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日の目を見ざるリズァーラー  作者: MasauOkubo
存在を望まれる罪人
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罪人は不名誉に葬られ

 ベスタは、変わり果てた様となった自分の腕に、無事だった方の手で触れる。


 表面に触れれば、ペリペリと容易く表皮だった部分が剥がれ落ちる。既に指は脆く乾いた粘土のように折れて、残された部分も根元だけになってしまっている。


 それは明らかに、水分を奪われつくした後の状態であった。窓枠から侵入を試みた時に噴出した真っ白い粉によって、もたらされた症状と思われた。


「あんまり触るな、ベスタちゃん。元通りに治るかも分からないんだから。」


「……そうね。」


 シェルによる制止の言葉に応じ、ようやく動きを止めるベスタ。


 同じく、この処刑対象の住居に突入する際、トラップから薬品を浴びせられていたハリコのことを思い出し、マナコも自分の相棒に声を掛ける。


「リコくんも、大丈夫ですかぁ?さっきの真っ黒い薬品、あからさまにヤバそうな感じだったんですけどぉ。」


「ウウゥ。」


 もともと言葉を発せないハリコは、代わりに自分が脱ぎ捨てたフードを床から拾い上げる。


 マナコの機転によってまともに薬品をかぶることは避けられたものの、その一部はハリコが頭部に纏っていたフードに飛び散っていた。


 発火こそしなかったものの、煙と共に布地を焦がしながら腐食していった劇薬の危険性は、現在ボロボロに無数の穴が開いているフードからも見て取れた。


 シェルは、ハリコの身体そのものには重篤な損傷が残っていないことを確認しつつ喋る。


「そっちはシンプルな劇物、こっちは強烈な乾燥剤。ずいぶんな歓迎を受けたもんだぜ、今回の任務は。」


「多少身体を切られたり潰されたりしてもお構いなしに活動できる私たちリズァーラーに対して、有効打になる薬品を試したのね。」


 シェルとベスタが話し合っているのを真似するように、マナコも返事できないハリコへ語り掛ける。


 相変わらず唸り声しか上げないハリコとは、マトモな会話が出来ているとも言い難かったが。


「私たち、実験台にされたってことですねぇ。いやぁ、私とリコくんだけで来てたら、アッサリとやられるところでしたよぉ。」


「ウゥ。」


 人間の遺体に侵入した菌糸が繁殖し、活動を行っているのがリズァーラーである。生来の人間とは全く異なる性質の存在であり、水分と養分さえ吸収できれば活動状態は維持できる。


 身体の損壊は菌糸による再構築で補える彼らであるが、極端な乾燥に曝される状態、あるいは身体そのものが腐食・融解されるような状態においては無事ではいられない。


 自分たちを待ち構えていたのが予想以上の脅威であり、身体も弱く年老いた標的を1人始末するためだけに4名のチームが組まれた判断に感謝したのであった。


「さて、一仕事終えた気分になるには早すぎるぜ、皆。今から、処刑した市民の遺体を担いで帰らなきゃならないんだ。」


 一同が喋り合っている間にも、シェルはベスタと共に処刑対象の遺体を搬送用の袋に詰め、移動の準備を整えていた。


 片手が使えないベスタに代わって、細かな作業はほとんどシェルが担当したが。


「出来れば、回収を放棄せずに無事帰投したいものね。」


 市民生活管理局から処刑対象として名指された者を処刑した後、その処刑を実行したリズァーラーたちが撤収すること自体にも困難の伴う場合がある。


 処刑任務自体は阻害されることが無かったとしても、処刑された人物と関係の深かった者、親交のあった市民の感情は無視できない。更に、処刑された人物の遺体回収は衛生的な問題を考慮しての作業であり、管理局による正式な任務内容ではない。


