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日の目を見ざるリズァーラー  作者: MasauOkubo
存在を委ね、物として
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光無き再会は、懐かしき死臭と共に

 ハリコが目を開いても、目の前は変わらず暗闇に包まれたままであった。


 巨大な崩落が発生したことを示して、重く遠い轟きが今なお聞こえ続けている。それは彼が今まで聞いてきた、物が破壊されるどんな音にも似つかなかった。まるで街ひとつを背負う巨大な獣が暴れ終え、満足感とともに唸り声を響かせているかのごとくであった。


「……ウゥ……」


 ハリコに出来る事も、唸り声を上げるだけのことだった。無論、それに応える存在はない。手足の無い彼は、その場から移動することもかなわず、ただ床に投げ捨てられた状態のままで上へと視線を投げかけるだけであった。


 すぐ傍には、カティーがその身をひそめているベッドがあるものの、頑丈なシャッターで内部を閉鎖された中からは、彼女の息遣いを感じることすらできない。


 そもそも外部環境から遮断するためのシャッターを備えているベッドなど、カティー自身が語ったように特注でなければあり得ないだろう。内部に新鮮な空気の供給手段までも用意している時点で、この災害が発生することを彼女は予見していたのではないかと思われた。


「……ウ?」


 しばらく暗がりの中で目をあちこちに向けていたハリコであったが、自分が置かれている状況は完全なる暗闇ではないことに気づく。目が慣れてくるにつれ、周囲の様子が薄闇の中に浮かんで見えだしたのだ。


 カティーの寝室として作られていたこの部屋は、相当に頑丈な構造であったらしい。この地下都市最上層と地上世界を隔てる天井部分が崩落した際、とてつもない重量の岩塊や鉄骨が屋敷には降り注いだのだろうが、この部屋は押しつぶされることなく空間を保持していた。


 とはいえ、完全に損傷を免れたわけではない。暗さに慣れたハリコの目には、部屋を両断する巨大なナイフのごとく、街の天蓋を支えていた鉄骨が食い込んでいる様を見た。


「……。」


 かなりの高度から落下してきたのだろう鉄骨は、分厚い鋼鉄で覆われていた部屋の天井と壁面を飴細工のように易々と切り裂いていた。


 あらゆるエネルギー供給が途絶えたはずの空間で、なおも差し込む僅かな光は、その隙間からもたらされていた……すなわち、地上の光。


 居住区の崩壊が起きた今、危険な胞子が常に空から降り注ぎ続ける地上世界に、この街は既に露出していたのである。


「オ、オォ、オォゥウー。」


「……?」


 たった今聞こえた呻き声は、自分の喉から出たものではない。


 この場所で、自分以外に活動できる存在が居るのか訝しみつつ、ハリコは聞き耳を立てた。


 密閉式ベッドの中に避難する直前、カティーからは救助隊が来ることを、ほぼ確定した事実として告げられていたものの、その呻き声は理性ある存在の発するものには到底聞こえなかった。


 はたして、部屋の裂け目からチラリと覗いたその存在は、ハリコと同じくこの屋敷に引き取られてきた肥満体の少年の姿だった。既に理性を失っている。


「アオ、オォオォー。」


「……。」


 現在の環境下において、それは当然のなりゆきであった。この街が地上世界に露出し、空から降り注ぐ胞子に曝されているということは、もはや人間たちに生き延びる術は残されていないも同然である。


 胞子は、生物の体表に付着した際、ないし呼吸器内に吸入された際、水分を感知すると同時に菌糸を生物の体内へともぐりこませ、脳へと達して思考を乗っ取る。ごく稀に、一定の意思を有するリズァーラーへと変異することがあるものの、大抵の人間は即座に自らの理性を失い、あてどなく歩き出す。


 彼らがどこを目指して歩もうとするのかは定かでなかったが……自力で脱出できない空間に閉じ込められていた場合は、十分な知性を持たぬ状態のまま、脱出口を求めて無意味な徘徊を続けることとなる。


「オォォ、アゥゥー。」


「……。」


 ハリコは、ただ黙って眺めているしか出来なかった。あの少年も、この居住区内部まで降り注いできた胞子の影響を受けたのだろう。


 街の崩落に巻き込まれ、全壊した屋敷の瓦礫の中、肥満体の少年だった肉体は満足に動き回れる空間もなく、呻き声を繰り返しながら太く短い手足をバタバタさせるばかりである。


 少年の側頭は大きく欠損して赤黒い血で覆われ、それに縁取られるように滑稽なほど綺麗な桃色の脳漿が覗いているのが見えた。


「オアァー、アーウ。」


「……。」


 もはや何の意思も有さない少年の呻き声、そして無意味に身もだえする音を聞きながら、ハリコはひたすら待つしかなかった。


 状況は異様なものではあったが、しかしハリコが四肢を失って以来、幾度も経験してきた放置状態よりはずっとマシであった。以前の経験においては、自ら動く手足を失った状態で、いつまで放っておかれるとも知れない時間を過ごすしかなかったのだ。


