第149話 反旗は、静かに
息が詰まりそうな室内。
そんな中でも、梢社長だけは相変わらず可愛らしいしぐさで首を傾げていた。
「ねえ、神戸君。……あなたたち、『梢ラボラトリーを排除するから協力しろ』って言ってきたって言ったわよね。それ、本当?」
神戸氏をじっと見つめながら、梢社長が問いかける。
その視線を受けて、神戸氏はわずかに目を泳がせた。
「……ホントは——協力しろ、じゃなくて、排除しろ、だったんじゃない?」
畳みかけるようなその言葉に、神戸氏は俯き、苦笑を浮かべる。
「……かなわないな。だとしたら、どうします?」
ニヤリと口元を歪めながら、神戸氏がこちらを見る。
「今この会社は、我々の“処理班”に完全に包囲されています。手前味噌ですが、皆それなりの連中ですし、武装もしている。……皆さんでも、手こずるでしょうね」
そう言って、神戸氏は背後に立つ矢崎さんにちらりと視線を向けた。
矢崎さんは、無表情のままこちらを見回す。
その目には、ためらいも憐れみもない。あるのはただ、任務を遂行する冷ややかな意志だけ。
彼女は、処理班の責任者。
本気で戦えば、こちらも容赦なく“やり合う”ことになる。
僕は知っている。彼女がどれほどの強者か。
そして同時に、彼女も梢ラボの実力を知っているはずだった。
空気が、限界まで張り詰めていく。
誰もが動けない。ただ一人を除いて——。
「それは困ったわねぇ」
梢社長が頬に手を当て、可愛らしく首を傾げた。
その声は、どこまでも柔らかい。だが、その内側には底知れぬ自信を感じた。
そして、思いついたようにパチンと指を鳴らし、無邪気に笑う。
「もう一つ、聞いてもいい?」
わざとらしく首をかしげたまま、神戸氏を見上げる。
一呼吸、間を置き——唇の端をいたずらっぽく持ち上げた。
「神戸君。あなた……タリスマン・エコーだっけ? そいつらに、梢ラボラトリーが負けると思ってる?」
梢社長の目が、神戸氏を真っすぐに射抜いた。
部屋の空気が、まるで凍りついたように静まり返る。
一秒、また一秒——。
その沈黙を破ったのは、神戸氏の大笑いだった。
「ハッ、ハハハハハハッ……!」
腹を抱え、肩を震わせ、涙を流しながら笑う神戸氏。
しばらくして、ようやく息を整え、目尻をぬぐいながら言った。
「ホント、梢さんにはかなわないな……! この状況でそれを言えるんだから、すごいですよ!」
肩で息をしながら、それでも楽しそうに笑い続けている。
「で……勝てるんですか?」
その問いに、梢社長は静かに、だが毅然と答えた。
「うーん、わかんない。でも——勝てないと困るでしょ?」
その笑みは、太陽のように明るく。同時に、氷のように冷たかった。
「さっき、君も言ったよね? 『対抗する手段はない』って」
その一言で、神戸氏の笑いがピタリと止まる。
彼は黙って、梢社長をじっと見つめた。
梢社長は小さく息を吸い込み、言葉を重ねる。
「奴らも、わかってるんだよ。だから、私たちを……排除しにきたの。
対抗できるのは、梢ラボラトリーだけだから」
その言葉と同時に、彼女は満面の笑みを浮かべた。
それは、恐ろしく、気高く、美しい笑みだった。
神戸氏は動かず、ただ彼女を見つめ続ける。
空気が、さらに重くなる。
矢崎さんが、ゆっくりと拳を握りしめた。
その気配に呼応するように、背後のオフィーが木刀の柄をギュッと握りしめる。
呼吸すら苦しい。まるで酸素が薄くなったようだった。
——次に動くのは、誰だ?
その刹那。
神戸氏が、再び高らかに笑った。
「わかりました。いいでしょう! で、我々は、どうすればいいんですか?」
その一言を合図に、場の緊張が一気にほどけていく。
矢崎さんも、オフィーも、静かに威圧を解いた。
僕は、張りつめていた息を腹の底からゆっくりと吐き出す。
そのとき、隣にいたサブリナがふいに顔を上げた。
「ねえ、『ファントム0.7』使わせてくんない?」
神戸氏の眉がピクリと動いた。
「あいつらの動き、見てわかったでしょ? ……奴らは、高次元AIだよ」
神戸氏は無言でサブリナを見返す。
「好き放題させたくないなら、こっちもそれに見合うデバイスが必要なの。
あるんでしょ、『ファントム0.7』」
サブリナの瞳の奥に、燃えるような決意が見えた。
それを感じ取ったのか、梢社長が横から無邪気に口を挟む。
「なになに? その『ファントム0.7』って?」
「現時点での最高最速の高速処理型——しかも、自己修復と自己最適化が可能な『有機量子コンピューター』」
サブリナが流れるように答えると、梢社長は「ほへー」と声を上げた。
「……ねえ、それで格ゲーやったら無敵?」
「できるわけないでしょ! 国の最高機密だよ!」
神戸氏が即ツッコミを入れる。
そして、コホンと一つ咳払いし、サブリナを見る。
「どこでその情報を……?」
「さてね?」と、わざとらしく肩をすくめるサブリナ。
小さく笑いながら、くいっと首をかしげた。
そして今度は、挑発するような視線で神戸氏を見据える。
「で、あるの? ないの?
あるなら——私がユグドラシルを、ギッタンギッタにしてやる」
悪魔のような笑みを浮かべて、サブリナはそう言った。
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