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オリバーは瞼が腫れ過ぎて前が見えないのか、何度も壁にぶつかりながら歩いていた。
彼のサポートをミアに頼むも、彼女はとても嫌そうな顔をしている。
そしてオリバーの耳を引っ張りながら顔を洗いに向かった。
荒々しいミアに驚きつつも、マグリットはイザックの元へと戻る。
そして彼の手を掴んでから目を合わせた。
「あの……イザックさん」
「どうした?」
「醤油を新しく作りたいんですけど、また手伝ってくれますか?」
マグリットが顔を上げながら控えめにそう言うと、イザックは優しく微笑んだ。
「もちろんだ。マグリットのためなら、いくらでも協力しよう」
「ありがとうございます……!」
「すぐに取り掛かるのか?」
「醤油作りに適した時期には、あと数カ月かかりますので……」
「……そうか」
かなり時間をかけて味噌や醤油を作っているところを見ているからか、イザックも納得しているようだ。
「マグリット、何か新しいものは作れないのか?」
「……え?」
「醤油が作れる時期まで、作れるものはあるか?」
イザックの前向きな言葉にマグリットは慌てて部屋にあったノートを取り出す。
「味噌、醤油、果実酒……酢や甘酒、ぬか漬けはお米がないとどうにもなりませんし……梅干しは梅が……やっぱり鰹節? でも納豆も」
「ナットウはダメだ」
「…………」
「絶対にダメだ」
この時ばかりはキラキラした瞳でイザックを見つめても通じない。
それよりも納豆というワードを聞いた途端、イザックの顔が怖すぎる。
マグリットはイザックから頑なに納豆を作ることを禁じられていた。
イザックに種麹をもらわないと納豆はできない。
豆だけを持っていくと、イザックは警戒するほどに納豆を警戒している。
前世の定食屋を営んでいる時もそうだが、外国人のお客さんが来ることもあった。
だが納豆だけはダメだという人も少なくなかった。
独特の匂いや口に残るネバネバ感が癖になるのだが、慣れていなければかなり強烈な食材なのかもしれない。
納豆は諦めつつ……醤油もダメになってしまったし、今朝食べようと思っていた庭山さんの卵も割れてしまったことを思い出す。
まさに不幸のどん底だ。
だけどここで立ち止まってはいられない。
(次は絶対いいことがあるはず……!)
マグリットはレシピが書いてあるノートを見てみても、現段階で手作りできる発酵食品は限られている。
「やっぱり〝お米〟がないと……」
「オコメはなかなか見つからないな」
「はい。イザックさんも協力してくださりありがとうございます」
マグリットはイザックに協力してもらいながら、米探しをしていた。
だけど米らしきものは見つからない。
タイ米のような細長い米に似たものならば隣国にあるのだ。
だが、水分が少なくパサパサとした食感で残念ながら甘みも粘り気もない。
日本米のように甘くてもっちりとしたお米は、この世界に存在しないのではないかという結論に至る。
そもそも味噌汁や醤油が出来上がり、干物や卵焼きを作ったとしても日本食になくてはならないお米がないと始まらない。
ふっくらとしていてつやつやで真っ白な日本米を思い出すと、じんわりと口内に滲み出てくるよだれ。
さすがのマグリットも内心ではお米がないのではないかと諦めつつある。
けれど味噌や醤油だって、イザックに出会えたから出来上がったのだ。
巡り巡ってチャンスがくるはずだと前向きだった。
(いつか……お米に出会える日が来るはずっ! その頃には醤油だって出来上がっているはずよ)
マグリットが決意を新たに空を見つめていると、お腹がぐるぐると鳴る。
そういえば醤油のことがあったため、朝ごはんを食べていないことを思い出す。