裏を知らざれば不穏の影も知らず
ウィトゥス博士の研究施設へ到達する経路は、相変わらず上層街のライフラインを管理する設備を通り抜ける他に無かった。
排水管を通って出てくる不潔なリズァ―ラーを消毒し、余計なことをしでかさないように見張るための警備兵もまた以前と同様に待ち構えている。が、流石に今回姿を現したマナコとハリコの姿には、多少なりと警備兵の側も動揺したらしかった。
フルフェイスのマスクで覆われている表情はもちろん見えなかったものの、四肢を失った状態でマナコに抱きかかえられているハリコの姿に視線を向けたまま、警備兵はしばらく動きが固まっていたのだ。
「あ、お久しぶりですねぇ、警備兵さん。お顔が見えないので、以前と同じ方かどうかはわかりませんけどぉ。」
「ウゥー。」
マナコに引き続き、唸り声だけの挨拶を投げかけるハリコ。それでも、警備兵は沈黙したままであった。
中身がリズァーラーであることもあり得る警備兵にとって、もはや廃棄処分を免れない状態のリズァーラーを目の当たりにすることは、多少なりとショックを受ける経験であったのかもしれない。
とはいえ、最初からおしゃべりをする必要などないことには違いない。気を取り直したように殺菌剤を噴霧するスプレーノズルを構えた警備兵は、ようやく一言を発した。
「壁の近くで並べ。」
「えぇと、リコくんはご覧の通り、手も足も出ない状態なんですが、えぇ、文字通り、えへへぇ。」
「ウゥ゛ゥ゛……。」
マナコから投げかけられた趣味の悪いジョークを、ハリコは不愉快そうな唸り声とともに受け止める。
とはいえ、自分が負った致命的な身体欠損については、彼自身もさして深刻そうに受け止めてはいないらしかった。そのまま無造作にマナコの隣の床に荷物のごとく置かれた後は、警備兵が殺菌剤を吹き付けるのを黙って待ち続けている。
警備兵としては実にやりづらい相手であった。マナコの方は自らの足で立っているので、胸側に殺菌剤を吹き付け終えれば背中側を向けさせることが出来たが、四肢を失っているハリコはそういうわけにもいかない。
「……自分で寝がえりを打てないのか。」
「ウー。」
当然だろう、と言わんばかりの唸り声だけが、ハリコから返答として発される。
仕方なく、警備兵は床に仰向けに転がっているハリコの胴体に殺菌剤を吹き付け……その中途半端に軽い体重を腕の先に感じるのは気味の悪い経験であったが……首と胴体が繋がっているだけの状態であるハリコを裏返し、改めて殺菌剤の噴霧を行った。
まるで人形や愛玩物のごとく、四肢の無い仲間の身体を直接抱いて歩き回っているマナコの感性を、警備兵は疑わざるを得なかった。
「うひー、やっぱり全身がヒリヒリしますねぇ。人間さんも、私たちリズァーラーと同じく、菌類の蔓延る環境を好んでいただければ良いんですけどねぇ。」
「ウン。」
「無駄話をするな、さっさとついて来い。」
ハリコの身体を抱きかかえているマナコを視界に入れている時間を極力短くしたかったのか、警備兵はクルリと背を向け、メンテナンス通路を歩き出した。
ここからウィトゥスの研究施設に到着するまで、彼は二名のリズァーラーを出迎えたにもかかわらず、一人分の足音だけを背後に聞きながら歩くこととなる。ついでに、誰かれ構わず警戒心無く喋りかけてくる、マナコのお喋りも。
「そういやぁ、以前ウィトゥスさんにお呼ばれした時、グレッサちゃんっていう可愛いリズァーラーさんも一緒でしたよねぇ?あの子は、今日はお出迎えにきてくれなかったんですかぁ?」
「……知らん。」
「まー、こんな殺風景なメンテナンス通路、お散歩してもつまらないでしょうからねぇ。」
実のところ、警備兵自身もまた気にはなっている件ではあった。あの可憐な少女の姿をしたリズァーラーは、ウィトゥス博士のお気に入りらしく、そうそうのことでは廃棄処分される心配はないと思われたが。
とはいえ、権利も何も保障されていないリズァーラーが、唐突に消息を絶つことは人間のケースと比べても遥かに容易く起きることであった。
まさに今、マナコが抱えている、四肢を失ったハリコなどは、役に立たないリズァーラーとして、研究標本なり実験台なりの形で処分されてしまう可能性が大いに高かったのだ。
「こないだ大量に研究所へ送られた肉体は、まだ残ってるでしょうかねぇ。出来れば今回は、6名分の養分液を戴きたいんですよぉ。何せ、我々のチームには新たに後輩が出来ましてねぇ。」
「……。」
後輩が出来たということは、身体を損傷したリズァーラーを処分しても、その代わりとなる働き手は既に用意されているということだと判断された。
いよいよ警備兵は返答しなかった。返答できなかった。
ほどなく、警備兵の案内によって恙なく研究設備のメンテナンス部へと到着した一行。
今回のウィトゥスは他の研究を置いて、ハリコとマナコの到着を待ちわびていたらしい。入り口となる階段が降りてくると同時に、老科学者の声が歓迎の言葉をリズァーラーたちへと届けた。
「やぁ、しばらくだね!以前キミたちを見送ってから、いくつも追加で実験したい内容があとからあとから湧いて出てきたんだ、さぁ、早く入ってきてくれ!」
「私たちも会いたかったですよぉ、ウィトゥスさん。なんたって、研究施設での任務は、じっとしてるだけで終わるお仕事ですからねぇ。今回もせいぜい、ゆっくりさせてもらいましょうかねぇ。」
「ウゥゥー。」
お互いに本心はかみ合っていないままであったが、望んでいた研究対象を目の前にしたウィトゥスにとっては大した問題ではなかった。
「あぁ、今回はじっくりと時間を取ってよい、と管理局からも許可されている!私も心置きなく、キミたちを研究させてもらおう!」
ハリコの体を抱きかかえたマナコを、ウィトゥスは支えてやりながら研究施設内へと導く。
施設内では、先ほどマナコが話題に挙げたばかりのグレッサの姿もあった。以前会った時と変わらず、口の無い顔で目を細め、にこやかに来訪者を出迎えている。
さしもの彼女も、ハリコの今の姿を見た際は目を丸くしていたが。
「……。」
「おひさしですよぉ、グレッサちゃん。リコくんはですねぇ、こんな感じで持ち運びやすいスタイルになりましたねぇ。」
マナコは何故か嬉しそうに、その両腕で抱えたハリコの胴体を上下に軽く揺すって見せる。
他人に会うたび、不本意な紹介を経験するハリコは先ほどから幾度目かになる唸り声を上げていた。
「ウゥー゛……。」
「まったく、便利な姿になったものだ!勝手に歩かぬし、無駄に振り回す腕もない、非常に実験体として理想的だよ、今の君は!」
ウィトゥスの口から発される言葉が、ことごとくハリコを肯定的に捉える内容ばかりであることに、現状のマナコは満足していた。
溢れんばかりの笑顔を抱えている相手を、敢えて敵視するほどの思考を、彼女は備えていなかった。




