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マグリットはどこまでも広がる海を見つめていた。
ザーザーと波の音が遠くから聞こえてくる。
そのタイミングでイザックが屋敷の中に入ろうと皆を促す。
彼が持っている地図を見てマグリットは頷いた。
マグリットたちは屋敷の中へ。
部屋の中にはミアが淹れてくれた紅茶のふんわりと甘い香りが漂っていた。
テーブルに広げられた地図には、ベルファイン王国を中心に周辺諸国が描かれている。
「ガノングルフ辺境伯領はここだ」
イザックが指差した先には飛び出した土地がある。
全面は海があり、その向かいにはベルファイン王国の二倍も三倍も大きな大陸がある。
「ここは……?」
マグリットが指をさした先には大きな大陸がある。
それを見たイザックとローガンの表情は曇っていく。
「ダルタ帝国だ。十数年前までは、ここは戦場だった」
「……!」
イザックが辺境に来て腐敗魔法を使ったことで、一気に収まったそうだ。
その時のことをあまりイザックは語りたがらない。
悲しい思い出がたくさんあるのかもしれないと思うと、マグリットも軽率にそのことを聞くことはできない。
するとローガンがイザックの過去を詳しくマグリットに教えてくれた。
「イザックが来たのは十三歳の時なんだよ。それから数カ月で、あっという間に相手の船を追い返してしまったんだよ」
「イザックさんは、十三歳で一人でこの地に……?」
マグリットは驚いていた。
彼がそんな話をしたことはなかったからだ。
イザックが領民に深く感謝されている姿を思い出す。
年配の人になればなるほど、彼を崇めるように感謝していたのはそういうことなのだろう。
イザックは誰も殺めることなく、戦いは静かに終わったそうだ。
「それほどまでにイザックの力は大きかったんだ。帝国は海から攻めてくるだろう? あんなに巨大な船を一瞬でドロドロに溶かされてしまえばひとたまりもないからね」
「……」
「攻撃する前に攻撃手段を潰される。船には海に投げ出された人たちが押し寄せて救出作業に追われることになるからね。こちらに流れ着いた人たちを捕虜にされることもなく帝国に送り届けてを繰り返していたら……諦めるしかないよねぇ?」
それほどまでに腐敗魔法の力は大きかったようだ。
マグリットは周囲に恐れられていたイザックの姿を思い出す。
(だからイザックさんはあんなに恐れられていたのね)
実際にイザックがどうやって戦いを収めたのか知らない人たちにとっては、腐敗魔法と聞いて色々な想像をしたのだろう。
今更ながらイザックの人を遠ざける態度には納得してしまう。
人付き合いを避けてきたのにもこうした経緯があったようだ。
改めてイザックの凄さに感動していると……。
「そんなイザックの魔法をまさか食べ物に使うなんて……初めて聞いた時は驚きだったよ」
「たしかにな」
イザックとローガンの言葉にミアとオリバーですら激しく頷いている。
ネファーシャル子爵邸から出たことがなく、使用人として育ったマグリットは、貴族の事情をまったく知らなかった。
腐敗魔法と聞いて、すぐに発酵食品を思い浮かべたのはこの世界に転生してきたマグリットだけだろう。
知らなかったとはいえ、知っている人たちから見るとありえないことだというのは納得だった。
(……イザックさんが優しい人で本当によかったわ)
マグリットはホッと息を吐き出す。
「さて、今は俺の話をしている場合じゃないだろう? ミア、市場からどの方向に小舟が行ったかわかるか?」
「えっと……東と北の間。この辺りに向かって行きました」
イザックがそちらの報告を指を辿っていくと、地図の上である場所にぶつかる。