真に迫る悲哀は、周到であればこそ
袋に詰め込まれた状態のハリコは、薄い布越しに乱雑な扱いをほぼ直接的に体感することとなった。
床に投げ出されても、体を庇うための手足が欠損した状態のままでは、その衝撃をやわらげることも叶わない。仮に彼が生きた人間であれば、運搬と放置を繰り返される過程の中で、とうに全身青痣だらけになってしまっていただろう。
命無きリズァーラーの場合は、体内の菌糸が蓄えた体液がじわりと滲み出る感触を覚えるばかりであった。袋の外から会話が聞こえてくる。
「今回の崩落事故における、カティー様の生還は未だ一般には知られていないままです。管理局からは、哀悼の意を示す声明のみが発表されています。」
「よかったわ、けれどボヤボヤしてはいられないわね。仮に追加で救助隊が現地に送られたら、私の屋敷跡から脱出した痕跡を発見されてしまうかもしれないわ。記者会見の準備を進めましょう、もちろん私の名は出さず、愛護組織の名義で。」
「は、仰せのままに。」
自分の屋敷が居住区崩落に巻き込まれて瓦礫と化し、引き取った養子の少年も犠牲となったことを嘆くでもなく、逆に自分の命が助かったことを喜ぶでもなく……淡々と今後の算段を進めていくカティーのことが、ハリコは徐々に恐ろしくなってきていた。
リズァーラー保護活動と称してハリコを屋敷へと招き入れた頃の手厚い世話とは打って変わって、今はハリコを袋詰めにしたまま放置するという待遇の大きな差にも、カティーの異様さは表れているようであった。
「カティー様、後発の捜索部隊が帰還しました。お部屋から、貴重と思われる品々をいくつか持ち帰ったとのことです。」
「全部、処分するように伝えて。あの屋敷には最初から安物の家具しか置いてない、それに胞子に汚染されてるものなんて要らないわ。一番重要な権利関係の書類は、ここに全て持ち出してあるから。」
「他の部屋の跡地についても捜索を行ったものの、一切の家財道具が見つからなかった、とも報告が上がっています。何者かがリズァーラーを雇って、窃盗を行った恐れが……」
「他の部屋にはもとから家具なんて無いわよ、内装工事そのものをしてないんだから。どうせ無駄になるものにコストは掛けられないでしょう。」
カティーがいかに自らの腹の内を喋ろうとも、その内容を他へと告げ口する存在は無かった。彼女の配下として忠実に働く警備兵たちはもとより、言葉を発せないハリコもまた沈黙同様の状態だったのだから。
「……。」
袋に詰められたまま次なる扱いを待つほかにない時間、袋の中に詰められっぱなしのハリコは唸り声のひとつもあげず、また僅かな身じろぎすらしなかった。
秘密裏に計画を進める必要があったためか、狭い部屋の中でカティーと警備兵たちの会話はいつもすぐ近くに聞こえた。ハリコは、自分が意識を保ってカティーの近くに居ることを、彼女に悟らせるのを恐れた。
ハリコが自分の存在を主張してもなお、カティーが屋敷に居た時とはかけ離れた態度を続けていれば、いよいよ彼女の冷徹さを証明するような結果になるためだ。
あくまで、カティーはハリコがすぐ近くに居ることに気づいていないだけ……という体裁を、この空間で保つことこそが穏便な選択であると思われた。
「カティー様、記者会見の準備が整いました。管理局への手続きも、同時に済ませてあります。会場への移動をお願いします。」
しかし、やがて警備兵が指示通りの手筈を整えたことを伝えに来た時、カティーは余りにも事も無げにハリコの存在に言及した。
「そう。じゃ、そこのリズァーラーも連れてきて頂戴。あまり見すぼらしくないような服を着せて、見るに堪えない部分も隠してからね。」
自らの存在感を主張しないでいる事で、穏便な体裁を保とうとしていたハリコの努力は、全く無意味であった。
「了解いたしました。」
「私も髪と化粧を整えてからすぐに行くわ。服はこのままでいいでしょう、あまりに綺麗な服を着て出ていったら、私が危険にさらされたことをアピールできなくなるもの。」
カティーが立ち去った後、ハリコはしばらくぶりに袋の中から手荒く引っぱり出された。
