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イザックの名前を呼ぶ声はやはりローガンだった。
「イザック、やりやがったなっ! 今がどれだけ大切な時期なのか知らないだろう!?」
「「…………」」
「離せっ! 今すぐ研究所に戻せコラッ……!」
荷馬車でローガンを監視していた男性が困惑した表情でここまで報告に来たのだが、彼の声が響いているため目を覚ましたことはすぐにわかった。
マグリットはイザックと共に荷馬車へと向かう。
縛られているのに必死にバタバタしているローガンを見ていると、船に上がりピチピチ跳ねている魚を思い出す。
なんとか抜け出そうとしているローガンは、いつもより荒い口調で暴言を吐いている。
そんな彼を気にすることなく、イザックは淡々と残酷なことを告げる。
「今は王都を発ってから一日だ。歩いて帰るならば止めはしないが……どうする?」
「……くっ!」
ローガンはすぐに状況を察したのだろう。
悔しそうに唇を噛んだ後、諦めたように力を抜いた。
「わかったわかった、降参だ。縄を解いてくれ」
「あとマグリットに触れたら荷馬車行きだぞ?」
「はぁ……了解」
イザックの独占欲にも驚きつつ、ローガンの縄は解かれていく。
「ったく、やり方が荒すぎる! リダ公爵家だって、明日には帰ろうと思ってたんだぞ」
仕事ができない不安からか、ローガンはかなり苛立っているようにも見える。
「思っていただけだろう?」
「…………」
「このやり方が嫌なら周囲に心配をかけるな。ここまでしないと休まないお前が悪い。すべて手は回してある。問題はない」
「ああ、もう…………全部お見通しってことか」
ローガンはすべてを諦めたのか急に大人しくなった。
同じ体勢をしていたせいで体が痛むのか、腕や足を伸ばしながらストレッチをしている。
マグリットがローガン用に買っていた水や食べ物を渡す。
ローガンはいつものようににこやかに笑いながら「ありがとう」と言った。
いつもの彼だ。切り替えの早さに驚きだった。
イザックはマグリットの肩を抱いて、近くにくるように誘導している。
そんな様子を見て、サンドイッチを食べ終わったローガンはニヤリと笑う。
「嫉妬深い男は嫌われるらしいよ。イザックもほどほどにしないと、マグリットに嫌がられるんじゃない?」
「……余計なお世話だ」
「あー……五年ぶりの辺境か。僕は一人身なのにイザックは婚約者がいる。お互いずっと独り身だと思っていたのに……寂しいなぁ」
「…………」
「僕の肩身が狭くなるじゃないか」
そう言ったローガンはツンと唇を尖らせて不満は露わにしている。
マグリットはイザックとの出会いを思い出す。
アデルがイザックの婚約者にとネファーシャル子爵家に話がきたことがきっかけだ。
そして彼女が駆け落ちしたことで、マグリットが身代わりに嫁ぐことになった。
マグリットもイザックの魔法の力で、日本食を作ることが目的だった。
最初は婚約者という雰囲気ではなく、友人のような空気感だったが一緒に過ごすうちに次第に距離が縮まっていった。
そんな中、ずっと残りカスだと言われていたマグリットに魔力があることがわかった。
その時にイザックのおかげでマグリットは助かったのだ。
「俺はマグリットと出会えて本当によかったと思っている。彼女がいない人生なんて考えられない」
「…………わぁ、すっごい惚気」
ローガンは張り付けた笑みを浮かべている。
「マグリットを愛しているからな」
「イ、イザックさん!」
淡々とマグリットへの愛を語るイザックの口元を塞ぐ。
イザックは口をモゴモゴと動き続けていた。
くすぐったくなり、手のひらを外すとギュッと抱きしめられて体が硬直してしまう。