 地域によっては、処刑を執行した後の帰還途上のリズァーラーたちが地元市民の襲撃に遭う可能性もある。


「そう心配しなくたっていいですよぉ、ここの住民会会長さん、私たちに協力的でしたしぃ。」


 マナコの発言は、仲間から大して肯定的な反応を得られなかった。シェルは小さく頷きながらも、懸念を述べる。


「たしかに、廃棄物処理エリアは地下都市の中じゃ治安もマシな区画だ。けどな、俺たちが今処刑した市民は、他の市民から感謝される存在だった。」


「この市民が、空気中から水分を回収して飲み水を得る装置を作っていたためね。」


 先ほど、敵対していたリズァーラーたちがこの場を離脱する間際、伝えられた内容をベスタは思い起こす。


 乱雑に廃材や工作機械が並べられた屋内には、作りかけと見られる装置がいくつか転がっていた。規格の異なる既存製品をつぎはぎに組み合わせたような形状のそれらを軽く持ち上げて見ながら、シェルは答える。


「あぁ、おおかた富裕層の街から投げ捨てられた製品をうまく組み合わせて作ってたんだろ。こんな空気の悪い所で水分をかき集めても、清潔な水が得られるとは思えないけどな。」


「ついでに、私たちにぶっかける劇薬の発明にも精を出しておられたんですねぇ。なんとも物騒な発明家さんですよぉ。」


「俺たちリズァーラーを確実に撃退出来る自信があったかどうか、今となっちゃ知りようがない。自分の寿命が近づいてることも、既に分かってただろうし。」


「自分を餌に私たちを誘い寄せ、リズァーラー相手の実験を行ったわけですねぇ。ご自身の尽きかけた人生を、最後の最後まで人々のために捧げたってわけですか。感動的なお話ですねぇ。」


 特に感慨深げでもなく、その市民を処刑する側だったマナコはしみじみと語る。口元には半笑いを浮かべたままに。


 そんな彼女のふざけ半分な発言を、生真面目にベスタは窘めた。


「マナコ、処刑対象に同情を寄せるつもり?生活管理局からの生活用水の供給を拒み、処刑の執行にも抵抗の意思を見せる市民を決して許容することは出来ない。」


「分かってますよぉ、ちょっと言ってみただけですってぇ。」


「とはいえマナコちゃん、俺たちにはもっと現実的な問題が待ち構えてるぜ。さっきの薬品、既に市民たちの間に行きわたってたとしたらどうする?」


 シェルからの新たな指摘は、この場に微妙な緊張感をもたらした。常に見開いた目の下で口角の上がっているマナコですら、笑った形のままとはいえ唇を閉じている。


 触れたリズァーラーの身体から瞬間的に水分を奪い、脆くひび割れた状態にする乾燥剤。掛けられればたちまち対象物を溶解させる劇物。


 そのいずれも、リズァーラーに敵意を持つ市民の手に渡っていれば厄介な事には違いなかった。ずっと黙って仲間たちのやり取りを眺めていたハリコも、その懸念には気づいたのか警戒の唸り声を上げる。


「ウゥ……。」


「ただでさえ、ハリコ。お前の顔を隠すフードは薬品で焼かれちまったんだ。俺たちが人間じゃないことは、遠目からも丸わかりだ。」


 顎の骨と異常発達した牙だけでなく、大きく欠けてギザギザな断面を曝しているハリコの頭蓋の形は、フードで隠していなければ悪目立ちしてしまうだろう。


 マナコは床に投げ捨てられたボロボロの布切れを拾い上げ、ハリコの頭部にあてがってみるも、布地のほとんどが薬品に焦がされ縮れている状態では全く隠す役には立たなかった。


「ありゃあ、どうしましょうかねぇ。リコくんの頭に、バケツか何かをかぶせておきます?」


「ウー。」


 抗議の唸り声をあげるハリコに変わって、シェルが返事をする。


「周りが見えない状態の方が、余計に危ないだろ。どこから何を投げつけられるか分からないんだ。」


「シェル、これ以上時間を食っていられない。この対象が処刑されたのだと気づく市民が増えないうちに、撤収を開始すべき。」


 先ほど搬送用の袋に詰め込んだ遺体を半ば持ち上げながら、ベスタに急かされてシェルも袋の持ち手を掴んだ。


 二人を先導する役目を担ったマナコとハリコは、一足先に小屋の外に出て周辺を確認する。ゴミ山の方からは資源回収の仕事を再開する作業員たちの声が聞こえていたが、近くに市民の気配はない。


