第119話 洞窟
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4月23日。「第119話 洞窟」を抜かして投稿していることが判明しました。心よりお詫び申し上げます。本日、修正し再投稿いたしましたが、その影響でブックマークがずれてしまう可能性がございます。お手数をおかけしますが、何卒ご容赦を賜りますようお願い申し上げます。重ねてお詫びいたします。
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夜の闇は、湿った布のように重く、肌にまとわりついてくる。
月明かりすら、この場所では意味をなさなかった。
僕たちは、教団施設跡の裏手——崖の中腹にぽっかりと口を開けた“穴”の前に立っていた。
崩れた地盤が、地下へと続く空洞を露わにしている。
だが、それがただの自然現象だとは、どうしても思えなかった。
近づくほどに、空気が変わっていくのを感じる。
ぬるりとまとわりつくような冷気が頬を撫で、奥から這い出すような“視線”の圧が皮膚を刺す。
——まるで、この“穴”そのものが、こちらを見つめているようだった。
「ここ、入るんですか……?」
矢吹さんが、かすかに笑みを浮かべながら呟いた。
手にしたライトが微かに揺れ、その先の闇を照らしきれずに震えている。
穴の奥からは、生ぬるい空気がゆっくりと吹き出していた。
それは、まるで巨大な生き物が、深く、静かに呼吸しているかのような……不気味な“吐息”。
「やるしかないでしょ。モモがあっちにいるんなら」
サブリナが胸の前で銃を構え、前を見据える。
その姿は、どこか祈る者のようにも見えた。
僕は、ごくりと唾を飲み込み、一歩、穴の中へ足を踏み入れた。
瞬間、音が消えた。
耳鳴りのような静寂が、脳をじわじわと締めつけてくる。
背後で神戸氏が、低くつぶやいた。
「……これは、なにか結界の名残ですね。儀式用に張られた結界が、今でもわずかに残っている」
「気持ち悪いですね……これ」
矢吹さんの声が、遠くから届くように聞こえた。
——結界、か。
思い出すのは、グリーや社長が張っていた魔法の結界。
それに、この世界の人間も……たしか、傭兵騒乱のときに神戸総一郎が使っていた。
……つまり、ここにいた連中も、それを使える“側”ってことか。
足元には砕けた瓦礫や朽ちた木片が転がり、壁には祈祷文のような文字が残されていた。
だが、その大半は黒く焦げ、判別は難しい。
ふと、壁に焼きついた“人型の染み”に目が止まる。
ただの跡にしては……あまりに、生々しすぎた。。
そして、その奥には、朽ちかけた木の扉があった。
「おそらく儀式の痕跡でしょう。命約の大樹教の隠れ家ですかね」
神戸氏の声が、洞窟内に響く。
僕は息をのんで、口を開きかけた——そのとき。
奥の暗闇から、微かな音がした。
がさり……ひゅう、と風の音。
そして——
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……」
人か獣かも分からない、異様なうめき声。
洞窟の奥。
闇の中から、“それ”は現れた。
白装束の男。
痩せこけた手足は骨のように細く、皮膚は破れそうに突っ張っている。
口元は不自然に裂けており、そこに浮かぶ笑みは、あまりにも異常。
フードの奥で光る目だけが、異様なほどぎらついていた。
わずかに残った法衣の布切れが、彼がかつて“信者”であったことを物語っている。
「っ、来るぞ! サブリナ、下がれ!」
左手に力を込める。
けれど、その姿を見た瞬間、頭の奥がざわついた。
——こいつ、本当に人間か?
その瞬間、矢吹さんが前へと踏み出した。
手にしたのは黒い伸縮棒。文様の入った警戒用の武具だ。
「……これ、人間なの?」
問いかけられても、答えられなかった。
答えようがなかった。
そのとき——
奥にある朽ちた扉の向こうから、何かがぶつかる音が響いた。
バン! ガン! バン!
低いうなり声が混じる。
喉の奥からしぼり出すような、くぐもった唸り。
そして——叫び声。
男でも女でもない、いや、人間ですらない……そんな歪んだ叫びがいくつも重なった。
「っ……また来る!」
扉の向こう。
獣のような呻き声と、何かがぶつかる音が、こちらへと近づいてきた。
だが、それは突然、途絶えた。
ぴたりと止まる。まるで、こちらの動きを伺うように。
静寂。
僕たちは、ただ無言で目を見交わした。
言葉はいらなかった。互いにうなずき、気配を殺す。
矢吹さんが先頭に立ち、そっと扉の取っ手に手をかける。
重々しい音を立てて、ゆっくりと扉が開いた。
その先には——崩れかけた礼拝堂が広がっていた。
半壊したドーム状の空間。
天井はところどころ崩れ落ち、月明かりが斜めに差し込んでいる。
柱には奇妙な彫刻がびっしりと刻まれ、中央には朽ちかけた祭壇があった。
——そして、その前に、“彼女”はいた。
「モモ……!」
サブリナが息を呑み、駆け出そうとするのを、僕が制止する。
祭壇の石板の上に、モモが静かに横たわっていた。
手足に拘束はない。それでも、まるで眠っているように微動だにしない。
そして、
その傍らに、“それ”は立っていた。
長身の男——いや、人間とは到底思えない。
彼の周囲には、さきほどの白装束の男たちによく似た異形の者たちが、額を地面に擦りつけるように伏していた。
骨のように痩せこけ、乾いた粘土のようにひび割れた皮膚。
目と口だけが異様に大きく歪み、かつて白だった法衣は、血と煤にまみれている。
その異形の男は、両腕を広げ、天を仰ぎ、祈っていた。
「……教祖か」
神戸氏が低く呟く。
教祖の口から洩れるのは、言葉ではなかった。
動物のような咆哮。時折、意味の分からない言語のような響きが混ざる。
まるで、神と対話しているかのような、祈りだった。
「……聞こえるか、我が主よ。
この器は整えた……今こそ、約定の刻——」
教祖が、モモの額に手をかざす。
「っ、やめろ!!」
サブリナが銃を構えるが、その瞬間——
教祖が天を仰ぎ、呟いた。
その目は、笑っていた。口ではなく、目で、不気味に。
「我が神の胎へ……」
そして。
モモの身体が、ゆっくりと宙に浮かび上がった。
祭壇から放たれる光が、彼女の身体を包み込む。
その背から何かが浮き出しそうな、異様な圧力が空間を満たす。
「止めなきゃ……!」
僕は走り出そうとする。だが、空間が歪んだ。
視界がぐにゃりと曲がり、周囲の壁や床が液体のようにうねり出す。
「これは……特殊な儀式結界ですね……!」
神戸氏の声が響いた。
ここは祈りの場——神と契約を交わす“儀式空間”。
僕らは、完全にその中に閉じ込められていた。
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