婚約破棄ですって!?喜んでお受けいたしますわ!
「世の中は理不尽なことが多いですわ」
ぼんやりと星空を見上げながら呟く1人のレディがいた。彼女の名はナディア・ハーヴィス。王家より隣国の要人との商談を任せられている、侯爵家に産まれた1人娘である。
彼女のことを表すとするなれば、才色兼備、という言葉が似合う女性であろう。
彼女がまだ幼い頃、父とともに隣国へ旅をしたことがあった。そこである少年と出会ったことを星空を見て思い出していた。
旅の最終日の夜のこと。少年に誘われたナディアは高台へと来ていた。そこから空を見上げると、夜空一面に満点の星が輝いていた。そこで2人はある約束を交わしたのだ。
「僕が大きくなったらナディアをお嫁さんにするね」
「うん!」
「必ず迎えに行くから」
この時の少年は一体誰だったのか、思い出そうにも幼い頃の記憶を思い出せないでいた。
(彼は一体……って、考えても仕方ないですわね)
ナディアが産まれる少し前のこと、父ガットラは隣国と積極的に交流を深め、多くの珍しい輸入品を取り入れることに成功していた。化粧品や紅茶など、仕入れた物は瞬く間に良品であると国内に広まり、売り上げも好調であった。その活躍が認められ、ハーヴィス家は国内では異例の男爵から侯爵へと昇格したのだ。
この華々しい功績は、物心のついたナディアにとってはかなり迷惑な話でもあった。
何事にも興味を示す性格のナディアは、両親の薦めで地元では誰もが知る名門『フェルメラ学園』の編入試験を受け、見事合格を果たした。ナディアはあまり乗り気ではなかったが、両親の切実な訴えに圧倒され受けざるを得なかったのだ。
フェルメラ学園は初等部よりエスカレーター方式で上がれる一方で、最難関の学園として有名であり、ナディアのように編入試験で合格するのは通常よりも難しいとされていた。そのため、彼女が編入して早々に良からぬ噂が広まっていたのだ……。
「きっとお金で編入試験を突破したんだろ」
「侯爵家に格上げされていい気になってるだけよ」
「話しかけてきたらどうする?」
「そんなのシカトだろ」
「聞いた話なんだけど……」
(これだから編入なんてしたくなかったのよ……)
ナディアは心の中で呟き、自身を落ち着かせるため大きく深呼吸をした。
編入前日の夕食時、ナディアは父よりある話を聞かされていた。
「いいか、よく聞くんだぞ。お前がこれから通うフェルメラ学園には、お前の婚約者も通っている。その婚約者の事をしっかりと見極めなさい」
「あの……お父様、私の聞き間違いでしょうか……今、婚約者と仰いました?」
「あぁ、言ったとも」
「ふぅ、……もう一度伺います。婚約者……一体何のことですの?」
「ほら、あなた……きちんと順をおって伝えないと、ナディアが困っていますわよ」
「そう、だな。いつまでも隠し通すわけには……いかんもんな」
父親の話によると、侯爵家に格上げする条件として国王陛下よりある提案を受けていた。それこそが、1人娘であるナディアと、王位継承権第3位である公爵令息との婚約、いわば政略結婚の提案であった。この国おいて、国のために政略結婚を推奨している、とは言いつつも最終的な婚姻は本人同士に任せており、見極める目的も兼ねてフェルメラ学園への編入を薦めたそうだ。
「婚約者の名は、ワイズ・ボックス。この国王位継承権第3位のご令息だ」
「ワイズ様……ですか」
「この婚約が決まった際、ボックス公より言われたんだ。我が息子との婚姻関係を結ぶのに、平凡な娘では困る、とな」
「なんてあからさまな嫌味ですこと……」
「可愛い娘を侮辱され、私は頭に血が上りそうになったわ。お前の気持ちを聞かずに編入試験を受けさせたのは申し訳ないことをしたと思っている」
「そういう事情があっただなんて……もっと早くに言って下されば良かったのに……」
(要するに、王位継承権第3位のご令息様との婚姻には、最低限の譲歩として同じような頭脳を持ち合わせていなければならない、と……。随分なお方ですこと)
ナディアはこの時から既にワイズに対する好感度は低かった。
そして、フェルメラ学園に編入して間もなくのこと―――。
「貴様がナディア・ハーヴィスか」
机の前には、腕を組みナディアを見定めるように睨みつける男性の姿があった。
「えぇ、そうです」
「見た目は……悪くないな」
(失礼極まりない言い方ですこと。お育ちが目に見えますわね)
「キャー、ワイズ様よ」
