暫しの別れを、物は引き戻すこと能わず
「ひとまず、座ってくつろいでいてくれたまえ、あぁ、その彼は、こちらの台の上にでも置いて。」
相変わらずリズァーラーの名前を逐一憶えていないウィトゥスは、マナコが抱きかかえているハリコの体を指さして雑な指示を与える。
リズァーラーの身体を頻繁に扱っているのだろうウィトゥスの実験室内は、警備兵を始めとしたスタッフが念入りに清掃を行っているおかげか、その殺風景さに輪をかけて冷たい清潔さが行きわたっていた。
「じゃあ、お言葉に甘えましょうかねぇ。リコくん、ここに寝ててくださいねぇ。軽くなったとはいえ、ずっと抱え続けてると腕も疲れるんですよぉ。」
「ウー。」
四肢を失った姿のハリコは、抱きかかえていたマナコの腕から台の上へと移される。
無機質に過ぎる部屋の景観は、横たえられたままただ唸るしか出来ないハリコの身体を、ますます研究標本めいて見せていた。
「さて、あまりお待たせするわけにもいかない、というよりも私が待ちたくない。実験の準備を進めながら話を進めよう、私の興味が主に向いているのは、キミ……そう、その特殊な視力を有するキミだ、名前は何といったっけか。」
「マナコ、ですよぉ。」
マナコは即座に名乗るも、ウィトゥスの側はわざわざ名乗らせたそれを復唱するつもりもないらしく、自らの喋りたい内容ばかりに注力している。
「前回は管理局から急かされたために、実験を中途半端なところで切り上げざるを得なかったのが、実に口惜しくてね。以前の実験では、キミの視力を他のリズァーラーに共有させられないかと試みたが、あのとき結果としては真逆の現象が確認できたのだ。」
研究施設にハリコとマナコを迎え入れた時の興奮は徐々に収まりつつあるのか、ウィトゥスの口調は冷静さを取り戻しつつあった。とはいえ自らの仮説を語ることへの没頭から冷めていないのは、その早口から察された。
博士の助手として気を利かせたのか、グレッサが冷たい水を入れたグラスを盆に載せて運んでくるも、彼はそちらに目も向けなかった。
「キミたちを帰らせた後、私は随分と後悔したものだ。他のリズァーラーと菌糸で接続した状態で、キミが何を見るのか、どのように見えるのか、どのような条件でものを見るのか、そちらをむしろ詳しく観察すべきだった、とね。」
「はぁ、そうですかぁ。」
いかにウィトゥスが言葉を尽くして語ろうとも、マナコが関心を向ける内容ではなく、そのほとんどは聞き流されてしまっていたが。
実験室の扉が開き、ウィトゥスの下で働いている警備兵たちが入ってくる。この施設までハリコとマナコの誘導を担当した者を始めとして、彼らは純粋な警備としてのみならず、ウィトゥス博士の身の回りを世話する役目も少なからず担っているらしかった。
おそらく、彼らもまたウィトゥスが人為的に死体へ菌糸を植え付けることで、リズァーラーとして活動を行えるよう調整された存在なのだろう。
「博士、お伝えいただいた通り、別室での実験の準備は済みました。」
「そうか、ではこちらの彼女を連れて先に向かっておいてくれたまえ、私はこちらの手足が無い方のリズァーラーについても、見ておきたい。」
「了解。」
警備兵たちは命令された通り、マナコを別室へと連れ去るために近寄ってくる。
さすがに装甲を身に着けた複数の警備兵に詰め寄られて威圧感を覚えたのか、マナコは胸中の警戒を示して目玉をキョロキョロさせていた。が、ウィトゥスの意向通りに行動していれば、ご褒美の養分液がもらえるものだと前回の訪問で認識していた彼女に、抵抗の意思はなかった。
「立つんだ。」
「はぁい。それじゃあ、リコくん、また。ウィトゥス博士の実験が済むまで、新鮮な養分液を楽しみにしてましょぉ。」
「ウゥー。」
警備兵に促され、立ち上がって部屋を出ていくマナコの背を、ハリコは寝返りも打てない体で実験机の上に寝かされたまま見送った。