たしかにそこは少々薄暗い、いかにも隠れ家といった雰囲気の小部屋であった。壁や天井にはシミもカビも全く見られない、下層ではあり得ないほどに清潔な空間ではあったが。
手足の無いリズァーラーの姿を見ても、警備兵は驚いたり嫌悪感を示したりせず、命じられた通りにハリコの身体へ服を纏わせた。
「ウ゛ゥ゛。」
「コイツの顔とか頭も、隠してやった方がいいか。上層の方々相手にお見せするにはグロすぎる。」
ハリコの大きく欠損した頭蓋骨、そして牙がずらりと並んでいる大顎を眺めていた警備兵は、ブツブツと呟きながら黒いストールのような布で彼の顔を覆った。
彼が下層街にて処刑任務に携わっていた頃、黒いフードで顔を隠していた時とほぼ変わりない外見へと戻る。しかし、自分の顔に直接触れる布の肌触りは、今までに感じたことの無いほど滑らかで上質なものであった。
自分の扱われ方が純粋な厚意に起因しているわけではないことに既に気づいてはいたものの、単なる荷物同然の扱いから引っ張り出され、こうして服を着せてもらっただけで、ハリコは随分と人心地がついたような感覚を覚えていた。
どのように扱われるにせよ、彼が何らの権利も有さないリズァーラーであることに変わりは無かったのだが。髪型と化粧を直し終えて部屋に戻ってきたカティーは、それなりの恰好をさせられたハリコを見て頷く。
「悪くはないわね、それじゃあ行きましょう。せっかく私が可哀想な子たちを保護してあげたのに、ずさんな居住区づくりで崩落事故を引き起こした悪い役人たちを、とっちめてやらなくちゃね。」
自分の外見を整えたばかりが理由ではなかったろうが、その時のカティーは随分と上機嫌に見えた。
彼女が屋敷へ引き取っていた孤児ばかりではない、他の住民も数多犠牲になったろう悲惨な崩落事故を現場にて経験した直後とは思えないほどに、カティーは晴れやかな表情を浮かべていた。
四肢の無いハリコは、カティーによって抱き上げられる。
「ウゥ……。」
それまでの態度を隠す必要もないだろうに、今までになく愛おしそうな表情で見つめてくるカティーの顔の裏に隠れている意思が不気味であった。
「何も不安がらなくていいのよ、リズァーラーさん。あなたはその憐れな姿を、ただ皆に見せていればいいの。もう少しだけ、私に付き合って頂戴。」
赤子のようにカティーの腕の中に収まったハリコには、その場から脱する術もなく、言葉を発せない口からは抗議の言葉も上げられない。
ただ周囲の意思のままに連れていかれる先、いかなる仕打ちが待ち構えているのかと、不安を感じずにいるのが困難であることには変わりなかった。
ハリコを抱いたカティーは薄暗い通路を抜け、小さな扉をくぐった先で絨毯の敷き詰められた大部屋へと出る。豪奢な装飾に象られた天井照明の下で、数多くの人々のざわめき、どよめきが寄り合っている。
警備兵たちの護衛に囲まれて人々の注目を一身に浴びたカティーは、その場のざわめきを一蹴するほどに鋭く、そして朗々と語り始めた。
「私はカティー・ハンセン、弱者愛護組織の者です。皆様、どうかお聞きください。今回の居住区崩落事故によって私の屋敷は全壊し、保護のため養子に迎えていた少年も犠牲となりました。この件について、居住区の安全性を保つ責任を有する市民生活管理局への追及を、つい先ほど正式な書面の形で行いました……。」
つい先ほどまでとは真逆に、カティーは悲痛な面持ちを浮かべていた。
その内実があまりにも虚ろであることを知っているハリコだけが、彼女の真に迫った表情に一層の空恐ろしさを覚えていたのだった。
自分の屋敷が居住区の崩落に巻き込まれたこと、保護していた孤児が犠牲になったこと、それらを切実な表情でカティーは記者たちに訴えかけている。
「子供に恵まれなかった私にとって、養子に迎えた少年は宝も同然でした。あの子もまた、私との暮らしに慣れ始めてきたばかりで……その矢先、こんな形であの子を奪われるようなことになるだなんて……。」
この地下都市における"記者"という存在は、富裕層出身者ばかりで構成されていた。管理局によって社会機能の殆どが統制されている中、人工の大部分を占める貧困層の市民たちには、そも報道を目にした所で行動を起こす権利など与えられていない。
