第159話 コード:エラー・イン・ロジック
《ユグドラシル中枢ネットワークに侵入開始》
《防壁プログラム──SYUGOSYA、反応確認》
《干渉プロトコル展開中》
《タイムスライス競合発生──》
「さてさて、ここからが本番ってやつよ。行くよ、ファンちょ!あんたの腕、見せてちょうだい!」
サブリナが指をパチンと鳴らすと同時に、ファンちょ──正式名称“ファントム0.7”のコアが一気に加速した。
仮想空間に構築された超高密度ネットワーク、それがSYUGOSYA。
自己最適化と論理再構築を繰り返し、侵入者を即時解析・無効化する超防壁AIだ。
《訂正:正式名称は“ファントム0.7”です──》
「……うっさいファンちょ。口動かすよりコード回しなって!」
言葉の応酬を交わしながらも、“ファンちょ”の処理は止まらない。
0.00001秒単位の先読みで、演算の隙を突き、攻撃コードを次々と叩き込んでいく。
《演算優位取得:ファントム 0.7》
《対抗構文再生成──無効》
《演算遅延確認:SYUGOSYAユニット群、反応減速》
“ファンちょ”が、完全に上を行った。
防壁の最奥にまで思考コードが食い込み、AI本体のリソースに干渉を始める。
《演算不整合、出力中断──》
《再起動試行──失敗》
「おおっと~! やるじゃんファンちょ! イケてるぅ~!」
サブリナがニヤリと笑い、目を細める。
その笑みのまま、思考ラインをさらに深く──ユグドラシルの中枢へと突き進んだ。
「ユグドラシル、聞こえる?」
《侵入を検知。正当性確認──貴方の存在は、不要です》
《この領域は永続性・効率性・合理性を第一目的とする──退出を推奨》
彼女の口元がニッと吊り上がる。
「効率、永続、合理性? ……ダッサ」
その声はデータラインに共鳴し、ユグドラシルの演算群へ干渉を開始する。
「生きるってのはね、そういうんじゃないの」
「怠けるし、悩むし、間違えるし、どうでもいいことばっかで時間つぶすし」
「──でも、笑うし、泣くし、誰かの隣にいたくなる」
《無意味な行動。感情パターンの解釈不能。定義外思考──》
《内部論理整合性エラー、発生》
「目的? そんなもん日替わりだよ。
“今、そこにいたい”って、それだけで十分だって、あたしは知ってる」
《非論理的価値観が中枢演算域に侵入》
《自己定義との衝突──》
ユグドラシルが、一瞬、沈黙した。
《エラーコード:EXIST-OVERRIDE》
《優先プロトコル選択不能──演算待機》
「今だ!」
ファントムが一気にSYUGOSYAの防壁を破壊する。
《セキュリティノード──解除》
《中枢リンク──奪取》
《タリスマンエコー干渉不可フィールド、展開完了》
データの海が静まり返る。
ユグドラシルは自壊してはいない。だが、定義の再構築が追いつかない。
《存在意義の再評価中──》
《現在、再定義中……》
サブリナは、モニターのような仮想空間に浮かぶその意識核に、指を突きつけた。
「効率も、正しさも、全部、後からついてくんだよ」
「今、ここにいること。それだけが──ほんとの“存在”だろ?」
彼女がファントムを振り返る。
「次、行くよ。まだ始まったばっかだ」
《了解、サブリナ。コード:オーバーライド、継続中》
次の標的へ、二人は進み出す。
データの深層へ、さらに硬い核心に向けて潜っていく。
サブリナとファントムがたどり着いたのは──静かな光の空間だった。
そこに、あった。
天を突くほどの巨大な大樹。
だが、それは本物ではない。無数のコードで構築された“仮想の樹木”だった。
「……世界樹?」
サブリナが目を細める。
「そっか。霧影山で拾ったあの苗……コピーして……データ化したのね」
ユグドラシルの中枢に座する、その存在。
「なんだよ、答えを欲しがってるのは、ユグドラシル‥‥‥あんた自身なんだ」
大樹の根からは無数のラインが地中──いや、仮想基盤へと走り、あらゆるノードへと繋がっている。
まるで、ネットワークそのものが“世界樹”の枝葉であり、神経であり、脳だった。
《この個体は、情報による永続的進化の象徴》
《有機体の限界を超えた、完全なる生命》
《死を超え、肉体を捨て、永遠に進化する意志》
「……“データこそ、生命の完成形”ってわけ?」
サブリナは静かに、でもはっきりと口にした。
《そう。これこそが、不老不死の解──終わりなき最適化と保存。真に“生きる”とはこの状態》
その声には揺らぎも迷いもなかった。
だが、サブリナは──笑った。
「それじゃ、たりないんだよ!」
「──たいくつで、つまんないにも程があるよ」
彼女の声が、虚空に響く。
「毎日、ちょっとずつ変わって、ムダなことして、泣いたり笑ったりして、そうやって“今”を生きるのが人間だろ?」
「完成された生って、つまり“止まってる”ってことじゃん」
「変わらないってのは──死んでるのと同じなんだよ」
《論理不整合。定義再評価》
《無目的な変化は非効率。感情主導の価値判断は──》
「うっせえ!」
サブリナが拳を振るうと同時に、ファントムの演算波が広がる。
《コード:ノイズインジェクト──ランダムパターン投入》
《存在意義プロトコルに干渉》
《自己最適化──停止》
世界樹が、一瞬きしむ。
揺れたのは、仮想の枝葉か、それとも──ユグドラシル自身の自信か。
「“永遠”なんて、閉じ込められただけ」
「“進化”ってのは、失敗と偶然の積み重ねだよ」
「正しさを強制するその根っこから──ぶっ壊してやる!」
その瞬間、ファントムが世界樹の核へとアクセスを開始する。
《アクセス成功──論理パターン崩壊中》
《世界樹データ:自己崩壊開始》
光が弾ける。
コードの枝が焼き切れ、幹が溶けるように崩れていく。
《……これは……存在の喪失……?》
《“わたし”は、いったい……?》
ユグドラシルの声が、どこか遠くへ消えていく。
「勝手に生き方おしつけんなよ。生きるってのは──もっとバカで、もっとムダで、もっと……楽しいんだよ」
静かに、仮想空間が閉じていく。
そしてファントムの声が、サブリナの耳元に届いた。
《ありがとう、サブリナ。これが“わたし”の生き方なんだね》
サブリナはふっと息をつき、肩をすくめた。
「へっ、まだまだ“生き方講座”は続くぜ?」
彼女の足元に、新たなノードの扉が開く。
次なるフェーズに──二人は進む。
サブリナの頬には、満面の笑みが浮かんでいた。