「今日も素敵ですわね」
「どうしてあの女に話しかけているのよ」
彼が教室にいるだけで、こうも黄色い歓声があちらこちらで上がるとは思わず、ナディアはしばらくぽかん、としていた。ふと我に返り、先ほどの会話を思い出していた。
「ワイズ様……」
小声で呟いたはずであったが、彼にも聞こえていたようだ。
「いかにも私の名は、ワイズ・ボックスだ」
「ワイズ様、お初にお目にかかります、ナディア・ハーヴィスです」
「ここに編入できただけでも及第点だな」
ナディアはこの時、自分自身が感情を表に出さない性格で良かった、と一安心していた。感情豊かであればとんでもない表情をしていたに違いない。
(この方の基準は一体どなたですの……)
いくら立場が上であろうと、ここまで言われる筋合いはないと思いつつも、淑女としての礼儀を忘れることなくその場を凌いだのであった。
学園内でのワイズの評判は悪くなかった、とういうより、悪く言えない、と言った方が正しいのかもしれない。学園内で公爵家の令息と言えばワイズしかおらず、皆彼の事を悪く言えないのである。盾突くようなことでもすれば、どんな結果になるかわかっているからだ。かと言って、婚約者のナディアに対しては相変わらずの態度で接する人が多かったが、彼女はそこまで気にせずに過ごしていた。
平日は学園内での授業を受け、週末は決まってボックス家へと出向き、婚約者であるワイズとの茶会で親睦を深めることが習慣化されていた。親睦と言っても話すことはなく、初めて会って以降彼はナディアの名前すら呼ばなくなっていた。
(これも慣れればなんてことはないわ)
「貴様、この間の試験ろくでもない点数をたたき出してないだろうな!」
「はい。何の問題もありません」
「ふん、どうだかな」
試験の結果、ナディアは学年トップ3に入りワイズよりも優秀であることが証明された。これまでも彼のナディアに対する態度は横柄であったが、これを機に更に当たりがきつくなったのだ。
「なぜに貴様との婚姻を薦められたのだ」
「貴様は私の好みではない」
「学園でも顔を合わせているのに、どうして休みの日までも会わねばならんのだ」
言いたい放題のワイズに対し、至って冷静に対応するナディア。意外と相性は良いのではないかと周囲は噂するようになっていた。
こうして学園生活も残りわずかとなった頃、ワイズの態度がより一層悪くなっていた。度々行われる試験において、成績が芳しくなくことが原因であった。そしてその彼のとばっちりを食らうのは、後にも先にもナディアだけだった。
「貴様とこうして顔を合わせる時間を作ったから成績が落ちたんだ」
「貴様と比べられるなんて……くそっ」
「貴様の顔を見ていると苛ついて仕方ない」
(いつまで経っても変わらないですわね……私も貴方様との時間は嫌で嫌で仕方ありませんのに)
ナディアはどんなことを言われようと、一切表情を変えずに聞き流していた。その態度が気に食わなかったのか、ワイズは思わず手に持っていたカップをナディアの方へと投げつけた。カップの中に入っていた紅茶はナディアのドレスを汚した後、床へと落ちていった。落ちた衝撃でカップは割れたが、幸いなことにナディアに怪我はなかった。
「ワイズ様!!」
「なんだ!!」
「さすがにこれは目を瞑れません」
「うるさい!黙れ!貴様に指図される筋合いはない!」
「ですが、ワイズ様だって怪我をしていたかもしれませんのに……」
「だから何だって言うんだ!貴様に私の気持ちなんかわからんだろ!」
「えぇ……わかりませんよ」
「あぁあもういい!今日を持って貴様との茶会なんてしない!」
自宅へと帰ったナディアは両親へ胸の内を話した。これまで心配をかけまいと事情を話さなかったナディアだが、両親の前では冷静ではいられず、泣き崩れながら話をした。
「ボックス公もろくでなしなら、息子も同じだったな」
「そうですわ。ナディア、よくここまで我慢してたわね……気付けなくてごめんなさい」
「お母様、謝らないでください。私がもう少し上手くやり過ごせば良かっただけのことです」
「何を言ってるの!貴女がどれだけの仕打ちを受けてきたと思ってるの!」
「そうだぞ。お前は何も悪くない!婚約なんてこちらから願い下げればいい」
「いいえ、お父様。それはなりません」
「なぜだ!?」
「立場をお考え下さい!それに……私にも考えがあります」
この話を聞いた両親は、驚きと怒りの両方の感情を持ち合わせた表情をしていた。
