第128話 コア
——よし、やっちゃうか。
「グリーン――」
左手を突き出して呪文を唱えかけた、その瞬間。
耳元に、聞きなれた声が飛び込んできた。
『空打ちしろ。上へ』
——オフィーか!
「ンフラッシュ! 解放!」
緑の斬撃が天井を裂き、爆音とともに土煙が舞い上がる。
衝撃で地面が揺れ、視界は一瞬で真っ白に包まれた。
「さあ、行くぞ! ついてこい!」
砂煙の中、オフィーのシルエットが浮かび上がる。
僕とサブリナは反射的に駆け出した。
——この一瞬を逃したら、モモを助けられない。
そんな確信めいた直感が、僕の背中を強く押した。
いち早く異変に気づいたグリムが怒鳴る。
「おい、グレーテル! どこ行くんだ!」
「グレーテル? 誰だそれ?」
オフィーがつぶやく。
サブリナはにっこり笑い、肩越しに言い返す。
「私の芸名だよ♪」
くるりと振り返り、グリムには軽く手を振って叫んだ。
「また会おうねー! ばいばーい☆」
そのまま、僕らは洞窟の奥へと駆け抜けた。
▽▽▽
祭壇の広場に飛び込んだ瞬間、僕らの目に飛び込んできたのは――
地面を埋め尽くす“狼モドキ”の大群だった。
「ウインドスラッシュ!」
オフィーが連続で斬撃を繰り出し、風の刃が一瞬で周囲を薙ぎ払っていく。
最後に視線を向けたのは、奥に浮かぶ黒い渦。
“ダンジョンコア”だ。
今もなお、“狼モドキ”を次々と生み出している。
その中から、半身を覗かせた一体が、今にも飛び出そうと蠢いていた。
「コアを潰すぞ。お前も力を貸せ」
オフィーは当然のように言い放ち、
その手にした大剣を前に構える。
螺旋状の風が、大剣を軸にして巻き上がる。
僕も左手をかざし、緑の光を集中させる。
熱が集まり、魔力が手のひらに収束していく――。
「行くぞ」
オフィーの短い合図と同時に、僕らは一斉に魔力を放った。
「トルネードスピア!」
「グリーンフラッシュ!」
二つのエネルギーが交差し、
光の槍と緑の閃光が、黒い渦の中心へ吸い込まれていく!
その瞬間——ガシャン、と何かが砕ける音が響いた。
渦の脈動がぴたりと止まり、黒い霧を吐き出したかと思うと、
音もなく、すぅっと霧散していった。
「……壊れた?」
「ああ」
そう応えた直後、地面がガタガタと揺れ始めた。
「ちょ、なんかヤバくない?」
背後に身を潜めていたサブリナが、辺りを見回して声を上げる。
「ダンジョン崩壊だな。これは」
オフィーがいつも通り、淡々とした口調で呟いた。
彼女は祭壇脇にある細い穴へ駆け出す。
確かに、ぽっかりと口を開けたその裂け目は、これまで見落としていた出入り口だった。
「奴らがモモを連れて通った道だ。外への近道だ」
——そうだ。オフィーは奴らを追って行ったんだった。
「モモは、どこに……?」
僕が尋ねると、オフィーはちらりと視線をよこす。
「ついて来ればわかる」
そう言い残し、彼女は迷いなくその中へ飛び込んでいった。
僕たちも後を追い、穴へと潜り込む。
通路は次第に傾斜を帯び、やがて細かな階段状に変わっていった。
——何だ、この道……。自然にできたとは思えない。
足元は、ねじれた樹の根が編み込まれたような感触だ。
踏むたびに、じわりと冷たい脈動が足裏から這い上がってくる。
頭上からはパラパラと砂が落ち、
地の底から響く低い唸り声のような振動が壁を伝って響いてきた。
「……急ごう。ここも長くはもたない」
オフィーが小声で言い、前を行く足取りが速まる。
僕も壁に手を添えた。
土の感触は柔らかく、わずかな体重にもぐにゃりと凹み、細かい亀裂が走る。
その隙間から、どろりと黒い樹液のようなものが、じわじわとにじみ出してきた。
——この通路そのものが、御神木の根の一部……?
背筋に冷たいものが走る。不気味な気配に、思わず息を詰めた。
ときおり、地の奥から「ドン」と突き上げるような揺れが起こり、天井からは土塊がぱらぱらと崩れ落ちる。
揺れるたびに、天井から垂れた木の根がぶらぶらと、不気味に揺れた。
しばらく登ると、前方にぼんやりと光が差し込んでいるのが見えた。
その瞬間——
ずるっ、と足元が一段沈む。
慌ててバランスを取り、僕は飛び出すように一歩踏み出した。
背後から、低く呻くような地鳴りが追いかけてくる。
「早くしろ!」
前を行くオフィーの声に急かされ、僕たちは最後の斜面を一気に駆け上がった。
そして、穴を抜けた先——そこは、鬱蒼とした森の中だった。
すぐ背後で地面が揺れ、今通ってきた穴が崩れ落ち、完全に塞がっていく。
「間一髪かよ〜……」
サブリナが息をつきながら、小さく呟いた。
「グリムたち、逃げられたかな?」
「あんなもの、ほっとけ」
オフィーがあっさりと言い放つ。
「ここは……?」
僕が問いかけようとした瞬間、オフィーが人差し指を唇に当てた。
——声出しNGですか……
僕たちは息を潜めながら、樹々の影を縫うように静かに進んでいく。
道らしい道はなく、地面は湿った枯れ草と腐葉土に覆われ、朝露で足元がたびたび滑った。
木々の隙間から差し込む光が霧を金色に染め、幻想的な光景を作り出していた。
けれど、その美しさの奥に、異様な気配が漂っていた。
鳥のさえずりもなく、ただ風に混じって——“誰かの囁き声”のような音が聞こえてくる。
ぞくり、と背筋に冷たいものが這い上がった。
そして——登り詰めたその先。
朝日に照らされた、記憶に新しいあの場所が広がっていた。
「ここは……」
「御神木の、焼け跡だね……」
サブリナが、か細い声でぽつりと呟いた。
焼け焦げた神木の残骸が、まるで墓標のように突き立っていた。
その周囲には、“信者のなれの果て”たちが、まるで儀式の続きを待つかのように座り込んでいる。
誰一人動かず、虚ろな瞳で御神木の跡を見つめ続けていた。
そして、口々に祈るような、呟くような言葉を、延々と唱え続けている。
その中で、一際激しく祈りを捧げる人物がいた。
恐らく、教祖だろう。
朝露に濡れた地面に額を何度も打ちつけ、両手を高く掲げて、何かに取り憑かれたようにひれ伏している。
……そして、その中央。
焼け跡のただなかに——ぽつんと、少女が立っていた。
朝の光に照らされ、髪は乱れ、目は虚ろ。
それでも、その少女を僕は知っている。
「……モモ!」