第137話 養殖場
地下に下りる階段は、思った以上に深く、高さも幅もたっぷりあった。
僕たちは、足音を立てないよう細心の注意を払いながら、ゆっくりと降りていく。
両壁に手をつくと、鍾乳洞のような、ぬめりを帯びた感触が伝わってきた。
「この階段、どこまで続いてるんだろう……」
そう思った矢先、前を行く矢吹さんが腰を落とし、じっと前方を見据えた。
その先には、朽ち果てた一枚の扉が、行く手を阻んでいた。
矢吹さんはそっと耳を当て、すぐに振り返る。
声は出さず、口の動きだけで『います』と告げた。
神戸氏と目配せを交わすと、彼女は一気に扉を押し開けた。
途端、ふわりと視界が明るくなる。
──そこは、淡いオレンジ色の光に包まれた、高い天井の広い空間だった。
床には無数の鉢植えが並び、まるで地下にある温室のようだ。
見上げると、天井から太いチューブがいくつも垂れ下がり、そこから微かな光が漏れていた。
部屋の中央には、大きな台座が、ぽつんと置かれていた。
その上には──
「……根のまゆ!」
ツバサさんが声を上げた。
そう、モモが包まれていた、あの繭だ。
その傍らには、山城夫人が立ち尽くしていた。
目を見開き、驚きと敵意の入り混じった視線をこちらに向けてくる。
──なんだ、この状況。
「これはこれは……驚きましたね」
神戸氏が夫人から目を離さず、しゃがみ込むと、近くの鉢をひとつ持ち上げた。
「これ、御神木の苗ですか?」
鉢には、若々しい緑の苗木が、まっすぐに伸びていた。
——これが御神木の苗?
ということは、この部屋一面に置かれた鉢すべてが……。
「地下にこんな養殖場があるなんて、すごいですね」
「光ファイバーで環境整備してるんですか。変なとこだけハイテクですね」
神戸氏は、天井から垂れるチューブを指さしながら言った。
「あ、LEDで補光もしてるんですね」
四隅に設置されたライトを指しながら、にやりと笑った。
「ま、異常な電力使用量が気になってたんで、こういう施設があるかもとは思ってたんですけど」
飄々と話す神戸氏に、山城夫人は警戒するように一歩後ずさる。
「……なにしに来た」
夫人が低い声で、呪うように言った。
その目は、油断なくこちらを睨み据えている。
「それ、こっちのセリフです」
神戸氏は、軽く肩をすくめながら、視線を繭へと向けた。
「いったい、ここで何をしてるんですか?」
山城夫人は無言で台座へ近づき、バッグから小瓶を取り出し、高く掲げた。
それを見て、神戸氏が指をパチンと鳴らす。
「あー、それやっぱりエリクサーですね」
——エリクサー!?
「孫を救うため、なんて感動的な話かと思いきや……結局あなたも、不老不死の誘惑には勝てなかったんですね〜」
「うるさい! うるっさい!」
怒りに任せ、首を振る夫人。
「あ、でもですね、それ——さっきすり替えときましたんで」
神戸氏は軽く肩をすくめ、悪戯っぽく笑った。
「中身、水にメロンシロップ混ぜただけです。……味は悪くないですよ」
夫人は目を見開き、小瓶を凝視する。
そして絶叫した。
「ちくしょう!」
小瓶は床に叩きつけられ、砕けた。
「あらら、もったいない。冷やすと結構イケるのに」
神戸氏は軽口を叩き続ける。
その間に、矢吹さんは、音もなく夫人の背後へ回り込んでいた。
……が。
夫人は素早く胸ポケットに手を突っ込み、もう一つの小瓶を取り出した。
「え、そっちにも持ってたんですか」
神戸氏が目を細め、声を低くする。
夫人は唇の端を歪め、ニヤリと笑った。
「これで……これで再生が始まる!」
狂気を宿した目で叫ぶと、小瓶の液体をそのまま繭に向かって振りかける。
「やめなさ——!」
神戸氏の声より早く、矢吹さんが音もなく飛びかかった。
「もう終わりです」
矢吹さんは夫人の腕を掴み、地面に押し倒して捻り上げる。
「まったく。手間ばかり増やすんだから」
神戸氏も一歩踏み出すが、途中でぴたりと止まり、台座をじっと見つめた。
僕もその視線を追う。
台の上、繭から、かすかに湯気が立ち上っていた。
……なんだ、このすえた匂いは?
次の瞬間、繭が脈打った。
生き物のように、ぐにゅりと。
「これ、ヤバくないですか……?」
僕が声を上げると、神戸氏は頷く。
「こりゃ、フラグ回収ですね。最悪だ」
繭の鼓動はどんどん速くなり、微かに光り出す。
そして、明滅し始めた。
矢吹さんは、夫人を押さえたまま後ずさり、台座から距離を取る。
狂気に満ちた夫人は、なおも髪を振り乱し、奇声を上げて笑い続けていた。
「矢吹! 下がれ!」
神戸氏が叫ぶ。
矢吹さんは夫人を引きずりながら素早く後退する。
足元の鉢植えがいくつか倒れ、土と苗が床に散らばった。
「森川さん! あれ!」
ツバサさんが叫んだ瞬間——
繭の表面を突き破り、木の枝のような、白く細い“腕”が飛び出した。
「ヒッ」
ツバサさんがかすれた悲鳴を上げる。
腕は空を掻きむしり、繭から、ぐずぐずと上半身がせり上がってくる。
そして——その顔が、ぐるりとこちらを向いた。
——あの顔、死んだはずの山城の旦那!?
「驚きましたよ。確かにあなたは亡くなったはずですが……奥さんが恋しくて戻ってきたんですか?」
神戸氏が皮肉な笑みを浮かべる。
繭から現れた山城の旦那は、どこか濁った、濁流のような瞳をしていた。
無表情のまま、ぐるりと辺りを見回す。
そして、矢吹さんに抑えられた妻へと視線を向けた。
喉の奥から、カハッと破れるような音を立てて息を吐き、自分の手をじっと見つめたかと思うと、突如、大声で笑い出した。
「いいぞ……私は再生したのか!」
頭を掻きむしりながら、天井を仰いで笑い続ける。
——再生?……だと。
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