第154話 ラーメン〜ハイジャック
「なるほどね……」
岩田さんが眉をひそめて頷いた。
その隣では、タイショー特製ラーメンをすすりながら、淳史くんが必死にうんうんと相槌を打っている。
あのあと、継案ビルを後にした僕たちは、駅裏にあるピンク亭へと転がり込んだ。
梢ラボが襲撃されたと聞き、さすがのタイショーも臨時休業を決めてくれていたようで、店内は完全貸し切りだ。
そして今、ラーメンを前に、朝からの出来事を一通り説明し終えたところだった。
「で、あんたは……矢吹が勝手にやったって、そう言うのね?」
サブリナが神戸氏を鋭く睨む。
彼は困ったように笑い、縛られた手を軽く持ち上げてみせた。
「正直、私も驚いてるんですよ。私は、約束通り、お二人をファントム0.7まで案内するつもりでしたよ……えっと、そろそろ私にもラーメン、いただけませんかね?」
視線は、僕たちのどんぶりに釘付けだ。
ちなみに神戸氏の手は、がっちり縛られている。
「嘘つき野郎には、ゼッッタイ食べさせないから!」
サブリナがレンゲを神戸氏の鼻先に突きつける。
神戸氏は苦笑いで首を振った。
その隣では、モモがノートパソコンを開いてカチャカチャとキーを叩いている。
「師匠、できた!」
「おお〜っ、さすが私の一番弟子!」
サブリナがモモの頭を撫でると、モモは誇らしげにムフーッと鼻を鳴らした。
「……てかさ、店の中で堂々とPC広げて大丈夫なの? また制御を奪われたりしない?」
僕が突っ込むと、サブリナはニヤリと笑う。
「大丈夫。そのためにモモにやらせたのよ。今、この端末は“大樹ネット”以外の通信を全部遮断してある」
「大樹ネット……って、異世界で使ってたやつ? こっちの世界でも繋がるの?」
「たぶんね。ほら」
サブリナが気のアイコンをクリックすると、ネット接続の表示が現れた。
……ほんとに繋がってる。すご。
「基本的に、モリッチの左手の近くにいると通信できるっぽいんだよね。つまり、“モリッチアンテナ”ってわけ」
──なにその理屈。こじらせ感すごい
『そりゃ、大樹との交信をしてるってことだな』
ドリーがモニターを覗き込みながら、ぼそっと呟いた。
「見て! 私のも繋がるよ!」
モモが自分のノートPCを掲げる。……色がドピンクなのは気になるけど。
『たぶん、こいつも“大樹の加護”を体に宿してんだろうな』
モモはまたムフンと鼻を鳴らし、サブリナが頭をわしゃわしゃ撫でる。
「さすが我が弟子! 頼りになる〜!」
──その様が、子供が子供を褒めてるように見えるの、僕だけ?
「でさ、本当にそれ安全なの? 盗聴とか、大丈夫?」
「安心しなさーい! 他の通信回線は全部シャットアウト、大樹ネット以外は完全に遮断済み。外部からの干渉はゼロよ!」
「……それ、モモが一人でやったの?」
「当然じゃん。楽勝〜♪」
サブリナがドヤ顔で胸を張り、モモも誇らしげにコクコク頷く。
──はいはい、よき師弟関係ですね。ちょっと羨ましいんですけど。
理屈はさっぱりだけど、実際ネットにはちゃんと繋がってるし、外部とは遮断されている。
情報漏洩の心配もなさそうだ。
モモの話によると、これは「植物が持つ生体振動と電磁共鳴を組み合わせた秘匿信号」を使って通信しているらしい。
彼女はその仕組みを《大樹語》と呼んでいた。
モモ……君、いったい何歳?
「植物同士が微弱な振動や化学反応で“やり取り”してるって話、聞いたことあるでしょ? あれを高度にチューニングして、通信プロトコルに落とし込んだの」
そう言ってモモが見せてくれたログ画面には、緑色のパルス波と、意味不明な文字列がちらちら流れていた。
──これ……言語ってこと?
どっちかっていうと、植物の心電図みたいにしか見えないんだけど。
『見ても無駄だぞ。こいつみたいに“大樹の加護”を持ってて、植物との親和性がないと意味は成さねえ。ま、翻訳機でも作れりゃ話は別だがな』
ドリーがモモの肩の上から覗き込み、肩をすくめる。
「まあ、それをデコードしてんのが“大樹ネット”のプログラム。いわば翻訳機なんだけどね〜」
サブリナがさらっと言ってのけたが──うん、説明はありがたいけど、全然わからない。
「それ、相当な技術ですよ……君、うちに来て働いてみません?」
神戸氏が思わず身を乗り出してスカウトを始めた。
「裏切り者のくせにスカウトすんな! 貴様は死刑確定なの!」
レンゲ片手に、サブリナがぴしゃり。
神戸氏は情けない笑みで肩をすくめる。
「も〜、サブリンさんは厳しいなあ……」
──なんか、場の空気ぬるくない?
「それより、早くファントム行かないと! うちの会社、マジでもたないって!」
「だよな。おい、早くファントムのところに連れてってくれ」
僕とサブリナが神戸氏をせっついていると──
ピンク亭のドアがバン! と開け放たれた。
「局長――!」
矢吹さんが、汗だくの顔で駆け込んできた。
……って、この人なんで今さら?
「おいおい、何しに来たんだよ。裏切り者さん」
岩田さんが椅子にふんぞり返ったまま冷ややかに言い放つ。
淳史くんは驚いて、腰の銃に手を掛けた。
だが、矢吹さんはそんな反応に構っていられない様子だった。
手にした専用端末を差し出しながら、声を震わせる。
「私が選んだ選択は、間違っていたとは思っていません」
そして僕らをじろりと睨んだ。
「あのまま、おとなしく拘束されていればよかったのに、あなた達が軽率な行動──つまり、SYUGOSYAへの反抗的な行動を取ったせいで、状況は更に悪化してしまった」
──状況が悪化?
「どういうことだ」
神戸氏が眉をひそめる。
「ファントム実験施設が……応答を停止しました!」
「……は?」サブリナが目を細める。
神戸氏も表情をこわばらせ、矢吹の端末の画面を覗き込んだ。
「……まさか、もう乗っ取られたのか?」
「そうです。“コード:オーバーライド”が発動しています。
制御施設の外部アクセスログから、強制書き換えが始まっているのが確認されました。ファントムごと、何者かにハイジャックされたんです!」
──タリスマンエコーに対抗するための切り札が、乗っ取られた!?