その内容は、というと―――。
ワイズには想い人がいると風の噂で聞いたことがあった。その女性との婚約を果たせず、代わりに名が挙がったのがナディアの存在だ。政略結婚に異を唱えても、結局は言いなりになるしかないこの世の中に、鬱憤を晴らすかのように当たり散らしたのが、何を言っても表情ひとつ変えないナディアだったわけだ。そしてもう一つ。ワイズがナディアに隠れて進めていたことがあった。
それはある昼下がりのこと。ナディアがいつものように学園の庭園へと向かっていると、目の前にはワイズが歩いていた。隣には見覚えのない令嬢が微笑みかけている姿があった。仲睦まじい様子にナディアはあることを思い出した。
(ワイズ様には……想い人がいたわね……確か……)
「サーシャ、いつもすまない」
「どうしてワイズ様が謝るのですか?」
(サーシャ様!そうそう、マーガレット伯爵家の令嬢だわ)
「大事な話とは何ですか?」
「誰もいないな……」
辺りをキョロキョロするワイズに見つからないように、ナディアは柱の影へと隠れた。息を潜め、ワイズの口から発せられる言葉を待っていた。
「私が18を迎える際、盛大なパーティーを開くことが決まった。その場において、正式な婚約者を発表することが決まったんだ。そこでサーシャ、君を婚約者として紹介する」
「ですが……」
「何も心配しなくていい。私に任せて欲しい」
「ワイズ様、私……」
「私たちは想い合っている仲だろ」
「……はい」
(サーシャ様の様子……何かありそうですわね)
こうしてナディアはツテのある両親に協力してもらい、様々な情報をかき集めた。そしてナディアはある決心をした。
―――ワイズ誕生パーティー当日。
ボックス公爵家には、同じ学園に通う令息令嬢が招かれていた。皆華やかに着飾る中、一際目を引く令嬢の姿があった。
「いつも思っていましたけど、今日はより一層美しいですわね」
「公爵家へと嫁ぐのに相応しいな」
「今度、学園で声をかけてみようかしら」
「美の秘訣を聞いてみたいですわ」
エントランスに現れたのは、父にエスコートされるナディアの姿だった。彼女の瞳と同じ藍色のドレスを纏い、艶のある髪を頭の上でまとめ、お気に入りの髪飾りを着けた姿に見惚れる人が多くいた。その中に、人目を避けるように遠目でナディアの姿を見つめる1人の男性の姿があった……。
「ナディア、あの髪飾りを着けてくれてるんだね。……約束を果たしに来たよ」
父と別れたナディアは、ホール中央へと歩みを進めた。多くの貴人に囲まれ、祝いの言葉をかけられているワイズの事を少し離れた所で見守っていた。
「この後、正式に婚約発表をされるそうですね」
「はい」
「お幸せにね」
「ありがとうございます」
「して、その婚約者様はどちらに」
「もう間もなく到着すると思いますよ。本日は楽しんで下さい、失礼します」
輪の中から出てきたワイズは、ナディアの姿を確認した後、隣を通りすぎる際に小声で話しかけた。
「ふっ、今日で貴様の姿も見納めだ」
最後まで横柄な態度は変わらなかったが、ナディアは気にせず凛とした姿で階段を登るワイズの背中を見つめていた。
ボックス公は、ワイズが階段の踊り場へ到着したのを確認し、ホール全体に響き渡るように声を張り上げた。
「ご来賓の皆様、本日は我が息子の誕生パーティーにお越し下さいまして、誠にありがとうございます。本日、皆様の前におきまして、息子の婚約者をご紹介したいと思います。ワイズ、こちらへ」
「はい、お父様」
ワイズは踊り場中央へと歩みを進めた。
ホール全体を見渡し、一呼吸置いた後、彼は話し出した。
「本日はお越しいただき、ありがとうございます。この場を借りて皆様にご報告がございます。私、ワイズ・ボックスは、ナディア・ハーヴィスとの婚約を今この時をもって破棄とさせて頂きます!」
彼の予想だにしない発言に、ボックス公をはじめとするほとんどの貴人は驚きを隠せないでいた。
「ワイズ、何を言っているんだ!」
「これは私が決めたことです」
「そんな事が通用するものか!今すぐ撤回しろ!」
「私には長年慕っている方がいるとご存知でしょう。私はナディアよりも彼女を選びます」
親子喧嘩の途中に、口を挟むのもどうかと思いながら、ナディアは重い口を開いた。
「ワイズ様」
ナディアの呼び掛けに、ワイズは睨み付けるように彼女を見た。
「まだいたのか、何か最後に言いたいことでも?」
