第109話 白装束
その女性は、登山道で出会った老夫婦——山城ご夫妻の奥さんだった。
彼女は必死に僕らへと手を伸ばし、助けを求めるように叫んでいる。
僕はすぐに駆け寄ろうとした——が、その袖をツバサさんがギュッと掴んで離さない。
と、その瞬間、僕らの脇を浴衣姿の人物がすり抜け、素早く駆け寄っていった。
——神戸さん!
彼は迷うことなく白装束の群れへと飛び込み、山城夫人の腕を掴む手を捻り上げる。
「ご婦人に手を出すなんて、感心しませんね!」
そう言いながら、次々と伸びてくる手を払い落とし、夫人を背後に庇う。
白装束の集団は一瞬戸惑ったようだったが、すぐに諦めたのか、闇の中へと消えていった。
——あっという間だった。
僕らはその光景を、ただ息を呑んで見守ることしかできなかった。
そんな中、もう一人の浴衣姿の女性が神戸氏のもとへと駆け寄り、今にも崩れ落ちそうな山城夫人の肩を支える。
「大丈夫ですか?」
神戸氏がそう尋ねると、夫人は頷きながらも、縋るように彼に寄りかかる。
「主人が! 主人がまだ捕まったままなんです! お願い、助けて!」
涙ながらに訴える夫人に、神戸氏は落ち着いた声で言った。
「まずは、事情をお聞かせください。宿の中で話しましょう」
支えていた女性も「歩けますか?」と優しく声をかける。
夫人を支えながら、ゆっくりとこちらへ向かってくる二人。
やがて玄関口に立っていた僕らに気づくと、神戸氏は苦笑しながら言った。
「……いやはや、困ったことになりましたね」
そう言うと、夫人を伴って宿の中へと入っていく。
僕らも、自然とその後に続いた。
▽▽▽
ロビーに戻ると、神戸氏と浴衣姿の女性は、鼻をすすりながら涙を浮かべる夫人をソファーに座らせた。
神戸氏は夫人の正面に腰かけ、ショートカットの凛とした美人——おそらく彼の部下が、夫人の隣に寄り添うように座る。
僕らも立ち去るわけにもいかず、邪魔にならないよう少し離れたソファーに腰を下ろした。
やがて、神戸氏が優しい声で尋ねる。
「何があったか、お話しいただけますか?」
目を真っ赤にしながら、夫人が震える声で答えた。
「主人が……奴らに捕まって……」
「奴ら、というのは……さっきの白装束の連中のことですか?」
神戸氏の問いに、夫人は力強く頷いた。
「そうです! 『命約の大樹教』の連中です!」
——命約の大樹教!?
解体されたはずのカルト集団が、まだ活動しているのか……?
「命約の大樹教は、すでに解体されたはずですが……」
神戸氏は顎に手をやり、思い出すように呟く。
「解体なんかされてません! さっきあなたも見たでしょう?」
山城夫人は髪を振り乱しながら、声を震わせて訴えた。
「ご主人は、連れ去られたのですか?」
横で聞いていた僕は、思わず口を挟んでしまう。
すると、夫人は初めて僕の存在に気づいたかのように、じっとこちらを見つめた。
そして、神戸氏と僕の顔を交互に見比べると、彼の方に向き直り——
「実は……」
いや、俺が聞いたんだけど!?
「実は、私たち……命約の大樹教の本部に行ったんです」
「——ちょっと待って、本部に行ったんですか?」
神戸氏が驚いたように聞き返す。
「はい……」
夫人は小さく頷いた。
話を聞くと——
夕食の後、どうしても納得がいかなかった山城夫妻は、かつて命約の大樹教の本部があった場所へと車で向かったらしい。
そこは、本来ならもう無人のはずのビル。しかし、ふと見ると、一階の一角に明かりが灯っていたという。
不審に思った旦那さんは、証拠にとその場面を撮影しようとした。——その瞬間、突然、白装束の集団が周囲から現れ、彼を取り囲んだのだ。
山城夫人は、旦那さんが自分を庇おうとしたせいで捕まり、その間に何とか車へ逃げ込み、助けを呼ぼうとここへ向かってきた。——だが、その途中で白装束に追われ、さっきの駐車場で捕まりかけた……。
それが、今の状況に至るまでの経緯だった。
「その本部……今でも使われてるんですか?」
僕が訊ねると、神戸氏は首を振る。
「廃墟ですよ。もちろん、教徒たちは解散して、住んでいるはずもない……ですがね」
どこか腑に落ちない様子で呟いたその時——
「局長、少しよろしいですか?」
夫人の隣に座っていた女性が、神戸氏に声をかける。
「わかりました」
神戸氏は立ち上がり、彼女とともに部屋の隅へ移動すると、何やら小声で話し始めた。
その間も、山城夫人は涙を浮かべたまま、鼻をすすり続けていた。
そんな彼女に、ツバサさんがそっとタオルを差し出す。
「これ、よかったら使ってください」
「あ……ありがとうございます……」
夫人は受け取ると、ぎゅっと握りしめ、涙を拭った。そして、ふと僕らを見回し——
「……あなたたちは……?」
ようやく僕らの存在を認識したようだ。
「それにしても、どうしてこんな遅い時間に、わざわざ『命約の大樹教』の本部なんかに行ったんですか?」
「主人は、以前からあそこの連中と揉めていたんです。だから、奴らのことがどうしても許せなくて……きっとまだ何かよからぬことをしているに違いないって言って、確かめに行こうと……」
「でも、解散したことは知っていたんですよね?」
「まさか、そんなわけないじゃないですか! 実際、ネットでも白装束の連中の目撃情報があったんです!」
——そういや、サブリナもそんなこと言ってたな……。
「それで、奴らの化けの皮を剥いでやるって……」
なるほど、それで乗り込んでみたら、案の定、怪しい動きをしていたってわけか。
そんな話をしていると、部屋の隅で話していた神戸氏と女性が動いた。
女性は何かを伝えた後、すぐに駆け足でどこかへ向かい、神戸氏は僕らの方へ戻ってくる。
そして、夫人に向かって静かに言った。
「今、私の部下たちが本部の方へ向かっています。もしよろしければ、ご同行いただけますか?」
夫人は驚いたように目を見開いたが、すぐに真剣な表情で頷く。
そして——
「森川さんも」
神戸氏が、にっこりと微笑んで、僕の方を見る。
——絶対、行きたくありません。謹んでお断りします。
新規連載開始!!
『 突撃!コール隊 〜推しがウザイ!なら世界を変えるまでだ』
コチラも合わせて読んでいただけると嬉しいです!
宜しくお願いします!!