第三小節「私たちならきっとやれる(多分)」
「え、ふぇ?」
突然の提案に驚いた私はまともな言葉が出なくなった。
「雪ちゃんはまだ楽器やってるでしょ?」
「あ、いや実は私も文化祭終わった後に高一で辞めちゃってさ、それからはここの手伝いばかりしてるからサックスは最近全然吹いてないんだ…」
私は興奮ぎみの瑞佳に対して恐る恐る答えた。
「あ、そうだったんだ」
「うん...」
「ごめんね、、変なこと言っちゃって」
瑞佳は悲しそうに言った。
「...」
私はどう返していいか分からなくなってしまった。
「分かったよ、雪ちゃん。私、近々どっか旅してくるよ。そうすれば、このモヤモヤも消えるかもしれないし」
瑞佳が財布から支払金額分のお金を私に渡す。
「ごめんね、迷惑かけて。今日はありがとう」
そう言って、瑞佳が去ろうとする。このまま帰してしまって本当に良いのだろうか。
いや、絶対に良くない。
「待って」
私は外の階段を下りる瑞佳を呼び止める。
「確かに、私たちだけで演奏する人集めて、練習するってのはすごく大変なことだと思うよ。アンサンブル規模だったとしても、まとめるのは大変だし...でも、もし瑞佳ちゃんが本気でそれをやりたいと思ってるなら、私は全力でサポートするよ」
「雪ちゃん...」
サックスは一年弱触れられていない。これからそのブランクを埋めるのはかなり大変だろう。でも、親友が悲しむ姿は見たくないし、これまで様々な困難を協力して乗り切ってきた私たちだ。きっとなんとかなるだろう。そう思い、私は彼女の提案を肯定した。
「じゃ、また明日、楽器持っておいでよ」
「うん、ありがとう」
瑞佳は店を去った。彼女を見送った後、店内にいるのが私と親だけになったことを確認し、電気を消す。暗闇の中にポツンとおいてあるピアノの元へ行き、誰も客がいない中、一人で弾く。変な客に絡まれてストレスがたまった時や気分が落ち込んだ時などは、営業終了後にこうすることで気分を落ち着かせている。
それにしても、今日は本当にびっくりした。しばらく連絡すらとってなかった親友が突然押しかけ、そして最終的に一緒にジャズバンドをやろうなんていうとんでもない提案をしてきたのだから。
「うぅ、うぅ」
突然店の外からうめき声が聞こえる。瑞佳かと思ったが、声で違うと分かった。まさか、幽霊でも出たのか。まさかそんなわけ…そう考えながら店の外に出ると、スーツを着た二十代くらいの見た目をした女性が倒れていた。まさか、心臓発作か。私は慌ててその人に駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
肩を叩きながら呼びかける。
「うぐぅ…み、水を」
女性はゆっくり言った。喋り方的におそらく泥酔した人なのだろう。とりあえず、このままだと危ないと思った私は、その人をおんぶし、店の中へ連れ込んだ。
「お父さん、お母さん、ちょっときて!」
私は大声で親を呼びつつ、その人を床に寝かせた。言われた通り、水を用意し、飲ませるとその人とまともに意思疎通が出来るようになった。
「すみませんね。ご迷惑おかけして」
女性は私に対して謝った。
「いえいえ。倒れてる人がいたら助けるのは当然のことですし」
そう私が返すと
「偉いぞ雪」
と父に褒められたので私は少し嬉しくなった。
「ところで、どうされたんです?こんな夜遅くに」
母が女性に泥酔して倒れてしまった理由を聞いた。そんなのどっかの居酒屋で飲みすぎたからに決まってるじゃんと思っていた。確かにその通りだったのだが、その背景にはとても悲しい事情があった。
彼女の名は西川彩音。二四歳で、とある企業に勤めていたのだが、自分の所属していた部が行っていた新事業が大失敗。加えて業績悪化の影響で、その事業に関わっていた人全員が突然リストラされ、その一人が西川さんだったそうだ。そしてそのショックにより酒に弱いにもかかわらず飲みすぎてしまったがために、さっき道端で倒れてしまったらしい。酒弱いと分かってるなら飲むなよとは思ったが、よほどリストラされたことがショックだったのだろう。
「それで、私、働き口が無くて」
西川さんは泣きながらそう言った。
「ならうちで働きます?」
父が提案する。
「いいねそれ。最近お客さん増えて人手も足りなくなってきてたし」
母が父の意見に賛成する。
「え、いいんですか!ぜひ働かせてください!」
西川さんは大喜びしながら言った。
「じゃあ早速明日から働いてもらおうかしら。雪音、仕事のこと教えてあげてね」
「あ、うん...」
と私が母に返事をすると
「よろしくお願いします、雪先輩」
西川さんは私の方に体を向け挨拶してくれた。年上の人に先輩と言われるのは、少し複雑な気持ちだが、こうしてこのお店に新しい仲間が加わった。