第150話 僕らの武器
神戸氏は静かに息を吐き、慎重に言葉を選びながら説明した。
「ファントム0.7――正式名称は『Phase Adjustment Neural-Tuned Organic Machine version 0.7』。自己修復と自己最適化を繰り返す、有機量子演算体です。演算自体が、生き物のように進化する。普通の量子コンピュータとは、まるで別物ですよ」
そう言いながら、彼は苦笑いを浮かべた。
「……まあ、その存在自体が国家機密レベルなんですけど。まだ実用フェーズに入ってない。試作機です」
「そんなヤバそうな試作機、動かして大丈夫なんですか?」
思わず口を挟むと、神戸氏は肩をすくめ、手をひらひらさせた。
「正直、平気じゃないでしょうね。というか、平気かどうかも分かってない。“とりあえず動かしてみた”ってノリで作られた代物ですから」
……それ、一番危ないやつじゃん。
不安になって隣を見ると、サブリナがなぜか顔を紅潮させ、目をキラキラ輝かせていた。
「お前……怖くないのかよ」
「怖い? 最高でしょ、こんなチャンス!」
テンションがバグってる。
そこへ梢社長が不思議そうに首をかしげた。
「なんかさあ、AIに対抗するためにまた別のAI使うって……それってどうなの?」
「まあ、ぶっちゃけファントム0.7って、即席でAIを組むようなもんだしねー」
「そんな即席AIで勝てるのか?」
僕がツッコミを入れると、サブリナはにやりと笑って親指を立てた。
「大丈夫。あいつらの脳みそ、ごっちゃごちゃにしてやるから!」
「できるのかよ?」
「全部ぶっ壊すのは無理でも、一部だけ制御奪えれば十分でしょ?」
「そんなもんでいいの?」
「そんなもんでいいの!」
——自信満々かよ。
神戸氏が手を挙げて補足する。
「一応、理論上ですが、ファントム0.7は量子ビットにより現行の最新AIモデルの数十倍の演算能力があります。……理論上は、ですが」
彼は表情を引き締めて続けた。
「でも、本当の問題は移動手段です。できる限り気づかれずに行動する必要がある」
その言葉に、梢社長がまた首をひねる。
「そんなの簡単じゃん。戦っちゃえばいいんでしょ?」
「いやいや、今“戦わずに協力しよう”って話してたばかりですよね?」
「でもさ、仲良しごっこしてたら、バレるの早くない? 私、ウソつくの苦手だし」
——ですよねー。
「だったら、サブリナと森川くんが捕まっちゃえばいいじゃん」
いいじゃんって……軽っ!
「それで『ファントム0.7』がある場所まで、しれっと連行してもらう。名案でしょ?」
なるほど……って、えええ!?
つまり、サブリナと僕が“わざと”捕まって、ファントム0.7のある施設まで連れて行ってもらうってこと!?
「なんで僕まで!?」
「サブちゃんだけじゃ心配じゃん。いざとなったら森川くんがなんとかしなよ〜。一応、男の子なんだし?」
正真正銘、男の子ですが……そんな雑なパスある!?
腕を組み考え込んでいた神戸氏が、ぼそりとつぶやく。
「それはアリですね。というか、それくらいしか現実的な方法がないかもしれません」
え、まさかこの流れで本決まり……?
「それに、貧相な森川さんとサブリナさんなら、いかにも捕まりやすそうですし」
おい。意外と傷つくんだぞ、僕だって!
「よし、じゃあさっそく準備しよ!」
梢社長がぱっと立ち上がって、楽しそうに声を上げた。
「みんな〜、名演技、期待してるからね〜!」
いやいや、そんなテンションで言われても……!
▽▽▽
気がつけば、会社は黒塗りの車と装甲車に包囲されていた。数台どころじゃない。これはもう、ちょっとした包囲戦だ。
しかも、車の影にはダークスーツの集団。手には銃のようなものまで握っている。
まさに一触即発――いや、もう始まってるんじゃないかってくらいの緊張感。
「この付近一帯、現在は道路封鎖してますのでご安心を」
いや、まったく安心できませんけど!?
