檻なしとて、庇護の手からは逃れられず
ウィトゥスの研究所から、四肢を失った状態のハリコはキャシーに担がれ運び出されたわけであるが、完全に秘密裏にて行われたわけではない。
研究所の廊下では幾人かの警備兵たちとすれ違った。すなわち、キャシーもウィーパも、研究所内にて行動していることを見咎められる立場ではないということだ。
ウィーパに至っては、研究所の警備兵と顔を合わせるたびに律儀に挨拶を投げかけている。
「お疲れ様です、通行失礼します。」
「フン、ゴミ運びか。」
警備兵の側から返される言葉は、キャシー達の行為のみならず、ハリコがどのような扱いとして認識されているかを十分に示すものであった。
ウィーパとキャシーは、管理局に所属するリズァーラーではない。科学者ウィトゥスの命令に直々に従う、彼の手駒として動くリズァーラーなのだろう。
ハリコ自身はそれと気づいていなかったが、以前の任務にて介入してきたウィーパたちが持ち去った遺体の一部はウィトゥスの研究所内に存在することからも、それは明らかだった。
「聞いただろう、お前は既にゴミ扱いだ。博士から価値を見出されなくなった存在は、当然ながら面倒など見られない、廃棄物でしかないんだ。」
「ウ゛ゥ゛ゥ゛ー……」
不満げに唸ることしか出来ないハリコは、四肢のない姿をいかに憐れまれようとも、この地下都市において他に価値を見出される姿では決してなかった。
そのことがますます明確に示されたのは、ハリコを担いだキャシーがいよいよ研究所から出ていけるとなった直前のことであった。
「おぉい!おぉーい!」
一同を呼び止めたのは、ウィトゥスその人の声である。
ハリコの身柄を勝手に持ち出したことを見とがめられ、さすがにギクリとしたのだろうキャシーの緊張が、担がれているハリコの体にも伝わってくる。彼女の身体から生えている金属片がダイレクトに刺さっている今、それはより鮮明だった。
しかし、ウィトゥス自身が持ち出したがっていた用件は、彼女が危惧した内容とは全く別物であった。
「この前、エネルギー供給プラントから持ち帰ってきた死体、アレがそろそろリズァーラーとして目覚めている頃ではないか?ゴミ捨てを済ませたら早いとこ様子を見てきてくれんか、現在の実験に使いたいのだ。」
「了解しました。」
ウィトゥスの視界には、キャシーが背負っているハリコの姿がハッキリと見えており、包み隠す布のようなものも無かったため、他と見間違える可能性も皆無であった。
ハリコの身柄を運び出す行為を、既にウィトゥスは躊躇いなく“ゴミ捨て”と称する程度の認識であるのだ。今の彼はマナコの特殊な視力について研究することにのみ没頭しているのだろう、伝えたいことだけを口早に告げ、またセカセカと研究所内へ引き返していってしまった。
「これで、私たちが断りなくコイツの体を持ち出したことについて、博士からの叱責を懸念する必要は無くなったわけだ。博士自身が、ゴミ捨てとして認識してくれたのだからな。」
半ばの安堵も込め、ハリコの体を担ぎなおしつつそう呟くキャシーを、ウィーパは暫し冷めた視線で見つめた後、スタスタ先導して歩きながら返答した。
「キャシー、彼の身柄に何らの価値も見いだせないのは、僕たちにとっても同様ですよ。」
「なんてことを言うんだ、救うことにこそ価値があるだろう!」
「あなたは聞く耳を持たないでしょうけれど……好きにしてください、しばらくは。」
不服そうに立ち止まったキャシーは、先行くウィーパの背中を見送りつつ、ハリコにも聞こえるように告げる。
「この地下都市で、何らの権利を与えられない我々リズァーラーだからこそ、助け合いの精神を持たねばならない、というものだろうに。安心しろ、私はお前を廃棄処分にしたりしない。」
「ウゥゥ゛……。」
現状、何を言われようとも、ハリコが安堵を感じることなどない。胸中にあるのは、周囲の思惑によって好きなように振り回されている、自分自身の先行きが見通せない歯痒さばかりであった。