 今回は、この待ち時間に終わりがあることは分かっている。救助隊の到来予定をカティーが告げた時、彼女は十分すぎるほどの確信をその目の色にこめていたのだから。


「オォ゛、オ゛ァ゛……。」


「……。」


 少年の声が涸れ始める。


 どれほどの時間が経過したのか計る術は無かったが、それだけの長時間、この肥満体の少年は……正確には、少年の体内で繁殖した菌糸は、脱出できない瓦礫の中で声を上げ、体をうごめかしていたことになる。


 脳を菌糸に乗っ取られ、理性を失った少年の声を延々と聞かされ続けるのは、人間の感性では耐えがたいことだったかもしれないが、ハリコにとってはちょうど良い退屈しのぎであった。


 話し相手にはなってくれなかったものの、絶えず声を上げ続けてくれていれば、カティーから言いつけられた通りに救助隊から発見してもらうため自分が大声を上げ続ける必要も無かった。


「オ゛、ウ゛……。」


 まもなく、ほとんど掠れ声となっていた少年の喉は、完全に涸れきってしまったらしかった。同時に、埋もれた瓦礫の中から抜け出そうと無為な努力を続けていた彼の手足も、動かなくなる。


 最初から四肢の無いハリコも身じろぎせず、この場を完全なる静寂が包み込む。暗がりにすっかり慣れてしまったハリコの目は、瓦礫の隙間から遠く望める地上の光を眺めていた。


 地下都市に暮らしている間、決して目にすることのない光。


 人間、その他あらゆる生物の生存を拒む世界の光は、天窓越しではなく直に注いでいるおかげか、今さらになって美しく見えた……。


「……?」


 ハリコは、聞き耳を立てた。


 明確に声がしたわけではないが、自らを呼ぶ何者かの存在を感じ取った気がしたのだ。地上世界に露出しているからこそ、それは今までになく現実味を伴ってハリコの感覚に接近しているようであった。


 以前、任務の待機時間中に経験した幻視、光に満たされた光景の中で、ハリコの存在を呼び寄せる、巨大かつ畏敬の念を抱かせる存在に非常に似たものであった。


「……。」


 が、それはすぐに遠ざかってしまった。


 ハリコが無念そうな表情を浮かべる間もなく、全く別の、今度は明確に聞こえる声として、崩壊した屋敷の外から声が聞こえ始める。


「……こちらです、こっちのほうで、声みたいなのが聞こえた気がしますよぉ。」


「……!……ウゥ、ウ、ウァン!ワァン!ウゥゥ゛ウ゛!」


 ハリコは迷わず、吠え声を上げ始めた。


 ハッキリと、聞き覚えのある声、その話し方。長きにわたり、意識に上ってこなかった存在ながら、今にして耳にすると、彼女の存在は即座に脳裏にて描かれた。


 カティーが言うところの救助隊が、この場に到着したらしい。危険な胞子が降り注ぐ環境下での捜索ゆえ、人間ではない、リズァーラーたちばかりで構成されているのだろう。


「この奥からだ、おそらくカティー様が飼っておられたリズァーラーが喚いているんだろう。」


「慎重に取り除くぞ、瓦礫の更なる崩壊を起こさないように……あれは、カティー様の引き取られた養子の少年だな。もう死んでいるようだが。」


 捜索隊の中に、いかなる暗闇でも見通す、特殊な視力を有するリズァーラーも動員されたのだろう。掛け声が飛び交い、ひとつひとつ瓦礫を取り除かれていった先、地上からのぼんやりした光が差し込み始める。


 既に体力を使い果たし、文字通りの死体そのものとなっていた少年の太った身体は、雑に脇へと押しのけられる。


 生存者の捜索活動に当たっている警備兵たちの最優先目標は、やはりカティーの発見らしい。


 が、その最前列に居るのは確かにマナコであった。


「ウゥ!ウァァ!ウァン!」


「えっ、リコくん……?リコくんですよね!わぁあ、リコくんだぁ!どこに行っちゃってたんですか、今まで!ウィトゥス博士の所ではぐれてから、もう会えなくなっちゃったかと思ってましたよぉ!」


 相変わらず、彼女は左目のまぶたを全開状態で固定する器具をつけ、大きく開いた白目の中で小さく見える瞳を感激に揺らしていた。これまでになく口角のつり上がった唇の下では、尖った歯の先がかつて見慣れた時のごとく覗いた。


 重厚な装備に身を包んだ警備兵たちに先駆けて、細身のマナコは部屋の壁に開いた亀裂をスルリとすり抜けて入ってくる。


 そのまま駆け寄り、ハリコの身体を軽々と抱き上げ、抱きしめた。


「あぁ、ホントにリコくんですねぇ……!全然、変わってないですねぇ、随分と触り心地の良い服を着せてもらってますけどぉ。手足を治してもらってもいないんですねぇ。」


「クゥーウ、ウゥー……!」


 マナコの冷たく、死臭の染みついた腕の中に抱きかかえられながら、ハリコは今までに経験したいずれの被保護よりも安堵を覚えている自分に気づいていた。

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