「大丈夫そうですねぇ。もともと、住み着いてる人の少ない場所ですし。」


「ウン。」


「了解、んじゃ、移動を開始する。旧下水処理施設を抜けるルートだ、出来るだけ市民が居ない場所を選んで進むぞ。」


 シェルやベスタも周囲を見回しながら小屋の外へと出て、付近が静まり返っていることを確認してから足を進めた。


 とはいえ、つい先ほどまで、敵対存在と揉め合い、その騒音は周囲に聞こえていたはずである。野次馬の一人もおらず、様子を見に来る市民が皆無であることは逆に不自然であった。


 視野の端に、廃材小屋の陰からこちらの様子をうかがうような視線を感じ、シェルの中の警戒心は一気に強まった。共に死体袋を運んでいるベスタに小声で耳打ちする。


「見られてる。俺たちの動き、追跡されているかもな。」


「さっきの奴ら?」


「アイツらは俺たちと同じリズァーラーだ、護衛対象を守れなかったとなれば、そそくさと逃げるのが普通だろ。」


 人権を与えられていないリズァーラーに不満の矛先が向けられれば、市民たちからどのような仕打ちを受けるか分かったものではない。処刑を阻止することが出来なかったキャシーとウィーパは、間違いなく能無しの謗りを受けるだろう。


 それ以上の憤りを向けられそうなのが、ハリコたち処刑執行チームであることは確実だった。


「あっ!」


 声を発したマナコが、その見開き続けている目を、軒を連ねる廃材小屋の一角に向ける。


 何者かによって投げられた瓶が、勢いよく飛んできたのはそれと同時であった。死体運びのため、満足に身動きの取れないシェルの頭部に瓶は命中する。


 さして硬くない素材でできていたのか、瓶は易々と粉々に砕け散った。


「いってぇっ……!」


 飛び散ったのは瓶の欠片のみならず、中に入っていた液体も同様であった。


 とっさにベスタは飛び散る液体を浴びないように後ろへ跳びすさり、シェルも死体袋を手放して頭から浴びたそれを懸命に払う。


 が、先ほどの小屋の中で効果を見せられた薬品の効果のように、彼の皮膚が乾燥することも溶け出すこともない。


 ただでさえ薄い酸素を消耗する前提で燃料を浴びせられたのかと、次に臭いを嗅いだシェルはやがて笑い出した。


「あぁ、一番平和な奴だ。小便をわざわざプレゼントしてくれたんだな、俺たちに水やりするために。」


「笑っている場合じゃない、シェル。私たちに敵対の意思を示した市民が、近くに隠れてる。」


 警戒の色を強めて周囲を見回しつつ、ベスタは死体袋の搬送を続けるために手を伸ばす。


 マナコとハリコも、先ほど自分たちへ屎尿入りの瓶を投げつけた何者かの姿を見定めようと周囲の暗がりに目を凝らした。暗闇など関係なく視力の働くマナコは、たちまち物陰に座り来んでいる市民の姿を見つけることが出来たが。


 しかし、その市民は隠れるつもりなど無いらしかった。


「おい、トマスさんの死体を置いていけ。」


 彼はゆっくりと立ち上がり、頼りない足取りでリズァーラーたちの進路上を塞ぐように歩み出てくる。


 やせ細り、立っているだけでも膝頭が震えているこの市民は、病気か怪我のためにゴミ山での仕事を続けられなくなった者らしかった。


 その市民を目の前にした時、シェルが真っ先に行ったのはマナコとハリコを後ろに下げることであった。既に警戒の唸り声を上げているハリコは、この場を穏便に切り抜けようとする上で最大の障害である。


「グルルル……」


「マナコはハリコを連れて俺たちの背後に。」


「りょーかいです!ほら、リコくん、私たちはお邪魔にならないように。」


 マナコは、ハリコの首根っこを雑に掴んで後退させていく。


 リズァーラーにとっては活動の糧となる水分、先ほどの浴びせられた尿を顔面の皮膚から吸収していたシェルは、相手を刺激しすぎないようににこやかな笑みを浮かべて応対する。


「毎度、お騒がせしております。市民生活管理局の遺体回収業務は、皆様の住環境を衛生的に保つために行われる作業でして……」


「そのションベン臭いツラを近づけんじゃねぇ、気味悪ぃ雑菌め。」


 その市民が衰弱していることは彼の虚ろに落ちくぼんだ眼窩からも見て取れたが、シェルに向ける嫌悪の念は表情として明確に浮かんでいた。


 いかに人間の筋力には敵わないリズァーラーとはいえ、こうも瘦せ細った人間が相手であれば無理やり押しのけて通ることは出来る。


 が、人間よりも下の階級に位置付けられているリズァーラーに、人間の意思に反する行為は許可されない。あくまで、市民生活管理局の任務としての活動のみが認可されているに過ぎないのだ。