「婚約破棄の件ですが……喜んでお受けいたします。私はこれにて失礼いたします。ごきげんよう」
ドレスの裾を持ち上げお辞儀をした後、ワイズに微笑みかけたナディアは踵を返そうとした。すると、どこからともなく彼女の名を呼ぶ声がした。
「ナディア!」
聞き覚えのある懐かしい声の主を探すように辺りを見渡すと、人混みを掻き分けるようにして1人の男性がナディアの前に現れた。
「ナディア、やっと会えた」
「あの……?」
「やっぱり忘れちゃったかな……」
「どこかでお会い……あっ!」
「思い出した?」
「昔、お父様と旅した時の……ですが、私……お名前が思い出せなくて……」
「あの時の私、名乗ってなかったから仕方ないよ」
そう言った彼は、しゃんと背筋を伸ばし姿勢を正した状態でナディアに向き直った。
「申し遅れました。私、ディセント国より参りましたルーク・ディセントと申します。この場を借りて、あなた様へ結婚の申し込みに馳せ参じました」
彼の言葉に周りがざわつきはじめた。
「ディセント国って、この国とも深く関わりがあるところだよな」
「確か、ハーヴィス公が何度も出向いたって……」
「私が今使っている化粧品、ディセント国の物ですわ」
「私もディセント国のティーは好んで頂いてますわ」
ディセント国と深く関わりがあることは彼らの話からも明確であった。
一方、幼い頃に高台で約束した事を思い出していたナディア。記憶に残る幼い頃の彼と、目の前にいる彼を照らし合わせると、大人びて見えるものの、彼の優しい目元や、微笑みは変わらないと思えたのだった。
「ルーク様、遠路はるばるお越しいただきありがとうございます。ですが、私はつい先ほど婚約を破棄された身です。この婚約が白紙となったそばから新たに婚約というのは……それに、我が家の爵位もおそらくは……」
「ナディアの心配には及ばないよ」
「……どういうことですの?」
「これまで君が、彼に、どんな扱いを受けて来たか、この私が知らないとでも?」
「え?」
「ボックス公爵家の内部事情は全て把握済みだ。そして、そのことはすでに国王陛下にも奏上済みだよ。処分が下るのは彼らの方だ、君は何も心配しなくても良いんだ」
「……そこまでされていたのですか」
「当然のこと。私がどれだけこの時を待っていたか、君にはわからないよ。自国での婚姻関係があるまま、私のような部外者が婚約を申し出るのはタブーだからね」
ルークが言うように、ボックス公爵家には様々な疑惑がありその事実が明らかとなった今、言い逃れができない状況にまで事は進んでいた。後日、国王陛下よりボックス公爵家は爵位及び王位継承権を剥奪、近日中の国外追放を宣告された。
ワイズが想い合っていると断言していたサーシャは、ナディアが婚約者であると判明して以降、同等の爵位の男性と婚約をしていたとか。
その後のナディアはというと、フェルメラ学園を卒業と同時にディセント国の王太子妃として嫁ぐことが決まり、妃教育を受ける日々が続いていた。
「ナディア、我が国のことを覚えるのは大変ではないか?」
「あら、私を見くびってもらっては困りますわ」
「それもそうだな。君の父君と文のやり取りをしていても、君が優秀であるとしか書かれていなかったからな」
「お父様と……文で連絡を取られていたのですか?」
「そうだよ。君とあの高台で約束をしてからずっと……。だから君とワイズ・ボックスの婚約を知ったときには、この感情をどこにぶつけたらいいかわからなくなったよ」
「……そんなことまで」
「私は初めて君と会ったときから君に惹かれていたんだ。まさか……この気持ちを疑うのかい?」
「そんなことは致しませんよ」
「ワイズ君に対して婚約を断った時みたいに断られたら、私はもう立ち直れないよ」
「ルーク様、私は貴方様しかお慕いしておりませんよ」
「本当かなぁ」
隣に座るルークの頬に軽くキスをしたナディア。恥ずかしさのあまり下を向いてしまう彼女を微笑ましそうに見つめるルーク。
「……ルーク様、これで良いですか」
「そうだなぁ……頬だしな」
「もぅしません!」
「いや、嘘、ごめん!機嫌を直して愛しい人……君の気持ち、疑ってないからさ」
穏やかな空気が流れる昼下がり。
今日も仲睦まじい2人の間には、なんとも甘い空気が漂っていたのだった。
虎娘『婚約破棄ですって!?喜んでお受けいたしますわ!』
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