第143話 ヤバイ
「いらっしゃーい!……って、あれ、森川くんか」
ドアを開けると、いつもの元気な詩織さんの声が飛んできた。
「ども」
軽く手を挙げて応える。店内は意外なほど空いていて、カウンターにはお客が一人だけ。
——こんなガラガラ、珍しいな。
しかも、そのカウンターの一人は明らかに“客”じゃない。
「どうしたの? 今日は日曜でしょ、会社はお休みじゃない?」
「ちょっとね。二階、空いてる?」
僕の後ろの人物に気づいた詩織さんの目が、ぱっと大きく見開かれる。
「お久しぶりですね、詩織さん」
ぺこりと丁寧に挨拶するドン殿下。
「あら〜、ドン殿下じゃない!」
「殿下って、詩織さんとも顔見知りだったんですね」
「もちろん。でも、お店に来るのは初めてかな?」
僕は小声で詩織さんに耳打ちする。「殿下、お店は初めて来たんだって」
「あー、そうかもねー」
そのとき、カウンター奥から淳史くんが顔を出してきた。
「森川さん、いらっしゃい……その方は?」
「ドングラン殿下。梢ラボの……あっち側の人」
「あー……」
苦笑する淳史くんに、殿下は軽く会釈。それから、カウンターで背を向けてPCを叩いているサブリナにも声をかける。
「サブリナも、元気そうだね?」
「オヒサー! ドンチー!」
顔も向けずに、手だけひょいと上げ雑な挨をするサブリナ。詩織さんが僕の耳元でひそひそ。
「なんかねー、すっごい忙しいらしいよ」
「仕事?」
僕が聞くと、サブリナは勢いよく振り向いた。
「私は今、きわめて! きっわっめって! 忙しいの! モリッチみたいに“ボサーッ”としてられないのよ!」
「……日曜なのに?」
「曜日なんて関係ないの! デジタルは24時間戦争だからね!」
そのままさらにヒートアップ。
「どうせモリッチは、クリスマスにツバッチーをどこに誘おうかな〜、なんて邪なことをボサーッと考えてんでしょ! 緊張感なし男!」
——ドキッ!
「まったく、パンピーはめでたいよな! ボサーッとしてりゃいいんだから! “ボサーッ”と!」
“ボサーッ”のところだけ、大げさに肩をガクンと落として、何度も繰り返してくる。
そしてすぐにPCに戻り、ぶつぶつ言いながらキーボードを叩き始めた。
——もしかして、本業でトラブってる?
サブリナはこう見えて、世界的に有名な凄腕ハッカー。
今は“喫茶こかげ”に居候しながら、梢ラボのIT整備を手伝っている(たぶん)。
だけど、実際は社内トラブルにも首を突っ込みまくり、もはや欠かせない存在になっている。
とはいえ、今日の彼女は明らかに様子がおかしい。巻き込まれたら絶対ロクなことにならない!
「じゃ、上に行きますね」
そう言って、そそくさとその場を離脱。僕が階段を上がると、殿下も「サブリナ、ほんとに忙しそうだねー」と心配そうについてきた。
二階の小部屋で席に着くと、詩織さんが水を持ってきてくれた。
「いらっしゃーい。殿下もご無沙汰ですねー。今はこっちに?」
「そうなんですよ。しばらく滞在する予定なんで、よろしくね」
軽く挨拶を交わしつつ、僕は唐揚げ定食を注文。殿下も同じものを頼んだ。
詩織さんが下がると、殿下がにっこり笑ってこちらを見る。
「聞いたよ。みんなで社員旅行に行ったんだって?」
——あー、その話か……
「行きたかったなー、温泉旅行。楽しかったようだね?」
いじわるな笑顔で、水を飲みながらじっと僕を見てくる。
「大変だったよ。御神木のコピーにカルト教団、ヘルハウンドまで来たんだから」
「聞いた聞いた! 相変わらずユーイチは引きが強いよね〜」
——そのネタ、もうお腹いっぱいです。
社員旅行——。
急に決まったその旅は、まあ……予想通りというか、いや、予想以上に地獄だった。
御神木のコピー、怪しすぎるカルト教団、さらに傭兵部隊“ヘルハウンド”まで乱入してきて、現場は修羅場。
笑えるどころか、リアルに命の危機だった。
「大樹卿やルリアーナさんまで一緒だったんでしょ?」
……いや、あの人たちは“勝手に”来たんだけど。
「そこまで知ってるんだ」
呆れ気味に返すと、殿下は肩をすくめてニヤリ。
「知ってるさー。大樹卿なんて、温泉饅頭までお土産に持ってきてくれてさ。
『お前は声がかからなくて気の毒じゃの〜』って、ドヤ顔で自慢されたよ」
——のじゃロリ大樹卿。あなたにも声かけてないけどね!
「えー! 今度はドンくんも一緒にいこーよー」
料理を運んできた詩織さんが、にこにこと笑いながら入ってきた。
「ぜひぜひ!」と、ドン殿下も嬉しそうに返す。
——今度は、って。また社員旅行やる気か!?
詩織さんは唐揚げ定食を並べたあと、そのまま僕の隣にストンと腰を下ろす。
「でさー、今度は私たちを異世界? 一緒に連れてってほしーなー」
「なに言い出してんですか! 異世界なんて無理に決まってるでしょ!」
「え、いいんじゃない? みんなで行こうよ。そういえばユーイチも言ってたよね。カオカオ湖でバーベキューしようって」
カオカオ湖……あの、やたら綺麗だった湖のことか?
確かに言いましたよ。言いましたけども……そんなノリで異世界旅行を決定しちゃっていいんですか?
僕の不安をよそに、詩織さんはドン殿下の言葉に有頂天で手を挙げた。
「やったね! 異世界! 一度は行ってみたかったんだよねー! レッツゴーだね!」
と、大はしゃぎ。
一度って……海外旅行みたいなノリで言わないでほしい。
異世界だよ? 異・世・界。
「せっかくだから、クリパも異世界でやっちゃう?」
詩織さんが目をキラキラさせながら言う。一見冗談のようで、目が本気だ。
「クリパ?」とドン殿下が僕に視線を送る。
「クリスマスパーティーですよ。こっちの……年間行事の一つ? みたいな」
なんとも説明が雑だったけど、「なるほどねー」とドン殿下は素直に頷く。
「でも、イブってすぐでしょ? 明後日だっけ。店も予約でいっぱいじゃない?」
そこで詩織さんが手を挙げ、不気味に笑った。
「ぜーんぶキャンセルになっちゃったから、暇だよーん」
「キャンセル? なにそれ」
そんな話でワイワイしていると、階段をドカドカと駆け上がる足音が響いた。
その主は——サブリナ。
彼女はドン殿下の隣にドカッと腰を下ろし、ノートPCをテーブルの上に広げる。
「ちょっとヤバいかもだよ!」と、いきなり叫んだ。
そして、僕の目の前の唐揚げを、迷いなくつまんでポイッと口に放り込む。
「ん〜、うまっ! 唐揚げ好き〜! ヤバイ!」
……いや、ヤバいのはお前自身だ! 唐揚げ返せ!
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