第135話 なぜここに?
ひとっ風呂浴びて、朝食をとったあとは、皆そろって部屋へ戻り、爆睡モードに突入した。
せっかくの旅行なのに、結局、日中は寝て過ごし、夕方になってお腹がすいて起き出すという体たらく。
何も起きない日が久しぶりすぎて——そんな油断もあったと思う。
仕方なく露天風呂に入り、夕食をとろうと〈鶴の間〉へ向かうと、廊下の先から騒がしい声が響いてきた。
……なんだ、この声……どこかで聞いたような?
襖を開けると、そこには宴会場さながらの賑やかな空間が広がっていた。
そして、その中に、この場に最もそぐわない人物がいた。
「オー! 森川、いい湯だったのー!」
のじゃロリ大樹卿!? なんでここに!?
しかも、梢社長の隣に座っているのはルリアーナさんだ。コップを傾けて上機嫌に飲んでいる。
その横で、梢社長は頬を膨らませて、ぷいっとそっぽを向いていた。
「なんでここに……」
呆然と立ち尽くす僕に、のじゃロリ大樹卿がケラケラと笑いながら言った。
「ずるいぞー。皆してわしを仲間外れにして、こんな良い所に来とるんじゃからのー!」
——仲間外れって……それ、あなたが言います?
「ていうか、そもそも“大樹が監査対象”だからって追い出したの、あなた達ですよね!? そもそも監査人が現場離れちゃダメでしょう!」
「あんなもん、現場に任せておけば済むことじゃ。土産のひとつでも買って帰ればOKじゃ!」
なぜか隣にいる神戸氏が感服したように手を打った。
「いやー、まったくその通りです! 森川さん、こんな素敵な上司がいらっしゃるなら、ぜひご紹介を!」
——なぜお前まで一緒に飲んでんだ!
あなた、今ではここの従業員側でしょうが!
「そもそもがけ崩れでここには来られないはずじゃ——」
「あー、それはですね。素敵なお姉さまが全部解決してくれましたから」
神戸氏が顎で示す先には、静かに微笑むルリアーナさんの姿。
……そりゃ、お得意の魔法で一発ですよね。
そこで、のじゃロリが不意に口を開いた。
「そもそもじゃなー、ここに来たのもおぬしのせいじゃぞ?」
——おいおい、なんか言いだしたぞ、のじゃロリが。
「おぬし、ここに来てから加護の力を使ったじゃろうが」
のじゃロリがじっと睨んでくる。思わず僕は目を逸らした。
「ちょこっと……使いましたが、なにか?」
「そのせいで、まともな計測ができんようになったんじゃ」
あー、……やっぱり影響出ちゃいましたか。
ちょっと反省していると、机をバンッと叩く音が響いた。
そこには、フラフラと体を揺らす梢社長が立ち上がっていた。
「でも! 言わせてもらいますけど! 今回巻き込まれたことも、もとをたどればお姉ちゃんたちのせいなんだからね!」
突然、梢社長がキレた。当然のように、手にはコップが握られている。
……ヤバい、すでに出来上がってるな、これは。
「ここに、大樹から移植された木があったんだから! それで、てんやわんやになって大変だったんですー!」
てんやわんやって……エルフのくせに、どこでそんな日本語覚えたんだ!
「あら、それって引き継ぎ書に記載してあったよね?」
ルリアーナさんがあっさりと返す。
そして皆の視線が、梢社長に集中した。
「……引き継ぎ書? 何それ」
梢社長が固まりながら聞き返す。
「あんた、ちゃんと読んでないの? 過去の来歴含めて26冊、渡してあるよね!」
「…………」
僕らの視線を一身に受け、梢社長はその場でフリーズする。
「黒い書籍箱に入れて、ちゃんと渡してあるでしょ!」
「…………どこに?」
ルリアーナさんが盛大なため息をついた。
続いて、僕らも盛大なため息をついた。
のじゃロリ大樹卿だけが、楽しそうにケラケラ笑っていた。
この時点で、今夜は荒れた飲み会となることが確定した。
▽▽▽
あれだけガヤガヤしていた宴会も、気づけば自然とお開きになっていた。
部屋に戻って布団に入ったものの、頭が少し火照っていて眠れそうにない。
のじゃロリ大樹卿が持ち込んだ、怪しげな異世界の酒を飲んだせいだ。
隣では、岩田さんと淳史くんが大いびきをかいて眠っていた。
僕はそっと布団を抜け出した。
秋も深まり、山間のこの宿も、例に漏れず冷え込んでいる。
床に置いてあったコートを羽織り、肩をすぼめながら廊下に出た。
喉が渇いていたこともあり、そのままロビーの自販機へ冷たい飲み物を買いに行くことにする。
階段を下り、人気のない廊下を抜けてロビーに出ると、思いがけず人の気配を感じた。
ぼんやりと明かりの灯るソファに座っていたのは、ツバサさんだった。
テーブルの上には缶コーヒーが置かれている。
僕の足音に、彼女は一瞬肩を震わせたあと、こちらを見て、ほっとしたように微笑んだ。
「森川さん……眠れないんですか?」
「そっちも?」
軽く笑い合って、僕は隣に腰を下ろした。
ロビーの照明は控えめで、ガラス越しに外の闇がぼんやり見える。
しばらく、言葉もなく、それぞれに缶を傾けた。
こういう静けさは嫌いじゃない。むしろ、こうして話さない時間が心地よく感じるほど、慌ただしい日々が続いていたのかもしれない。
風呂上がりなのか、隣に座るツバサさんから、ほんのりシャンプーの甘い香りがして、鼓動が早くなるのを感じた。
さすがに何も話さないのも不自然かと思い、口を開こうとした——その時だった。
ふと、視界の端。窓の外に動く影が見えた。
「……え?」
思わず立ち上がって、ガラスに近づく。
それは見間違いじゃなかった。月明かりの下、赤いパーカーの女性が裏山の方へと向かっている。
——山城夫人?
どこか焦るような足取りで森へと消えていくその後ろ姿を、僕は確かに見た。
今朝、神戸氏が言っていた言葉が、ふと頭をよぎる。
『山城夫人がいなくなって、今も探してるんです。しかも旦那さんの遺体も消えていて……』
「今の……」
僕が呟くと、ツバサさんもコクリと頷いた。
「山城夫人でしたね」
「ですよね。追いかけよう」
僕が言う前に、ツバサさんはもう立ち上がっていた。
缶を置き、僕も頷く。
静まり返った夜の廊下を抜けて、僕らは音を立てず、玄関から外へと出た。
空には雲が切れ、満月がくっきりと浮かんでいる。
森へと続く細道。ひんやりとした夜気が、足元から忍び寄ってくる。
僕らは寒さも忘れ、無言のまま、その影の後を追った。
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