第152話 棒に振る
僕とサブリナは、手錠で腕を後ろ手にされ、腰に一本のロープで繋がれていた。
装甲車や黒塗りの車がぎっしり並ぶ中を、僕たちは無言で歩かされていく。
「ちょっと、引っぱらないでよ! 肩、外れそうなんだけど!」
サブリナが文句を言うと、背の高い矢吹さんが腰をかがめて、申し訳なさそうに頭を下げた。
「す、すみません……」
「サブリナ、こっちは捕まった側なんだから、少しは大人しなよ」
僕が小声でたしなめると、彼女はふくれっ面のまま、ぷいっと顔をそらした。
「だってヤブッチ、背が高すぎるんだもん。ロープ突っ張って痛いってば」
——ヤブッチ……誰のことかと思えば矢吹さんのあだ名らしい。
その矢吹さんが、サブリナの耳元でそっと囁いた。
「……私たちの携帯はまだ生きています。言葉に気をつけてください」
僕とサブリナは、無言でコクコクとうなずいた。
それから、けっこうな距離を歩かされた。車列を抜けた先で、黒いSUVの後部座席に押し込まれる。
何も言わないまま、車は静かに走り出した。
助手席には矢吹さん。
彼女は振り返ったまま、僕たちに銃口を向けている。
「抵抗はしないでください。特に森川さん、ブレスレットには絶対に触れないように」
霧影山でドリーを知っている彼女は、僕たちの事情をすべて把握している。完全に手の内を読まれている。
車窓の外を見ると、車は広原駅方面へ向かっていた。
駅前通りには車こそ少ないが、人通りは普段と変わらない。
スマホ片手にのんびり歩く人たち。この街が今まさにAIに支配されつつあるなんて、誰も想像すらしていないだろう。
やがて車は、駅前で最も高いビルの地下駐車場に滑り込む。
そこで停車すると、僕たちは無理やりエレベーターに押し込まれた。
最上階。
扉が開くと、白く無機質な通路が現れる。空気は冷たく、肌を刺すようだった。
突き当たりの重厚な金属扉が開き、中に通される。
ワンルームほどの広さに、鉄製のテーブルと椅子が一組。壁も床も天井も白一色で、まるで密閉された実験室のようだ。
──監禁室、ってところか。
僕とサブリナは中に押し込まれ、扉が閉まると同時に、場が静まり返った。
数分後、再び扉が開いて、矢吹さんが紙コップを二つ手に戻ってくる。
「ここには通信機器も監視カメラも一切ありません。話しても大丈夫です」
そう言って「コーヒーです」と微笑みながら、コップを机に置いた。
「手錠、外してもらわないと飲めないんですが……」
僕が指摘すると、矢吹さんは「あっ、ごめんなさい」と慌てて僕の右手の手錠を外し、代わりに机の脚に繋ぎ直す。
サブリナも同様に、片手だけが自由になった。
……ん? どこか引っかかる。
でも、とりあえずコップを取る。
香ばしい香り。熱くて、いい匂いだ。
「熱っつ!」
サブリナが唇をすぼめ、息で冷ましながら飲む。
「神戸さんは?」
僕が訊くと、矢吹さんは即答した。
「まだ現場です」
「ねえ、ここからどうやって移動するの? ファントムの場所に行くんだよね?」
サブリナがコップのふちをつまみながら尋ねる。
矢吹さんは少し言葉を止めた。
「ヤブッチ、いつ移動すんの?」
もう一度、ハッキリと問い直す。
矢吹さんは視線をそらし、小さく呟いた。
「移動は、しません」
「……え、このビルにあるの? ファントム0.7。でも、あれってめちゃくちゃ大きいって聞いてるけど」
「ここにファントムはありません。そして……ここから移動することもありません」
今度は僕たちの目をまっすぐ見て、はっきりと言った。
「……どういう意味?」
僕が問うと、矢吹さんはため息をついて、告げた。
「申し訳ありませんが、お二人には──しばらくここにいてもらいます」
「もしかして……まんまと騙されたってこと?」
率直に聞くと、矢吹さんは苦しげな表情を浮かべた。
「皆さんを欺いたことは……謝ります。でも、これも日本の安全のためなんです」
「安全のため?」
サブリナが目を細める。
「SYUGOSYAに言われたんです。梢ラボを解体し、大樹を破壊すれば、干渉は行わないと」
「それ、信じたの?」
「信じたかどうかではありません。安全を得るためには、信じる信じないなんて贅沢は言っていられません。違いますか?」
その顔からは、感情がすっかり抜け落ちていた。
「安全を棒に振るようなリスクは、国として取れないんです。守るというのは、そういうことです」
——なるほどね。
「“棒に振る”、か……。でもさ、それ、逆じゃない?」
サブリナが苦笑した。
「向こうが仕掛けてきたゲームで、言いなりになるのって、それこそ全部を棒に振るってことじゃないの?」
矢吹さんは一瞬唇を噛み、視線を泳がせる。
そして何も言わず、静かに部屋を出ていった。
僕は、ぬるくなったコーヒーを一気に飲み干す。
サブリナは肘をついて、ふてくされたようにため息をついた。
「……まずいな。このままじゃ、会社も破られて、大樹を奪われるぞ」
「だねー。でもファントム使えなきゃ、どのみち詰みだけどね」
「……とりあえず、テーブル持ち上げるから、手錠抜きなよ」
そう言ってテーブルに手をかけるが——びくともしない。
足元を見ると、金属の脚が床に直接ボルトで固定されていた。
「ダメだ、こりゃ」
「でしょ」
サブリナが両手を挙げ、あきれたように肩をすくめた。
——となると、選択肢は一つか。
「グリー? いるんだろ?」
『いない』
……いや、いないやつが返事するかよ。
「この手錠、なんとかならない?」
『無理』
無理ってなんだよ! 守護精霊様!!
『あのさー、私だって無敵じゃないんだよ。そんな念動力みたいなこと、できるわけないでしょ』
「でも、結界張ったり、草木を操ったりしてたじゃん」
『結界は張れるよ。植物があれば操れる。でも、ここ何にもないじゃん』
確かに……
コンクリートと鉄に囲まれた、無機質なこの部屋じゃ、どうしようもない。
——こりゃ本格的に詰んでるかもな。
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