キャシーの肩の上からようやく降ろされたのは、排水管の中へ入っていった奥に備えられた小部屋のなかである。
いつもハリコが任務の待機を行っている、ほぼ一人分の空間しかない部屋ほどの狭さではないものの、ノビノビと過ごすためにしつらえられた部屋でないことだけは確かだった。
「とりあえず、ここに寝ていてくれ。動く必要が無いのであれば、養分の消耗も抑えられるだろう。」
「ウー。」
地下都市におけるリズァーラーの居住空間の例に漏れず、狭く暗くジメついた、冷たい岩盤の剥き出しとなった小部屋。端の方に、工事現場用の照明が一つ、ヒビの入った状態で辛うじて点灯したものが置かれている。
住み慣れている環境なだけあって、ハリコも決して居心地悪く感じてなどいなかったが、この場所に身動きの出来ない状態で寝かされっぱなしになることは、間もなく不安を呼び起こした。
キャシーとウィーパは、ウィトゥスから与えられた指示を遂行するために急ぎ足で研究所へと戻っていく。あとに残されたハリコは、薄闇と静寂へ、術なく包まれている以外になかった。
「……ウゥ。」
状況自体は、いつもの自分の待機部屋で、孤独に任務を待っている時と似てはいた。しかし、何者からも自らの存在を忘れ去られてしまったかのごとき寂しさは、以前にも増して強まった。
今は、もはや自分に任務が与えられる目途など立たないのである。いくら待っていても、誰かが呼びに来て、次にやるべきことを命じてくれなどはしない。
当然、両手足を失っているハリコは、自ら動いて他者に関わりに行くことも不可能である。
「……クゥー……。」
誰に対してともなく、哀願するような呻き声が喉の奥から漏れることも、最近のハリコには多くなった。
排水管の奥は、外部の音が遠く反響しながら届くことが稀にはあれども、ほぼ常時重苦しい沈黙に満たされた、真っ黒な手が音を押し殺し続けているかのような閉所である。
そんな場所に、誰から相手される目途もなく、ずっと寝続けていれば、世界が自分のことなど忘れ去ったままに回り続けているかのような感覚に襲われずにはいられない。
リズァーラーである以上、飢える心配もない。
空気中から吸収できる水分が尽きれば、カラカラに乾涸びることにもなるかもしれないが……そうなる前に、ことごとくから存在を忘れ去られたまま、いつとも知れぬ世界の終焉の時まで、自分はここに横たえられ続けるのではなかろうか。
「ウゥーン……クゥーン。」
哀れっぽい声をいくら発しても、聞き届ける者は居なかった。
精神が不安に満たされているせいか、以前幾度か見たことのある、光に満たされた空間を幻視することもなかった。
ハリコは、自らが打ち捨てられたのではないかという恐怖や不安に苛まれたまま、いつ終わるとも知れぬ孤独に絞めつけられるに身を任せる他なかった。
……それ故に、ずいぶん経ってから……実際は、さして日にちも経過していなかったかもしれないが……しばらくぶりに姿を見せたウィーパが、同行するキャシーへと進言した内容に、ハリコは救われるような思いを心底から抱いたのである。
「彼はこの場に、ただただ保管されることを望んではいませんよ、キャシー……あなたが言うところの“救う”行為に、その対象を安全な場所へただ放置することが含まれているのならば、その認識は訂正されるべきです。」
「だが、四肢を失ったリズァーラーを、ここから外に出せば、たちまち廃棄処分の対象に……」
「キャシー、ですからあなたの身勝手だと申し上げたのです。廃棄にせよ放置にせよ、望まぬ扱いを相手に押し付けていることに変わりはないと、何故気づかないのです?」
ウィーパに言い込められたキャシーは黙り、俯く。
ハリコは、彼女へと懇願を込めた視線を投げかけるだけで精一杯であった。願わくば、その意味を取り違えないでもらいたい、と……言葉を発せぬ喉の奥で祈るばかりであった。




