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日の目を見ざるリズァーラー  作者: MasauOkubo
存在を委ね、物として
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やがて知る、ゆりかごが棺桶であると

 近頃のカティーは、ハリコの胴体を抱きかかえて屋敷の中をあちこちと歩き回ることが増えた。


 それまでは、与えられた部屋の中でただ横たえられたまま放置されるばかりだったハリコ。そんな彼にカティーが積極的に触れるようになったのは、養子として同じく屋敷に引き取られた少年の手伝いを得て、ハリコが清潔な服に着替えたことが大きな要因であった。


 かつての処刑任務に従事していた頃からハリコが着せられっぱなしだった、べったり返り血の痕がついた作業服を、いかに慈善家を名乗るカティーも積極的に触れたくはなかったらしい。


「ほら、ここが私の部屋よ。この街に住む方々は、お宅にたくさんの自分用の部屋を持ってらっしゃることが多いけれど、私は部屋は一つだけでいいの。他にも、可哀想な子たちを保護した時のために、部屋を空けてあるのよ。」


「ウゥ……!」


 カティーへ返答するように上げたハリコの唸り声には、相槌というより、小さな驚きが込められていた。


 今、カティーが語った内容についての驚きではない。その部屋のしつらえがあまりにも豪華だったことへの驚きであった。


「お化粧用のお部屋や、お洋服のためのお部屋とか、分けて使っておられる方が多いけれど、私は一つの部屋にまとめているのよ。その方が、むしろ便利だもの。」


 "多い"というのは、富裕層に限られた話であったろう。カティーの認識は、この地下都市においては非常に狭い範囲でのみ通用するものにすぎなかった。


 カティーの部屋は、ハリコが普段寝かされている部屋の数倍は広い。化粧台、クローゼット傍らの姿見、髪をセットする際に用いる三面鏡など、カティーが自らの容姿を整えるための家具が幾種も並べられ、なお空間には余裕がある。


 ハリコにはその価値が分からぬ大型の絵画が飾られた壁面、その直下には、随分と斬新なデザインの寝台が鎮座していた。


 横たえられた円柱形の一部がくりぬかれたような形状。中にはふかふかのシーツ、そして寝たままでもちょっとした作業が出来るよう枕元にテーブルのようなスペースがあり、小さな照明器具も備えられている。


「このベッドは特注品なの。眠っている間、新鮮な空気が枕元から常に供給されるのよ。もちろん、屋敷全体に清潔な空気は循環しているから、そこまで必要のない機能なのだけれどね。」


「ウー……。」


「けれど、ベッドの中はときどき、空気がこもってしまうことがあるらしいの。リズァーラーさんや孤児たちの保護活動で忙しい私は、毎日スッキリと目覚められるように睡眠環境を大切にしているのよ。」


 上層街に住んでいる者たちが、こうして自らの健康状態を保つ設備に投資できる余裕がある以上、彼らが身体に不調をきたすことなどまずあり得ないのだろう。


 翻って思い返されるのは、清潔な空気を吸う事自体ままならない住処で寝起きし、富裕層の人間たちとは比べ物にならぬ労働時間を課せられている下層街の労働者たちの存在。彼らはよほど劣悪な環境で暮らしていたのだ、とハリコは再認識していた。


 ハリコの身体を抱いた状態のカティーは、その状態でベッドには近寄らなかった。服を着替えさせた今となっても、リズァーラーの身体を自らの寝床に触れさせることには抵抗があるらしかった。


「あの子も、そろそろお腹が空いてきたころね。今日はハンバーグを焼いてあげましょう、今まで本物のお肉を食べたことがないっていうもの、よっぽど食べ物の無い生活を送ってきたのね、可哀想に。」


「……。」


 本物の肉どころか、肉の代用品となる豆類でさえ、地下においては栽培が難しい植物である。この地下都市の大部分を占める労働者階級が、葉野菜やキノコ類ばかりでどうにか食いつなぎ、偶に得られる虫の肉を貴重なタンパク源として摂取している現状を、カティーは知る由もないのだ。


 腕にハリコを抱いて廊下を進むカティーは、間もなく彼女が養子に迎えたばかりの、肥満体の少年がぼんやりと窓の外を眺めている姿を見出した。


「あら、お勉強はもういいの?先生に渡していただいた、文字を書く練習テキスト、今日の分は終わったの?」


「うん、済んだ。」


 カティーの問いかけに、少年は気の無い返事だけを口にする。生まれてこのかた、ずっと労働のためだけに過ごしてきた少年のため、カティーは一応ながら学をつけさせようとしてやっているのだろう。