ウィトゥスはというと、先ほどからカチャカチャと揃えていた解剖道具をトレイに載せてハリコへ近づいてくるところであった。
「さて、せっかく身体の断面が剥き出しになっているんだ、キミの身体構造も少々珍しいからね、詳細を覗かせてもらうよ。」
「ウゥゥ゛。」
ハリコは言葉を発せなかったが、そもそも相手からの返答など全くお構いなしに喋り続けるウィトゥスを前にしては関係の無い話ではあった。
前回の研究所訪問においては、ハリコの特異な形状をした顎や大牙の型を取って標本を得ていたウィトゥス。現時点ではそちらへの興味は無いのか、今の彼はハリコの切断された腕の断面にメスやピンセットを差し込んで観察を行い、ブツブツとあれこれ呟き続けている。
「フム、菌糸の成長は緩やかながらも続いているか。骨格部の形成を上皮組織の再生が追い越してしまっているのは、養分不足だな。」
リズァーラーの体を構築する菌糸は、少々の損傷であれば養分を費やしながら、動物とは比べ物にならない短期間で修復を行える。
とはいえ腕や足そのものを再構築するには当然ながら時間がかかり、養分も相応に消費することとなる。前回の任務では長時間の肉体労働を強いられたヤキバに処刑標的の養分液を優先的に与えたため、ハリコが四肢を完全再生するに足る養分は摂取できていない。
……ウィトゥスにとって、この状態は見珍しいものではなかったらしい。普段から多くのリズァーラーの身体を用いた実験を行っている彼が、彼らの身体を切断する実験を今まで行っていなかったはずがなかった。
「……頭部の形状が珍しいだけで、中身は他のリズァーラーと似たようなものか。身体機能も、再生能力も。この辺にしておこう、時間の無駄だ。」
「ウゥ?」
「あぁ、気にしないで。キミはそこで寝ていておくれ、今は特殊な視力を有する君の相棒についての研究を優先したいからね。」
腑に落ちない表情を浮かべているハリコだったが、彼が唸り声で疑念を表明していることになどお構いなく、ウィトゥスは部屋の照明を消して出て行ってしまう。
途端、真っ暗になる室内。リズァーラーとしては、暗所、閉所は嫌いではない環境ではあったものの、ハリコは再び自分の存在が忘れ去られるような不安がこみあげつつあった。
そもそも、研究所へ迎え入れた客人としての扱いではない。研究用のテーブルの上に放置され、部屋の照明も消されてしまうというのは、まさに物体としての扱いそのものだった。それも、興味を失われた物として。
「ウー……。」
四肢の無い状態では、起き上がることも出来ない。ハリコは懸命に首を持ち上げ、あちこちへ視線を向けるも、マナコのように暗闇を見通す視力を有していない彼が周囲の状況を把握することなど不可能だった。
それからどれほどの時間が経過したろうか、再び近づいていた足音に、ハリコは耳をそばだてる。
ウィトゥスのセカセカとした足音でもなければ、マナコの軽快な足取りでもない。聞き慣れない足音が二人分、部屋の前まで来て扉を開いた。
「居ましたよ、キャシー。あなたがどうなさるおつもりか、僕には分かりかねますが。」
「よかった、まだ処分される前だったんだな。」
部屋の照明が点灯する前から、ハリコは彼らの声をどこかで聞いたことがあるような気がしていた。
当然、再び部屋全体を明るく冷たい光が満たした時、自分が寝かされている研究机の傍まで来てこちらを見下ろしている者たちの姿には、確かに見覚えがあった。
「ウゥ……!」
「お久しぶりです、たしか、ハリコさんと仰いましたね。あなた方のチームには事あるごとに関わってきましたが、よもやこのような形でお目にかかるとは。」
ウィーパ、少年の姿をしたリズァーラー。彼はその身長の低さゆえ、研究机の上に寝かされているハリコとかなり顔が近くなっていた。相変わらず白目の上半分が赤黒く染まり、深く瑠璃色の光を湛えた瞳が冷たいまなざしをハリコへと注いでいる。
