第二小節「青春がしたい!」
「プッ、ゲホッゲホッ」
それを聞いてびっくりした私は飲んでたコーヒーを軽く噴き出しせき込んでしまった。だって、私が知ってる瑞佳ちゃんは、音楽が誰よりも大好きで、コンクールに対しても人一倍全力で取り組むような子だったし、まさかやめただなんて言葉が、出てくるとは思っていなかったから。
「え、やめちゃったの...」
咳が落ち着いた私は理由を聞いてみることにした。
「実は私ね、昨年の夏に気胸になっちゃって」
「気胸って、あの肺に穴が開いちゃうやつだよね」
「そう。地区大会の翌日にね、呼吸困難になってさ。総合病院で検査してもらったら、気胸だって判明したんだ」
気胸で演奏家が演奏不能の事態に陥ることは決して珍しいことではない。実際私が好きだったプロの音楽家も、数年前に気胸を発症したことがあったし、「吹部 気胸」で検索すると、多数の吹部生がこれで苦しんでいたことが分かる。だが、まさか私の友人がそれを発症していたとは…
「そうだったんだ…けど、どうしてやめたの。手術はしたんでしょ?」
「うん、したよ」
「ならもう問題ないよね…」
「いや、手術したのが問題なのよ」
瑞佳は苦笑いしながらそう言った。どういうことなのか詳しく聞いてみた。
瑞佳が入っていた吹奏楽部は地方大会常連の名門校だった。だが、蓋を開けてみるとそこは昭和理論の抜けない先輩至上主義の部活で、瑞佳は体に大きな負荷のかかる練習を強いられたのだそうだ。それが災いしたのか、地区大会は何とか乗り切れたもののその翌日に発症。緊急入院をし、手術を受けた。だが、部活より自分のことを優先したということで先輩たちから理不尽なバッシングを受け、そのまま退部に追い込まれたのだそうだ。
「先生に相談できなかったの?」
「先生に相談したところで解決しないんだよね。結局活動時間の大半は先輩の指導で活動するからさ」
「放任主義なんだね」
「そうなんだよね」
瑞佳はため息をつきながら言った。
「ごめんね。私が推薦断ってなければそばにいてあげられたのに」
「いいんだよ。私の体の使い方が悪かったんだから」
「…ところでさ、今日はそれを報告しに来たの?」
「まあそれもあるんだけど他にもあって」
私はそれを聞いて身を乗り出した。
「なになに」
「あのね…」
と言いながら瑞佳も私の方に身を乗り出した。
「うん…」
「最近めっっちゃ退屈なんだよね」
「え」
私は腰が抜けた
「だから、退屈なの」
瑞佳は真面目な顔で言った。ふざけてるようにしか思えなかったが彼女自身の中では本気のつもりのようだ。
「ならなんかすればいいじゃん。本気で勉強してみるとかさ」
私は提案してみた。
「いやぁそれがね、この間のテストほぼ勉強してないのにこの点数で」
と言って、定期テストの点数が書かれた成績表を見せてくる。
「ええ、どれも八割越えてんじゃん」
「ほら、私の通ってる高校って内部進学者がほとんどだからさ」
「ああ、テストも簡単ってことね」
「そ。それで本気で勉強する意味ないんだよね。そんなことしたら点数カンストしちゃうし」
「いやそれはそれで面白いじゃん」
私は笑いながら言った。
「でも私勉強好きじゃないし今の点数で満足なんだよね」
確かに、瑞佳は中学の頃からあまり勉強が好きではなかった。かといって成績が悪かったわけではないのだが…
「じゃあ旅行とかは」
「旅行かぁ…ううん」
瑞佳は腕を組んでうなりながら考え始めた。
「ほら、例えば北海道とか。この辺とは違って自然いっぱいできっと楽しいと思うんだけど」
私がそう言うと、腕を組んだまま
「でもそれってさ、大人になってからでもできるじゃん?」
と言った。
「まあ、それはそうだけど」
「それに遠出なんてめんどくさいし、多分遭難して帰って来れなくなる」
そう言われ私はため息をついた。正直これ以上にいい提案なんて無いと思っていたし、何より私の手札はもうない。
「もう私から提案できるものはないよ」
「そうかぁ」
瑞佳はテーブルに手を伸ばす
「ああ刺激が欲しいよぉ青春したいよぉ」
私は困ってしまった。もう店は閉まってるから迷惑ってわけではないのだが、解決できない問題を解決してくれと言われても私としてはどうしようもないとしか言いようがないから。かといって他の人を頼ってくれと追い出す気にもなれなかった。私はテーブル上でのたうち回っている瑞佳を見ながら何かできることはないか考えた。しばらくして、のたうち回っていた瑞佳の視界に店に配置してあったピアノが映った。そして瑞佳は私に尋ねてきた。
「雪ちゃんって今もピアノ弾いてるの?」
「うん。お金はとるけど、たまにお客さんの為に弾くんだ」
と言いながら私は立ち上がってピアノの方へ行き、ピアノをなでる。
「へぇ、そうなんだ」
瑞佳は嬉しそうに言った。
「そういえば私たち、中三の時の合唱コンで指揮と伴奏やったよね」
「ああ、そんなこともあったね」
私たちは中三の時にたまたま同じクラスになり、そのクラスの合唱での指揮と伴奏を私たちでやったこともあった。
「懐かしいね。そういえば初めの頃は瑞佳ちゃん指揮めっちゃいびつだったよね」
「そりゃ今まで指揮やったことなかったし仕方ないじゃない?」
「今まで一緒にやったことのある指揮者の中で一番心配だったんだけど」
苦笑いしながら言う
「でも最終的には最優秀賞だったんだからいいじゃん!」
瑞佳が反論する。実際その通りで、確かに最初の頃は大丈夫なのかという心配しかなかったが、彼女の成長速度は異常で、本番ではかなり良い指揮をやってくれ、そのおかげもあり私たちのクラスは最優秀賞を獲得することができた。
「…そうだね」
私はそう瑞佳に言葉を返しながらピアノの椅子に座る。
「なんか弾こうか?今なら無料サービスだよ」
瑞佳に問う
「じゃあお願いしようかな。久しぶりに雪ちゃんのピアノ聞きたいし」
「おっけー。何にする?」
「何でもいいよ」
と言われたので私は「A列車で行こう」を弾くことにした。そういえばこの曲も、色々思い出が詰まっていた。
四年前、私たち中学一年生は演奏技術向上を目的としてこの曲を一年生だけで演奏できるように練習した。練習をしていく中で、仲間と喧嘩が起きたこともあったし、先生や先輩から大丈夫なのかと思われたこともあった。だが、最後は皆で力を合わせて、一つの曲を完成させることができた。
そんな思い出に浸りながら、私は最後まで弾ききった。そして次の瞬間
「これだ!」
瑞佳が叫んだ。突然だったので私はとてもびっくりした。
「ど、どうしたの」
と私が聞くと瑞佳は立ち上がり、私の方に来る。そして私の手をつかんで言った
「ジャズバンド、ジャズバンドだよ!!ジャズバンドやろうよ!!!」