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第134話 さよなら


 左手を伸ばす。

 神木の幹に取り込まれた“種子”に向かって——そっと、触れるように。


 幹の奥で脈打つそれは、赤黒く光を点滅させながら、不気味なリズムで鼓動していた。

 まるで心臓のように。


 指先が触れた瞬間、ゾクリと背筋を這うような感覚。

 中から、ドロリとした何かが蠢き、這い出してくる。


 それは、祈り。願い。欲望。

 叶えられなかった思い。届かなかった叫び。

 人々のあらゆる想いが凝縮された——呪いの塊。


 黒く濁ったそれは、神木に願いを叶えさせようとする、見果てぬ夢の残滓。

 その全てが、“種子”に染み込み、絡みついていた。


「もう……いいんだよ。そんなふうに、頑張らなくていい」

 

 僕は語りかける。

 けれど、それは僕自身の言葉じゃない。


 左手に宿る“大樹”の想い——

 かつて分かたれ、悲しみに囚われてしまった、“もうひとりの自分”への言葉だった。


「さあ、終わらせよう」


 左手が、淡く、まばゆい光を放つ。

 その光が波紋のように、“種子”へと染み込んでいく。

 僕は、静かに。でも確かな力で、想いを込めた。


 ——砕けろ。


 パリン。


 乾いた音とともに、“種子”は崩れ、粉々に砕け散った。


「……お疲れさま」


 緑の光が広がっていく。

 濃く立ち込めていた黒霧が、まるで洗い流されるように消えていった。


 背後で、教祖が叫ぶ。


「やめろォォォ——ッ!」


 その声には、怒りでも憎しみでもない、虚ろで、どこか幼さを残した哀しみが滲んでいた。


 オフィーが一歩踏み出し、静かに言う。


「貴様もまた、欲望に囚われた被害者……哀れで、同情もする。だけど——」


 彼女は大剣を掲げる。


「それでも、間違いは正さなくちゃいけない。……もう、眠れ」


 シュン。

 風を切る音。

 そして——教祖の身体は真っ二つに裂かれ、崩れ落ちた。


 その亡骸は黒い霧となり、残っていた黒霧と共に、ゆっくりと空へ昇っていく。

 まるで、長い夢が空に消えるかのように。

 

 ——「モモ!」


 空に消える黒い霧の中から、呼ぶ声が聞こえた。


 サブリナの胸から飛び降りたモモが駆けていく。

 彼女は、空へと消えようとする神木の幹に飛びつき、そっと抱きしめた。


「さよなら……」


 モモは涙を流した。

 その涙は光となって大地に落ち、花のように、ふわりと広がっていった。


 いつの間にか——空は晴れていた。


 陽光が差し込み、足元を柔らかな風が撫でていく。


 世界が、新しい希望を紡ぎ、息を吹き返したようだった。

 そして、そこには——かすかに黒く焦げた神木の跡だけが残っていた。


 少女の微かな声が、風に乗って響いた。


 「ありがとう」


 



▽▽▽


 その後のことを話そう。


 呆然と立ち尽くす僕らのもとに、神戸氏の操縦するヘリコプターが降りてきて、僕らを大樹教の跡地へと運んでくれた。


 グリムの部下たちは——とはいえ、もう数名しか残っていなかったが、神戸氏の指示でどこかへ連れて行かれた。


 ちなみに、山城夫人はいつの間にか姿を消していた。

 旦那さんの遺体も、気づけばあの部屋からなくなっていたらしい。

 他の部屋を探しても、何も見つからなかった。


 まるで、最初から何もなかったかのように。


 そして僕ら梢ラボのメンバーは、宿屋へと戻された。


 なにしろ、ここに来てからまだ一泊しかしてないんだからさ。

 ……いや、相変わらず濃い一日だった。

 

 宿に戻ると、ロビーに立つスーツ姿の矢吹さんが「おかえりなさい!」と笑顔で出迎えてくれた。


 もちろん、あのカウンターの男はもういない。

 昨夜見た狼モドキの群れも、影も形もない。


 まるで、さっきまでの出来事が全部、悪い夢だったかのような——静かな朝。


 状況がつかめず、神戸氏に尋ねると、彼は似合わない営業スマイルで応えた。


「暫くは後処理や調査も続きますからね。いっそのこと、今後は我々の管轄下で運営することにしました。今夜はゆっくりおくつろぎください」


「そんなこと、一晩でやっちゃうんですか?」


「まあ、貴社ほどじゃないですけど、我々だってそれなりの組織ですからね」


 気味の悪いウインクを飛ばしてくる。……うわぁ。


「そうなんだー、じゃああと一泊よろしくねー! あとあと、割引も忘れないでねー!」


 梢社長がパチンと手を鳴らし、ニッコニコで言い放つ。


「かしこまりました」


 矢吹さんは営業スマイル100点満点でお辞儀。

 ――ホントは処理班リーダーの怖いお姉さんなのに……。

 

「そうだ! 朝風呂行こうよ!」


 詩織さんがぴょんっと弾むように声を上げる。


「いいわね〜、露天風呂に行きましょ〜! 美肌タイム〜!」


 梢社長がノリノリで返し、


「朝飯はその後か?」

 とオフィーが真顔で突っ込む。さすが安定の腹ペコ美人枠。


 女性陣はワイワイ盛り上がりながら、キャリーを転がして部屋へ戻っていった。


「あー、疲れたっす。僕らも朝風呂行きましょーよー」

「だな。この年で徹夜は体に来る」


 淳史くんが気だるげに言い、岩田さんは首をバキバキ鳴らして深いため息。


 ほんの数時間前、命のやり取りをしていたのが嘘みたいな、まさかの平常運転。


 ポン、と僕の肩を叩く音。


 振り向くと、神戸氏が満面の笑みを向けてくる。


「朝食はバイキングをご用意しておりますので。ひと汗、流してきてくださいね」


 そしてくるりと身を翻すと、カウンターの奥へと、タップダンスでも踊りそうな勢いでスーッと消えていった。


 ……なんなんだ、あの人ほんとに。



 ——解せぬ。 


 まるで、気にしてる自分がバカらしくなってしまう。


 深いためを息をついて、僕は宿の中へと入った。


 ふと、誰かに呼び止められたような気がして振り返る。


 そこには、朝日に照らされた山並みと、静かに流れる川があるだけだった。

 山の木々は赤や橙に色づき、朝焼けと溶け合うように燃えていた。

 落ち葉がひらひらと風に舞い、川面にそっと降り立ち、流れていく。


 まるで、過ぎ去ったすべての煩わしさを、優しく包み込むような光景だった。


 結局、昨日までの汚れを全て洗い流すために、僕も露天風呂へと向かうのだった。


 


お読み頂きありがとうございます!

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