 その勉強とやらに少年がどれほどの必要性を感じているか、そしてカティー自身が少年を勉強させることにさしたる重要性を覚えているかについては、この場のやり取りだけでは甚だ頼りないものであったが。


 口先だけで答えた少年の返答、その真偽を確認するつもりもないらしく、カティーは彼女自身が話したいことへと話題を転じる。


「それじゃ、ご飯の準備をしましょうね。ハンバーグ、って聞いたことがあるかしら。この前、あなたが食べたことがないって言ってた、本物のお肉を固めて焼く料理よ。」


「へぇ……それは、楽しみだな。」


 おそらく、刻んだ野菜の中に点々と虫肉の欠片が混ぜ込まれている程度の物を想像しているのだろう少年の反応は薄かった。それだけであったとしても、地下都市においては相当なご馳走であったのだが。


 それよりも、少年の関心事……心配事と称して差し支えないものであったが、それは別の対象へと向いていた。


「カティーおばさん、ずっと、気になってたんだけどさ。」


「何かしら?」


「この街の天井を覆っている大きなガラス、急に割れたりしないよな?あの上に乗っているリズァーラーたちが、踏み割ったりしないかが怖いんだけど。」


 そう言って、少年は再び屋敷の窓の外へと視線を向ける。彼の目は、上へと向けられていた。


 初めてこの屋敷に来た際にハリコも見たとおり、街の天井に当たる部分には巨大な格子があり、そこにはめ込まれたガラス越しに地上世界が覗いている。常に胞子が降り続いている地上の空は、真っ白なままでほぼずっと変わらない。


 街に住まう人々が、地下世界ではまずもってお目に掛かれない自然光の恩恵を受けられるよう、ガラスの天窓に降り積もる胞子を掃除する任を負ったリズァーラーたちが、点々と見えるのも変わらずであった。


「心配はないわよ、あのガラス板は特別で、地上世界から回収されたものなの。今の職人さんたちも、作るのは無理だっていう話だわ。」


「そうなんだ。やっぱり、地上世界に残されている物って、凄いのかな。」


「えぇ、分厚さは人間の掌の長さほどですって。山のように胞子が降り積もっていた遺跡、その屋上から取り外されたという話よ。それだけ長い間、重みに耐え続ける頑丈さは信頼できるわね。」


 そう語りながら少年の隣に並び、窓の外を見上げるカティーの表情は、どこか誇らしげだった。直接工事に携わっていないはずの彼女であったが、詳細な話を知っているカティーもまた、街の建設における出資者の一人であるのかもしれない。


 カティーの説明を聞いて、少年の表情からは緊張の色が薄れたようであった。


「安心したら、ますます腹が減ってきちまった。」


「ふふ、先にダイニングで待っていて頂戴。すぐにご飯を用意しますからね。」


 小走りで廊下の先へと向かった少年の背を見送り、カティーはキッチンと反対方向へ向かう。当然、ハリコをいつも寝かせている部屋へと連れていくためだ。


 いかにハリコの面倒を彼女が親身になって見ていたとしても、食事の場に四肢の無いリズァーラーを同席させるつもりは無いらしかった。


「あなたにも、後で養分液をたっぷり上げましょうね。」


「ウゥー。」


 まるで植木鉢の中の植物にでも語り掛ける調子で、そんなことを口にするカティー。


 ハリコもまた気の無い調子で返答代わりの唸り声を上げたが、続いて彼女が語った内容には流石に目を見開いた。


「そうそう、それからあの子、あなたが自由に動けるように手足を付けてあげられないかって、私に頼んできたのだけれど……腕の良い職人の方が見つかったから、近々、義手や義足を作ってあげられるかもしれないわ。」


「ウ゛ゥ゛……!?」


 驚きの表情を浮かべるハリコの顔を覗き込み、カティーはにっこりと笑う。


 また、自分の意思で行動できるだけの身体を取り戻せるかもしれない。そんな期待がハリコの胸中には湧き上がってきたが、その将来のことを思えば不透明なままであった。


 自分は、再び管理局の処刑担当リズァーラーとして、マナコ、ベスタ、シェル、そしてヤキバたちのチームに戻れるのだろうか。そもそも、この上層街、富裕層の屋敷にて飼われているほうが、よほど安泰なのではなかろうか。