必然的に、報道を受け取る必要性があるのは上層街の住人たちばかりであり、自らのイメージを向上させ、対立する存在の印象を貶めるための手段として用いることが大抵であった。まさに今、カティーが行っていることである。
「建てたばかりの屋敷、その中の家財道具を全て失いましたが、そんなものは微々たる損失です……私にとって一番の損失は、いよいよこれから幸せな生を送らせてあげられるはずだった養子の命を、あんな崩落事故によってあっけなく奪われてしまったことです。」
演技のつもりもないのか、カティーの眦からはごく自然に涙が滲み出てきていた。悲痛な表情を浮かべるカティーに感じ入った様子で、取り囲む記者たちも沈痛な面持ちを浮かべ頷き合っている。
彼らは裕福な家柄の出であることを示すように、一様に仕立ての良い礼服を着込んでいた。記者らしさを示すのは手にペンを握り、メモ帳に字を記している程度の振る舞いであり、中にはそういった作業すらも付き添いの執事や侍女に任せ、自分はただ興味本位で話を聞いているだけの者も居る。
そういった記者たちにとって、与えられた情報の真偽などは二の次であったろう。ただ興味を惹く話題を仕入れて、自らの仕入れた話題で界隈を賑わせることばかりが、地下都市における記者たちの自負する使命であった。
「こんな絶望の淵においても、私にはたった一つ、光明が残されていました。それが、このリズァーラーです。」
滔々と語り続けるカティーに抱きかかえられたまま、自分は何のためにこの場に連れて来られたのか、とそろそろ思い始めていたハリコは唐突な紹介に晒される。
無論、四肢を失っている彼の姿には、この場に到着したその時から一定の奇異の視線が集まっていたが。
「ウゥ……。」
「このリズァーラーの身体の除染は済ませ、清潔な服装へと着替えさせておりますのでご安心ください。」
カティーの背後で控えていた警備兵が、補足説明を付け加える。
既にカティーが大事そうに抱きかかえた姿で記者たちの前に姿を現してはいたのだが、それでもなおリズァーラーが不潔な存在であるという認識は根深かった。警備兵による説明を待ち、カティーは言葉を継ぐ。
「この子は、可哀想なことに言葉を発せず、両手足も失っているという憐れな有様です。しかし、崩れた瓦礫の下で私が密閉式ベッドに籠っている間、救助隊を誘導するため必死で声を上げ続けてくれたのです。」
「ウゥ゛ー。」
目元を残して顔面の殆どが覆われたハリコが小さく唸り声を上げると、いかにも珍しい動物と遭遇したかのように記者たちはどよめきを起こした。
上層街でしか暮らしたことの無い彼らが、直接リズァーラーの姿を目にすることなどほぼ無かったろう。実際のところは、全身アーマーで覆われた警備兵の中身にリズァーラーが入っていることも少なからずあったろうが。
「私は、この子が救助隊を呼び続けてくれたおかげで助かったのです。廃棄処分される直前だったところを私によって保護されたこの子は、最高の形で恩返しをしてくれました。このリズァーラーは、私にとって命の恩人なのですよ。」
一人の記者が、銀色の金具に縁どられた黒い箱を目元に構え、パシャリと音を立てる。ハリコにはそれが何なのか知りようもなかったが、かつて地上世界においては“カメラ”と呼ばれていた代物であった。
カメラという機材、そして感光によってレンズから取り込んだ像を記録するフィルム、そのいずれも地下都市においては生産不可能な品である。地上の遺構から回収された物品は、いかに質が劣化していても再生産不可能であるがため、希少性は高い。
カメラの所有者はごく僅かであり、そんな彼らが消耗品のフィルムを用いるのは余程稀有な光景に面した時に限られた。
「これは珍しいものが撮れた、貴重な感光フィルムの使いどころだ。」
今カメラを使用した記者は、この場に集まった中でも特に年配であり、貫禄を備えた風貌であった。彼は機材上部のレバーを引き出し、手動でゆっくりとフィルムを巻き上げている。手早く操作すると、内部のフィルムが簡単にちぎれてしまうことを既に経験しているのだろう。
その記者にとっては、今しがたカティーが語っている内容よりもよほど、自慢のカメラを丁寧に操作することの方が重要なようであった。
