第118話 モモの加護
「それは……本当なんですか?」
「我々の情報網を疑うのですか?」
知らんがな。
——でも、国家機関の情報力って、そういうことなんだろう。
「……詳しく、教えてもらえますか?」
僕の問いに、神戸氏は珍しく言葉を詰まらせた。
顎に指を添え、視線をわずかに逸らす。その仕草には確かなためらいがあった。
言葉を選んでいるのか、それとも——記憶を遡っているのか。
矢吹さんが、心配そうに神戸氏を見つめる。
やがて神戸氏は、ひとつ大きく息を吐き、わずかに肩をすくめた。
「……わかりました。ただし、口外無用でお願いします」
「局長、それは——!」
矢吹さんが焦ったように口を挟む。
「これは明らかに特秘事項です!」
神戸氏は手のひらを軽く上げて、彼女を制した。
「大丈夫ですよ。この人自身が、歩く特秘事項みたいなものですから」
——その言い方、光栄なような、迷惑なような。
ほんの一瞬だけ、神戸氏の表情がやわらぐ。
けれどすぐに、険しい顔つきへと戻った。
「……あの子は、“ピンク亭”店主の妹さんのご息女ですよね?」
頷いて肯定する僕を見て、神戸氏はゆっくりと重い口を開いた。
「彼女は、生まれたときから重い心臓の疾患を抱えていて……ほとんど寝たきりの生活だったそうです」
淡々と語られているが、その声には感情の揺れがあった。
静かな怒りと、哀しみ。そして、どこか憐れむような響き。
「医者からは『成人まで生きられる可能性は低い』と告げられていたとか」
——そんな……。
あのモモに、そんな過去が……?
「当時、ピンク亭のご主人も梢さん——当時の社長に何度も救いを求めたようですが、彼女は非常に厳格な方で。どんな事情があっても、特別扱いは許さなかった」
「……それで、ご両親は?」
一瞬、神戸氏の視線が沈む。
「“命約の大樹教”に保管されていた“常緑の命丹”を盗み出し、娘に投与した。——三年前の、あの日です。神木に雷が落ちた、あの混乱に乗じて」
神戸氏は声を落とす。
「神木を焼いたのが雷だったのか、それとも彼女の両親だったのか……それは分かりません」
雷鳴とともに倒れた神木。教団内の混乱——
その裏に、モモの命を繋ぐための禁忌の選択があったなんて。
「彼女が入院していた医療機関からの報告書もあります。確認は取れている。きっかけは不明ですが、まるで体が作り替えられたかのような、不可解な回復が記録されています」
神戸氏の声は、遠い幻を思い出すようだった。
「盗みは罪です。ですが、娘の命を前にして、他の選択肢を選べた親がどれほどいるでしょうか。……理屈なんて、そのときは吹き飛んでしまうものです」
少し言葉を切り、目を閉じる。
「たとえその結果、教団内に動揺を引き起こし、多くの人が心を病み……中には、自ら命を絶った者もいたとしても」
「……信じられない」
僕のつぶやきに、神戸氏はわずかに頷いた。
「その“常緑の命丹”って……どんなものなんですか」
「それが……はっきりしない。一説には丸薬、あるいは液剤、小さな王冠のような形だったとも」
「王冠……?」
脳裏に浮かぶ、カルビアンを“機の怪物”に変えた《悠枝の冠》。
——まさか……な。
「モモのご両親は、もう……亡くなったんですよね?」
「はい。私の方でも、そう確認が取れています」
神戸氏の眉がわずかに寄る。その表情には、悔いとも哀しみともつかない陰が差していた。
「で、奴らは今さらモモをさらって……何をしようとしてるんです?」
神戸氏が、厳しい視線をこちらに向けた。
「……それが謎なんです。ですが、最悪のケースも想定しておくべきでしょう。たとえば……彼女の身体を材料に、“常緑の命丹”を再現しようとしているとか」
「……は?」
さらりと、とんでもないことを言いやがった。
その言葉の不穏さに、一瞬、空気が凍りつく。湿った夜風が背を撫で、肩がわずかに強ばる。
「……胸糞悪いにもほどがあるな」
「行こう、モリッチ!」
サブリナが憤然と立ち上がり、俺の腕をぐっと掴む。
「急がないと、モモが本当に危ない!」
だが僕は、その手をそっと叩いて落ち着かせた。
「その前に。社長たちに連絡を入れよう」
ポケットから携帯を取り出す。……が、
何度かけても、通じない。
「たぶん、もう使えませんよ。私の端末も、ここに来てからずっと圏外です」
矢吹さんの言葉に、思わず舌打ちが漏れる。
「グリー、頼めるか?」
肩に乗っていた小さな精霊が、渋い顔で俺の髪をぐしゃぐしゃとかき回し、ため息をついた。
『……しゃーねーな。貸し一つだぞ。ま、どうせこの辺りは気配が最悪だし、行ってやるよ』
そして、ぴたりと俺の目の前に浮かび——
『これでも、お前の“守護精霊”だ。何かまずいことになったら、すぐ呼ぶんだぞ。……お前、またギリギリまで我慢して、手遅れになるタイプだからな』
真っ直ぐ俺を見てそう言い残すと、すいっと宙に舞い上がっていった。
グリーが伝えてくれれば、たとえ僕らが失敗しても、誰かがなんとかしてくれる。
……そう、信じたい。
神戸氏は、黙って僕らのやりとりを見守っていた。
無表情のまま、拳をぎゅっと握りしめていた。
「行く前に、これを渡しときます」
神戸氏が、サブリナに拳銃を差し出した。
サブリナは目を見開いたが、すぐ真剣な顔でそれを受け取る。
「ただし、覚えていてください。人を殺せば——日本では殺人になります。そのときは、犯罪者として逮捕せざるを得ません」
その声に感情の揺れはなかったが、どこか自分にも言い聞かせているように聞こえた。
——そうだ。ここは異世界じゃない。日本なんだ。
「僕の分は?」
少しだけ冗談めかして言ってみる。
「森川さんには、必殺技の“グリーン——」
「わかりました! 言わないで!」
慌てて言葉を止めると、皆の口元がわずかに緩んだ。
……それでも、緊張は消えない。
僕は小さく咳払いをして、皆を見渡す。
「行きましょう」
頷く三人の姿を確認し、僕たちは再び走り出した。
モモを取り戻すために——。
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