そのように常に冷静なウィーパとは異なり、相棒であるキャシーの方は四肢を失った状態のハリコの姿を目の当たりにして、多少なりとショックを受けていたらしい。彼女の外見を最も特徴づけている全身から突き出した金属片の端が、身震いを示して照明の光を乱反射していた。
しばらくの沈黙のあと、再び開かれた彼女の口調からはこわばりが抜けていなかった。
「無駄話をしている場合じゃない、ウィーパ。ハリコ、ウィトゥス博士は既にお前から興味を失っている。ここから逃げなければ、マズイぞ。」
「ウ?」
「理解していないのか、自分の置かれている状況を。管理局からは処刑担当リズァーラーとしての価値を見出されず、博士からは研究対象としての価値も見いだされず……そんなリズァーラーが、どう扱われるか考えてもみろ。」
ハリコが呻き声の中に疑問符を浮かべていたとすれば、どちらかといえばウィーパとキャシーがここに居ることへの疑問だったろう。
無数の警備兵が常に巡回を続け、入り口も厳重に管理されているこの施設に、外部から侵入することはまず不可能である。無理やり押し入ろうにも、いかにキャシーが戦闘に長けていたとしても、装甲で覆われた警備兵たち複数名を相手に十分な勝算はない。
今までも、思わぬ場所で遭遇してきたウィーパとキャシーのコンビ。ウィトゥスの研究設備内で彼らが居ることにも、隠された相応の理由があるように思われた。
「キャシー、彼には失礼かもしれませんが、理解を求めるのは難しいでしょう。そもそも、僕たちが心配してやる義理はないはずですが。」
ポカンとした表情を浮かべているハリコの前では、キャシーへとウィーパ流の諫言が投げかけられている。
そんな相棒への返答も、またキャシーらしさからブレないものであったが。
「何を言っているんだ、私たちは同じリズァーラーだろう。権利など与えられず、いずこからも生きる為の保障など得られない。だからこそ、窮地に陥った者を、救わねばならない!」
「彼らとは常に敵対しているわけではありませんが、それでも任務目的が食い違っていれば、僕たちにとっての障害となり得る存在ですよ。何よりも、四肢を失った状態の彼をこの場だけで救ったとしても、放っておけば瞬く間に窮地へ逆戻りだと思われます。」
冷めきったウィーパの理屈に言い返すたび、キャシーは大げさに腕を用いたジェスチャーを披露する。
すぐ傍で寝かされているハリコとしては、彼女の腕から突き出した鋭利な金属片の先が、自らの眼のすぐ傍を幾度も通過する様によほど冷や冷やさせられた。
「ならば幾度でも救いに向かうまでのこと!私の有する力は、救われるべき者たちへと手を差し伸べることを諦めたりしない!」
「勝手にしてください。もとより必要のない行為、あなたの身勝手であることには変わりありませんからね。」
「ウゥ……?」
二人の間で、これまた幾度も繰り返されただろう問答が済むまで、ハリコはやはり理解できない理屈の応酬をぼんやり眺めているだけであった。
が、この場からハリコの身柄を運び出すことに意を決したのだろうキャシーによって、体を担ぎ上げられたハリコは思わず悲鳴を上げる。
「ウァア!?」
言わずもがな、キャシーに担ぎ上げられると同時に、彼女の身体から無数に突き出した金属片がハリコの身体にも突き刺さったためである。
「我慢しろ!お前もリズァーラーならば、この程度の損傷は容易く修復できるだろう。それに、このように突き刺さった状態の方が安定して搬送できる。」
「ウ、ウゥ゛ゥ゛……。」
「いよいよ、僕たちが介入しない方が、事は丸く収まったのかもしれませんね。」
とはいえ、ウィトゥスから興味を失われたままの状態で放置されれば、任務の役にも立たないハリコの身体はいずれ廃棄物として処分されていただろうことは間違いない。
他の実験室へと連れていかれたまま、結局戻ってこないマナコと再会できる目途も立たぬまま、ハリコはキャシーの背に担がれた状態で実験室から運び出されたのであった。




