第115話 涙
暗闇の中、小さな白い影を追って進む。
「こっちって、どこに向かってるの?」
サブリナが小声で囁く。
「神木跡地だ……」
「ふーん」
こんな暗い山道を少女が登るのはかなり厳しい。
それなのに、モモはまるで迷いがないかのように、すたすたと坂を登っていく。
「とても幼児とは思えんねー……はぁ、はぁ……」
サブリナが息を切らしつつ、なんとか足を進める。
月明かりだけでは足元もよく見えず、次第に歩くのも危なっかしくなってきた。
僕はそっと携帯を取り出し、ライトをつける。
——その瞬間。
前方を進んでいたモモが、ぴたりと足を止め、こちらを振り返った。
ヤバい——!
慌ててライトを手で覆い、横の茂みに身を潜める。
モモはしばらく辺りを見回していたが、やがて再び前を向き、駆け出していった。
「……危なかった」
「ねぇ、この先って、神木跡しかないの?」
「たぶん……そうだと思う」
「じゃあ、なんでモモちゃんは、こんな夜中にそこへ?」
「まったくわからん」
脳裏に浮かぶのは、昼間の光景——
神木の幹に抱きつき、うっすら涙を浮かべていたモモの姿。
「……泣いてたんだ」
「え?」
「今日、神木跡に行ったとき……あの子、幹に抱きついて泣いてた」
「は? そんな重要情報、なんで今さら言うかな?」
「なんか……あんまり言っちゃいけない気がして」
「はぁ……もういいや。ライトつけよう? さすがに見えなさすぎ」
僕は頷き、再びライトを点ける。
そして、モモの後を追った——
まさか、同じ日に二度もこの山を登るとは思わなかった。
息を切らしながら、僕らはひたすら登山道を駆け上がる。
「おい、追いつけねぇ……!」
足を動かし続けているのに、モモの姿は一向に見えてこない。
子どもなのに、どうしてこんなに足が速いんだ……?
「そこを登り切ったら神木跡地のはずだ。ライト消すぞ」
僕が小声で伝えると、サブリナがこくんと頷く。
二人とも息が上がって、まともに喋れない。
携帯のライトを消した瞬間、一気に暗闇が広がる。
——いや、違う。
視界の先、神木跡地のあたりがぼんやりと光っていた。
僕は息を整えながら、サブリナの肩を軽く突いて前を指さす。
「ほー、なんか光っとりますなー。街灯でもあんのかな?」
「ないない。あるのは、神木の……亡骸だけだ」
「モモちゃん、ライト持ってたとか?」
「持ってたら、途中でつけてただろ。……まあ、行って確かめよう」
僕らは姿勢を低くし、慎重に進んでいく。
——間違いない。何かが光ってる。
そっと顔を出すと、そこには——。
両手を広げ、静かに立つモモの姿があった。
その小さな背中の向こうで、緑の光がほのかに揺れている。
——あの光は?
目を凝らす。光の発源は、焼け落ちた神木の跡地あたり。
「ねえ、光ってるよね……?」
「……ああ、光ってる」
それだけじゃない。
モモの体自体も、ただ光を浴びているだけじゃなく——微かに、淡く、自ら発光していた。
まるで、光に包まれているように。
——この光は……。
僕は、自分の左手を見下ろす。
「似てる……モリッチの左手の光と、そっくり」
「……似てるな」
モモは両手を広げたまま、一歩ずつ神木跡へと歩み寄る。
やがてそっと膝をつき、焼け残った幹にぎゅっと抱きついた。
まるで、神木と一つになろうとしているみたいに。
「ねえ、止めて! モリッチ!」
サブリナが叫ぶ。
「あのままじゃ……ダメな気がする! 早く!」
その声で、凍りついていた体が動き出す。
僕は駆け出していた。
「モモ!!」
小さな体を抱きかかえるように、神木から引き離す。
その体は、まるで磁石のように神木へと引き寄せられていた。
けれど、それが正しいのかどうかは、わからない。
ただ、直感が告げていた——止めなきゃ、と。
地面に転がるようにして、モモを抱いたまま倒れ込む。
サブリナが駆け寄る気配を感じながら、僕はモモの顔を覗き込んだ。
「モモ、大丈夫か!?」
だが、返事はない。
モモは大きく目を見開いたまま、何かを見つめていた。
その瞳から、大粒の涙が静かに流れ落ちている。
——泣いてる?
「モリッチ! 周り……来てる!!」
サブリナの鋭い声。
ハッとして周囲を見渡す。
暗闇の中、仄かに緑の光を放つ神木の跡地。
その奥から——ぐうぅぅぅうう……という、低く湿った唸り声。
赤く光る目がひとつ、またひとつ……こちらを睨んでいた。
「なんだ、あれ……」
「ヤバイ、ヤバイって! モリッチ、これ……マジでヤバいやつ!!」
サブリナが僕の腕にしがみついてくる。
ゆっくりと、淡い光に照らされながら、黒い影が姿を現した。
「……狼モドキ」
異世界で見た、あの黒い魔獣。
あいつだ。あのときの、殺気に満ちた化け物が、一歩、また一歩と迫ってくる。
咄嗟に腰へ手を伸ばす。——が、ない。剣がない。
「あっちにも来てる!!」
サブリナの悲鳴。
見ると、狼モドキが四方から僕らを囲むように迫ってきていた。
——くそっ……!
僕は左手のリングに、右手を重ねる。
「グリー! 頼む!」
リングが閃光を放つ。
次の瞬間——まばゆい光の中から、彼女が現れた。
『ったく……またギリギリかよ。前にも言っただろ? 呼ぶのが遅ぇんだよ!』
ふわりと宙に浮かぶ、美しい妖精。
幻想的で、目を奪われるほどの輝きに、クラクラする。
……が。
『土壇場で呼ぶなっての! 都合のいい女じゃないんだからな?』
——はい、口の悪さも健在。
妖精らしからぬ毒舌に、今度は別の意味で、クラクラした。
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