「こんな状況なのに、なんか嬉しそうですね……」
ジト目で神戸氏を見ると、彼は指をパチンと鳴らして、ニヤリと笑った。
「だって考えてくださいよ。あの梢ラボラトリーへの“殴り込み”ですよ? 念願だったんです、夢にまで見た本丸強襲。震えが止まりません!」
——念願だったんだ‥‥‥。
「って、あくまで演技ですからね! 本当に攻撃しちゃダメっすよ!」
「わかってますって。でも、本気でやらないとバレちゃうかもしれないでしょ? 全力でやらなきゃ!」
——この人、絶対“あわよくば”狙ってる……。
「それじゃあ、1時間後に突入しますので、よろしくお願いしまーす!」
満面の笑顔でぶんぶんと手を振りながら、神戸氏と矢吹さんは会社を後にした。
さて。準備することは、特にない。
とりあえず、デスクの上を片付けておく。
攻撃はあくまで外壁だけで、内部は梢社長の結界で守られる予定だ。
とはいえ、何が起きるか分からないし、整理しておくに越したことはない。
梢社長とドン殿下は、大樹管理連盟への報告のため異世界へ向かっている。
攻撃開始前には戻る予定だけど、できれば早く帰ってきてほしい……。
――情報戦。
これまで僕たちは、大樹の加護に守られていた。
でも、今回の戦いはまったく質が違う。正直、どう転ぶかなんて想像もつかない。
そんなことを考えているうちに、自然と足が“大樹の部屋”へ向かっていた。
変わらぬ威厳を放つ大樹の根元で、サブリナがもたれかかるように眠っていた。
足を投げ出し、背中を預け、目を閉じている。
俺は静かに隣に腰を下ろした。
頭上では、大樹の葉が風に揺れて、やわらかな音を立てている。
「モリッチ。この三ヶ月、楽しかったよな」
「……なんだよ急に」
「楽しくなかった?」
サブリナは目を開けて、俺を見る。
俺は肩をすくめた。
「めちゃめちゃ楽しかった」
「だよな」
二人で、ふっと笑い合う。
「私さ、名誉とかお金とか、正直あんまり興味ないんだよね。“今”が楽しいかどうか。それが全てだって思った」
「……世界的ハッカーらしくない発言だな」
「うん、そうかも。でもさ、名前が売れて金が入ってきた時も、嬉しかったのは最初だけ。すぐ飽きちゃった」
彼女は少し遠くを見ながら、微かにアハハと笑った。
「そんな自分が嫌でさ。うじうじ悩んでた時に、大樹に触れたの。……そしたら、“何も考えなくていいよ。今、今のままでいい”って、そう言われた気がしたんだ」
——あったな、そんなこと。
「その時から、名誉とかお金とか、ほんとにどうでもよくなった。すごく楽になったんだ。だからこそ、目的とか意味とか、そういう価値観を押し付けてくる奴らが許せないの」
一瞬だけ、真っ直ぐに僕を見た。
「そういう奴らには、全身全霊で“NO”を突きつけてやる。それが、今の私」
そしてまた、ゆっくりと大樹を見上げた。
「なぁ、勝てるのか? 相手は巨大企業の最新型AIなんだぞ」
タリスマン・エコーのAI。
効率を極め、完璧を追求するように設計された知性体。弱点なんて、まるで思いつかない。
だけど――
サブリナは微笑み、きっぱりと言い切った。
「簡単だよ。あいつらが信じて疑わない“正しさ”を、まるごと否定してやるの。……それだけ」
その目には、一切の迷いがなかった。
大樹の葉が、ざわざわと風に共鳴するように揺れた。
「私たちには、唯一にして最強の武器があるよ。
不完全で、正しくなくて、失敗ばかりで、怠け者で……でも、楽しいことばっかり求めてる——
そんな“今を生きる”強さ。……それが、私たちの武器だよ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなった。
自然と、言葉がこぼれる。
「そりゃ最強だな」
「だろ?」
俺とサブリナは、同時に笑った。
頭の上で、緑の葉がやさしく揺れていた。
大樹の根元で、世界がちょっとだけ変わる予感がした。
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