の姿。
「これって……神戸さんとこの部隊?」
僕が尋ねると、神戸氏は即座に首を振った。
「いいえ、これは……あれです。ヘルハウンドの連中です。ついに、奴ら……実力行使に出てきましたね」
実力行使って、マジかよ……。
「ここ、見て!」
モモが再び映像内の兵士たちを指差す。
壁際で何かを取り付けている傭兵たちが映っていた。
「……C4。軍用のプラスチック爆薬ですね。壁を破壊するつもりみたいです」
神戸氏が、抑えきれない焦燥をにじませて呟いた。
爆薬って……流石にヤバすぎるだろ――!
そう思った瞬間。
轟音が響き、モニターが大きく揺れた。
爆炎が吹き上がり、黒煙が視界を真っ白に覆い尽くす。
そして煙が晴れたその刹那、建物の壁に深い亀裂が走っているのが見えた。
さらにその傍らでは、別の兵士が二発目の爆薬をセットしていた。
その動きに一切のためらいはない。まるで機械のような正確さだった。
「神戸さん! 止めてください!」
思わず叫ぶ僕に、神戸氏が苦い顔で振り返る。
「無理です! あいつら、最初からこっちの指示なんて聞く気はありません!」
一方、矢吹さんは携帯を再起動し、何度もどこかへ電話をかけていた。
ようやく誰かと繋がったようで、短いやり取りの後、こちらに向き直る。
「……どうやら、ヘリで急襲してきているようです。
武装ヘリが三機、本社ビル上空でホバリング中。兵士を次々と降下させています」
オイオイオイ、ふざけんなよ……。なにやってくれてんだ。
「もしかしたら、こちらの動きを読んで、物理的な直接攻撃に切り替えたのかもしれませんね」
「って、そっちで何とか抗議して止められないのかよ!?」
岩田さんが神戸氏に詰め寄る。
「抗議は……できますが、それ以上は無理です。こちらが武力で応戦した瞬間、ここは“戦場”になります。外交問題に発展しかねません」
神戸氏は親指の爪を噛みながら、深く眉をひそめて考え込んだ。
「……もしかしたら──いや、たぶん、どっかのバカ大臣が、勝手に“協力要請”を出したんでしょうね」
その声は、怒りと呆れが入り混じっていた。
と、そのとき──
二発目の爆弾が炸裂した。
画面が激しく揺れ、炎と煙が巻き上がる。さっきより爆風が強い。
モニター越しにも、その衝撃が伝わってきた。
「これは──マズい」
神戸氏が低く呟くと、矢吹さんのほうを振り返り、声を強める。
「矢吹。あなたはここに残って、命に代えてでもサブリナさんたちを守りなさい。
もし何かあれば、即座に連絡を」
そのまま踵を返し、走り出す。
「僕も行きます!」
慌てて後を追うと、神戸氏が一瞬だけ振り返り、少しだけ迷ったような表情を浮かべた。
だが、すぐに頷く。
「……急ぎましょう!」
僕は後ろを振り返り、岩田さんと淳史くんを見る。
「ここは任せとけ! サブとモモは、絶対に俺らが守る!」
岩田さんが拳を固めて宣言し、隣で淳史くんも強く頷いた。
「お願いします!」
その一言を残し、僕は神戸氏の後を追って駆け出した。