 そんなハリコの複雑な思いなど、まるで気づかぬ様子のまま、カティーはにこやかに喋り続ける。


「形成外科の先生も、今探しているところなの。あなたの口や頭は大きく変形してしまっているけれど、きちんとした見た目になれば、そんな風にフードを被って隠し続ける必要はなくなるかもね。」


「……ウゥ。」


 自らの顔を隠す覆面の下で、ハリコは鋭い牙の生えた大顎をうごめかす。


 人間の感性に照らし合わせれば醜い姿かもしれないが、しかしこの大顎があったからこそ、管理局から与えられる処刑任務を遂行できたのである。


 カティーが言うところの“きちんとした見た目”を得ることが、一概に喜ばしいものではないことだけは明らかだった。


「そしてあなたが喋れるようになれば、あの子と一緒にお勉強してもいいわね。文字を読み書きできるようになれば、お仕事に就けるかもしれないわ。もちろんリズァーラーさんには制約があるでしょうけれど、私もあなたたちの権利を訴える活動を続けているの。だから……」


 そこから先の言葉を、カティーは唐突に飲み込んだ。


 彼女が何を感じ取ったのか、その瞬間にはハリコは分からなかった。しかし、急激に緊迫を覚えたのだろうカティーの表情が、見る間に引きつっていくのを見ていた。


「ウゥ……?」


「大丈夫、落ち着いて。あなたが居てくれるのなら、それで十分だわ。」


 彼女が何のことを喋っているのか分からぬハリコは、ただ目を丸くするばかりである。


 ハリコの胴体を抱きかかえて廊下を足早に進むカティーは、やがて駆け足となった。その時には、すでにハリコにも異変は感じ取れていた……屋敷全体が、カタカタ、ガタガタと鳴る振動の音に包まれていた。


 揺れていたのは、この建物だけではなかったらしい。足早に進むカティーの腕の中から、チラと見えた窓の外では、街区を取り囲む岩盤の壁が崩落する様が見えた。


 遠くから、あの少年が不安の中で呼ぶ声が聞こえる。


「なんだ……!?なぁ、何が起こってるんだ、カティーおばさん!どこだよ!」


 しかし、カティーは返答しなかった。彼女が駆け込んだのは、先ほどハリコに見せたばかりの自室である。


 何に急かされているのかは分からなかったが、カティーはよほど急いでいたのか、ハリコの胴体を自分のベッドの脇へ、文字通りに投げ捨てた。


「ギャッ!?ウゥー……?」


 抗議の唸り声を上げるハリコを背に、カティーは自室のドアを閉める。


 彼女が両腕を掛け、力をこめて閉めたドアは、その木目調の表面には似合わぬ重々しい挙動とともに、ガチャンと施錠の音を立てた。まるで、何らかの災害に備える前提で作られているかのごとく、頑丈な扉であった。


 カティーへと助けを求める少年の声は、もはや分厚いドアの向こう、ようやく聞き取れる程度に小さくなった。


「どこ!?カティーおばさん!……崩れてくる!天井が、崩れて……!」


 当のカティーは、血相を変えた状態で机の引き出しをあさっている。まもなく目的の物を見つけたのか、彼女は重要そうな書類の束を胸元に抱えてベッドの中へ転がり込んだ。


 円柱形をくりぬいたような形のベッド、その開口部を塞ぐように、重々しい駆動音と共にシャッターが閉まっていく。床に投げ捨てられた状態のまま動けないハリコには事の全貌が見えていなかったが、少なくとも破滅的な出来事が、この街を唐突に襲っていることだけは分かった。


 先ほど少年が危惧していたこと……地上とこの街を隔てる天井部分の崩落が、今まさに起きているのではないか。


 ベッドの内部を保護するシャッターが閉まり切る直前、床に転がされているハリコは、ベッドの中から呼びかけるカティーの声を聞いた。


「あなた、もしも誰かが近づいてきたら、大声を上げて、私の存在を知らせて頂戴。救助隊が来るから。」


 ハリコが返答する暇も無く、ベッドを塞ぐシャッターはピタリと閉まりきる。


 直後、もはや耳を聾する轟音となっていた崩落の音は、屋敷の直上へと襲い掛かってきた。


 部屋の照明が消えた直後、ハリコは巨大な衝撃音に全身を打たれ、何も聞こえず、何も感じ取れない暗闇の中へと投げ出されたのであった。

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