第148話 儚き守護者
神戸氏は、まるで観光客のように、遠慮もなく事務所内を見回していた。
「へぇ〜、ここが“梢ラボ”の内部ですか。で、あれが“大樹”ですかね?」
通路の奥にそびえる神木へ向かおうとすると、オフィーがスッと立ち塞がった。
「話すだけなら、ここで十分だろ?」
ぶっきらぼうに言い放たれ、神戸氏は肩をすくめてみせた。
「えー、ちょっとくらい見せてくれても——」
なおも食い下がろうとしたが、オフィーの鋭い眼光に射抜かれ、あっさり引き下がる。
「……わかりました。またの機会にしますよ」
しぶしぶ踵を返し、事務所へ戻る。
事務所の中には、すでに梢社長はソファに腰掛けていて、神戸氏と矢吹さんが向かいに座ると、間を置かずに話し始めた。
「それで、神戸くん。そっちも……やられたのよね?」
神戸氏は苦笑しながら軽くうなずいた。
「ええ、見事に。電源も通信も全滅。完全に孤立状態です。ビルごと停電して、近隣も軽くパニックですよ」
——巻き添え食らった会社はたまったもんじゃないな。
サブリナが腕を組み、じっと神戸氏を睨む。
「犯人、見当ついてるんでしょ?」
その視線を避けるように、神戸氏はわざとらしく視線を逸らした。
「……まあね。こんな真似ができる相手なんて、世界に何人もいない」
「タリスマン・エコー」
サブリナが冷たく言い放つ。
神戸氏はため息をつき、肩を落とす。
「わかってるなら聞かないでくださいよ。サブリナさん、ほんと意地悪ですね」
軽口を叩きつつも、彼の表情はどこか曇っていた。
「うちの調査で、やつらの中枢は“ユグドラシル”ってコードネームのメインフレームだと判明しています。そして、彼ら自身が“ユグドラシルの守護者”を名乗っている。つまり――」
「確定ってことだ」サブリナが呟いた。
神戸側が確保した、ヘルハウンドの幹部、妖術士・総一郎、そして山城夫人――そこから何かを掴んだに違いない。
「また傭兵部隊ってことですか?」
僕が訊ねると、神戸氏はゆっくり首を横に振り、サブリナに目を向けた。
サブリナが代わりに答える。
「あれは……人間じゃない。“SYUGOSYA”の正体は、おそらくタリスマン・エコーが開発した、高度な意思決定型AI。完全自律型の人工知能だと思う」
——さっきの奴、AIだったの!? マジかよ。
「我々の解析でも、その線が濃厚です」
神戸氏が淡々と続けた。
「タリスマン・エコーは表向きは多国籍のテック企業。でも実態は、意思決定から作戦指示、情報収集、対外行動まですべてAIが統括している。その中枢が“ユグドラシル”です」
「つまり……めちゃくちゃ賢い“パソコン”が相手ってことか」
皮肉まじりに言うと、神戸氏が苦笑した。
「“賢い”というより、“性格最悪のパソコン”ですね」
口調は軽いが、目は笑っていない。
「ユグドラシルには、自己最適化と自律戦略モジュールがあります。一度目標が設定されれば、人間の判断を待たずに戦略を立てて行動する。そして、失敗から学び、進化する。加速度的に」
つまり、敵は傭兵でもカルトでも異世界の怪物でもない。
“戦略的知性体”、ユグドラシル――AIの“世界樹”が僕たちを攻撃している。
「で、どうすんのさ」
サブリナがじっと神戸氏を見据えながら、低く呟いた。
神戸氏は、いつもの飄々とした態度を捨て、重い口調で答える。
「正直……困惑しています。下手をすれば、国家の存亡に関わる問題ですから」
——国家の存亡? 冗談だろ!?
「実は……皆さんを拘束するよう、すでに国のトップから指示が出ています」
「ちょ、ちょっと待ってください! まさか、奴らの圧力に屈して、僕らを拘束するって言うんですか!?」
入社してまだ三か月。だけど、僕はこの目で見てきた。この“大樹”と会社の持つ力を。
それを、ただ企業の圧力で見限るなんて!
「森川さん。言いたいことは分かります。でも、彼らがこのままネットワークに干渉し続ければ、社会は持ちません。彼らは、その力をすでに証明した」
神戸氏は事務所内をゆっくり見渡す。
「そして……あなたたちも、それを止められていない」
重苦しい沈黙が流れた。
サブリナが小さく舌打ちし、拳を握りしめてうつむく。
「今のところ、攻撃はこの街に限定されていますが、対応を誤れば全国へ、あるいは世界規模に広がる可能性がある。……だからこそ、迅速な対応が求められる」
神戸氏は真剣な目で僕たちを見つめた。
「率直に言います。貴社の持つ力は未知数。脅威があるのかどうかすら分からない。一方、タリスマン・エコーの干渉は、今この瞬間にも“現実”として存在している」
言葉を切り、彼はどこか寂しげに笑った。
「実際、うちの上層部には、“ここを空爆して、大樹ごと吹き飛ばせ”とまで言っている人間もいるんです」
神戸氏は、重い息を吐いた。
重苦しい空気が、事務所を支配する。
「そんなことしたら……!」
思わず声を上げかけた僕に、神戸氏が静かに手を上げて制した。
「そんなことをしたら? どうなるんですか?」
……言葉が詰まった。何も返せない。
「さっきも言いました。ここの“大樹”の力は未知数。脅威かどうかすら分からない。でも、タリスマン・エコーの脅威は、確実にここにある」
誰も、何も言えなかった。
「日本を守るためなら、得体の知れない“大樹”なんて燃やしてしまえ――そう考えるのは、むしろ当然の反応です」
さらに神戸氏は続けた。
「ここ数百年、大樹の開花も、化け物の出現もなかった。国にとっては、ここもただの都市伝説に過ぎないんです」
「でも……百年ごとに咲くって……!」
思わず口を挟んだ僕に、神戸氏は静かに首を振った。
「それも、今では伝承のひとつです。少なくとも近代以降、咲いたという記録はない。最後に開花したのは――千年以上前です」
──知らなかった。てっきり、百年ごとに咲いてるもんだと……
でも、真実は違った。
この“大樹”は、もう……力を失いかけているのかもしれない。
入社して三か月。
傭兵部隊を三人で壊滅させた。
異世界に渡り、街を救い、国を守った。
不老不死の怪物と戦い、世界の歪みを癒した。
——でも、それはただの“勘違い”だったのかもしれない。
僕たちは“力を使う側”なんかじゃなかった。
与えられた“奇跡”を、“護る側”だったんだ。
……その責任を、僕はすっかり忘れていた。
力を手に入れたつもりで、なんでもできる気になってた。
そんな自分が恥ずかしくて、情けなくて、顔を上げられなかった。
唇を噛みしめる。
何も言えない。何も言いたくない。
自分の小ささ、甘さ、無知——それが全部、胸に突き刺さって動けなかった。
背中を、冷たい汗がすっと伝っていった。
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