「私も、彼から報いられた恩義に応えようと考えています。こんなにも憐れな姿のリズァーラーにマトモな身体を与えてやるため、身体の再建手術を受けさせたいのです。しかし、私は屋敷も家財道具も失ったばかり。どうか私の悲願を現実とするため、ご支援を心の底からお願い申し上げる次第でございます。」
記者たちの前に姿を現す前、崩落に巻き込まれた屋敷には最初からめぼしい家具も内装も無かったことをカティーは語っていたが、その旨を知る者などこの場には居なかった。
何も知らぬ記者たち……あるいは興味本位でのみ当事者の話を聞きに来た記者たちは、会場の隅から発された拍手につられるようにして次々と拍手の音を立てるばかりであった。
「……。」
当然ながら言葉を発せぬハリコは、彼女の言い分が先ほどと食い違っていることに気づこうとも、目をぱちくりさせる以外に出来ることは無い。
その場を埋め尽くした拍手の音が多少静まるのを待って、カティーは更に付け加える。
「お忘れなきように、救済されるべき弱者は、このリズァーラーばかりではありません。下層街の劣悪な環境で暮らす子供たち、そして人権無きままに悲惨な扱いを受けるリズァーラーたちを救う保護活動は、皆々様の温かいお志に支えられています。今後とも、弱者愛護組織へのご支援をよろしくお願い申し上げます。」
再び、誰かしらが立てた拍手の音につられる形で、記者たちはめいめいに拍手する。会見の冒頭で涙を浮かべた目の充血を残しながらも、カティーは毅然とした表情を作って深々と頭を下げ、警備兵たちに付き添われてその場を後にした。
カティーの腕の中に抱かれ、ハリコが見上げる彼女の表情は、記者会見の会場から出ていくと同時にみるみる晴れやかなものへと変わっていった。
彼女の表情を支えている心の底からの感情が、偽りない悲しみから歓びへとごく自然に切り替わったかのごとく、不気味なほどに滑らかな変化であった。
「記者たちからの反応は上々ね。彼らが欲しがっていた話題を供給できたところで、私もボヤボヤしてはいられないわ。愛護組織の私書箱には、まだ管理局からの返答は届いていないの?」
言いながら、カティーはつい先ほどまで大事そうに抱きかかえていたハリコを傍らの警備兵へと投げ渡す。
文字通りの唐突な動作だったため、予告なくハリコの身体が飛んできた警備兵は危うく取り落とすところであった。警備兵によって手荒く抱え上げられたハリコも、つい呻き声を上げる。
「ウッ……!?」
「っと、いえ、届いております。こちらに……。」
ハリコの身体を小脇に抱えつつ、警備兵は開いている方の手で書簡をカティーへと差し出した。
ひったくるような速さでカティーはそれを取り、封を開けて読み始める。
「さすがに行動が早いわ、管理局は。私の受けた被害の詳細が分からないままに、とりあえずの補償金だけは振り込むことを決定したのね。これっぽっちで愛護組織を黙らせるつもりなら、随分甘い見通しだけれど。」
書面を大事そうにカティーはたたみ、封筒の中へ丁寧に収めて大切そうに懐へしまう。先ほど雑に投げ渡したハリコの身柄などよりも、よほど丁重な扱い方であった。
通路を足早に歩き続けながらも、彼女は警備兵たちへ次なる指示を出す。
「記者たちに見せた以上、そのリズァーラーの身体再建手術だけは実際に進めなくちゃいけないわね。とりあえず、リズァーラーの研究者の元へ届けて、手術にはどれぐらいの費用が必要か聞いておいて頂戴。」
「了解しました。」
「ウ……。」
指示を受けた警備兵は直ちに、ハリコを抱えたままカティーの同行から外れる。
ハリコの受けた扱いだけを見れば、確かにカティーは恩人であり、彼女の屋敷で、あるいは腕の中で世話されていた間は、カティーを善意の人間であると感じることが無かったわけではない。彼女がハリコへ一時注いでいた愛おしげな眼差しは、先ほどの振る舞いを目にした今もなお、実のある温かみを帯びていたように思い出された。
が、今、別れの言葉も無く、ハリコに対して目もくれず、そそくさと立ち去っていくカティーの背は、最初から赤の他人として振舞っていたかのように冷たく映じていた。