 ヨタヨタとした足取りで、その市民は近づいてくる。シェルとベスタはその場に死体袋を置き、すみやかに後ずさった。


 何の拍子で腕や脚がぶつかり、そのことをリズァーラーからの暴行だと因縁づけられるとも知れない。


「トマスさんは、俺たちの恩人だ。お前らなんかの餌にされてたまるか。」


「しかし、ご遺体は速やかに処分しなければ腐敗し、疫病の元凶となりかねません。」


「黙れ!トマスさんは、雑菌の餌じゃねぇっつってんだよ!」


 説得を試みるシェルに対し、聞く耳を持つつもりもない市民は同じことを二度繰り返したが、『餌』というのはあながち誤った認識ではない。


 酸素も限られている地下空間では、死体を焼却することもままならない。ほとんどの死体の処理手段は地上への遺棄であったが、罪人に限ってはリズァーラーの吸収する養分として処理されると定められていた。


 人間から見下されていた存在に、文字通り餌として与えられる。それは地下都市における最も不名誉な死に様であった。


 死体袋のところまでおぼつかない足取りでたどり着いた市民は、袋の中身に縋りつくように覆いかぶさり、大声で涙交じりにわめいた。


「とっとと失せろ!死体を置いてきゃいいってんだ!チクショウ、俺が若けりゃ、その鬱陶しいツラを剥ぎ取って踏みにじってやるのに……!」


「シェル、人間の市民が命令したんだ。死体の回収は、放棄するしかない。」


「……だな。」


 人間がリズァーラーに処刑されるという不名誉を、思い入れある人物が被るという現実。それに対して人間が抱く感情について、理解できないわけではないシェルとベスタ。


 が、その場から撤収しようとしたリズァーラーたちを呼び止めたのは、静かながらも一帯を震わせるかのごとく迫力ある低い声であった。


「おい、その死体を持っていけ。」


「住民会会長……!」


 マナコとハリコも聞き覚えのある声に振り返れば、そこには目の前の市民と比べてもひときわ大柄な人影が立っていた。


 彼を取り囲んでいる護衛も威圧感を放つ図体であったが、この廃棄物処理エリアを統括する会長は立ち姿だけで別格の迫力を纏っていた。彼に向かい、先ほどシェルと問答を続けていた市民はかすれた声で訴える。


「会長、けど、トマスさんは俺たちの手で埋葬してやりてぇんだ……」


「これ以上、病人を増やす気か。俺たちじゃ満足に死体処理が出来ない、分かってんだろ。」


「俺たちのために、水を確保する装置をトマスさんは作ってくれてたんだ……恩人を、雑菌どもに食わせるだなんて、我慢ならねぇよ!」


「この街に住んでる以上、俺がちゃんと飲み水の心配をしてやってたつもりだが?」


 住民会の会長は、最後の言葉をひときわ低い声で言い放った。


 彼にしてみれば、購入した水や空気、食料を住民たちに分配するのは会長としての責務である。


 たしかに満足な量を働いていない者に与える余裕はなかったが、しかしその分配を不服とすることは、すなわち会長に対し明確な不平を示していることに他ならない。


 資源の限られた状況で秩序を崩壊させずに自治を行う、そんな彼の矜持を込めた言葉であった。


「く……う。」


 それ以上、市民は住民会会長に何も言い返せない。会長の護衛たちが居並んで見守る前で、リズァーラーたちは再び死体袋を持ち上げ、搬送を再開した。


「えぇと、毎度ご協力、ありがとうございます。我々は速やかに撤収いたしますので……」


「……。」


 シェルが口元に笑みを浮かべて頭を下げても、彼らは黙したままに見送っている。


 騒ぎを聞きつけた他の市民が混乱を助長させぬように制止し、同時にリズァーラーたちを街から一刻も早く追い出すよう、威圧を込めた視線を向けてくるばかりであった。

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