知らぬうちは喜んで捨て場へ赴く
マナコに抱きかかえられた状態で、ハリコは管理官執務室へと顔を出す。
手足を失い、自らの意思ではまともに行動できない状態のまま、仲間から迎えに来られることもなく放っておかれた時期が長かったため、彼が管理官のもとを訪れるのは本当に久方ぶりのことであった。
「お待たせですよぉ、ハリコとマナコ、招集に応じましたぁ。」
「ウゥー。」
朗らかにドアの向こう側へと声をかけるマナコに引き続き、ハリコも言葉を発せない口から唸り声だけを上げる。
暗くジメついた排水管の只中、綺麗に拭きこまれた木目調のドアが唐突に現れる不釣り合いさは相変わらずであったが、その中から聞こえて来た返答はハリコの聞き慣れない声によるものであった。
「さっさと入れ。」
管理官は本来、部下のリズァーラーたちに対してさほど親身ではないとはいえ、口先だけは丁寧で、物腰柔らかな喋り方であったはずである。
しかし、たった今マナコへ返答したのは愛想も素っ気もない、相手への冷たさを隠そうともしない男の投げやりな物言いであった。既にハリコを連れてくるよう彼から指示されていたマナコは、何も不審がることなどなく管理官執務室へと入る。
「失礼しますよぉ、さてさて、今回はどんな任務を戴けるんでしょうかぁ。」
「いいから、そこに座れ。俺も暇人じゃないんだ、余計な時間を取らせるな。」
中で待っていたのは、管理局職員の男であった。処刑任務に携わるリズァーラーの直属の上司である管理官の、更に上官にあたる人間である。
なぜいつもの管理官が居ないのか、前回のブラックマーケットにおける任務成果を管理局へ伝えに行ったあとどうなったのか、尋ねる術などハリコには無かった。物事を疑ってかかることをしないマナコもまた、真相を知ろうとするはずがない。
目の前でソファに腰掛けたハリコとマナコの方を見ようともせず、職員の男は任務指示書を義務的な口調で読み上げ始めた。
「科学者ウィトゥスからの要請。管理局所属リズァーラー、ハリコ及びマナコは、彼の研究施設へ赴き、科学研究に協力すること。」
「へぇ?処刑任務を戴けるんじゃないんですかぁ?」
マナコからの問いに、職員の男はさも面倒そうに、だが一応は返答を行った。
「そんな両手両足の無い、芋虫みたいなリズァ―ラ―がマトモに動けるもんかよ、バカが。」
「ウ゛ウ゛ゥ゛……。」
ハリコは不満げに唸ったものの、職員の男が言ったことは事実であった。
そして今回の任務目標は、ある程度以上の思考を持ち合わせている者であれば、十分に予測し得る内容でもあった。
すなわち、明らかに処刑任務の役に立たなくなってしまったリズァーラーに、別の活用法を見出そうとすることである。
「科学者様もヒマじゃない、言われた通りにさっさと行け。」
職員は言うだけ言って、任務指示書を乱雑な動作でハリコとマナコの方へ投げ出し、そのまま振り返りもせずに管理官執務室から出ていった。
いつもであれば一応は丁重にリズァーラーたちを送り出してくれる管理官がこの場に残っていることもあり、誰にも見送られない出発を経験するのはハリコもマナコも初めてのことであった。
「んじゃ、仰る通り、早いとこ向かいましょうかねぇ。楽しみですねぇ、ウィトゥス博士とお会いするのも久々ですよぉ。また、新鮮な死肉の養分液をご馳走していただけるかもですねぇ。」
「ウゥー。」
とはいえ、マナコの言う通り、ハリコとしてもウィトゥスの研究施設へ赴いた先のことは大いに楽しみであった。
以前彼に会った時の経験から、ハリコにとって科学者ウィトゥスは気前の良い、親切で陽気な老人であるとの印象が全てだったのだ。
関心の向く存在をことごとく分析し、解体し、この世界を構築する部品のひとつとしてのみ扱う科学者に対し、警戒する思いなど抱くべくもなかった。
自らの身を研究対象として彼へと差し出すことの意味を、ハリコは理解していなかった。
「あれ?ベスタさんたちじゃないですかぁ。任務から戻って来られたところだったんですねぇ。」
今まさに出発しようとした矢先、マナコは排水管の向こう側から聞こえてくる足音を前に目を凝らし、暗闇に向かって声をかける。
当然ながら、完全に光源の無い排水管内部では、特殊な視力を持ち合わせているリズァーラーでなければ物を見ることなど出来ない。いくら目を凝らしても見えない相手を前に、ハリコは大人しく接近を待った。
が、考えてみれば、暗闇でも視力を働かせられるリズァーラーは、このチームにはマナコとシェルの2名しか居なかったはずである。人間の進入を阻む真っ暗闇の中、マトモに行動するためには視覚変異型のリズァーラーの同行が必須であるはずだ。
「もしかして、シェルさんを連れての任務ですかぁ?シェルさん、無事に活動できるようになったんですねぇ。」
「いいえ、彼の症状は改善していない。けれど、役に立たないと思われてしまっては、不要リズァーラーとして廃棄されかてしまいかねないから。」
ハリコの視界にも判別できるほどの明るみにまで歩み出て来たベスタの隣には、確かにシェルも連れられていた。
彼は後輩リズァーラーであるヤキバとともに、死体袋を抱えていた。たしかに、処刑担当リズァーラーとしての一仕事を終えて帰ってきたことは間違いないらしく、シェルは記憶が混濁しがちな状態で一応は仕事をこなしたのだろう。
以前の快活さは薄れていたものの、前回ハリコが目にしたような意気消沈の様よりはだいぶ精神面での回復を見たようであった。
「大丈夫そうで何よりですよぉ、シェルさん。」
能天気なマナコからの声かけに、答える声にも多少は張りの戻っているシェル。
「まぁな。親の職場の行き帰りについてってるガキみたいな役割だけだ。」
「しかし、シェル先輩のおかげで、任務現場までの往復を円滑に行えていることは事実です。」
ヤキバからのフォローには無言で返したシェルであったが、その口元に笑みを浮かべる程度の余裕はあるらしかった。
一方、ハリコを抱きかかえてどこかへ向かおうとしているマナコの行動に気づいた時から、ベスタの表情は硬くなり始めていた。
「ねぇ、マナコ……もしかして、任務?」
「そうですよぉ、私とリコくん向けに、ウィトゥス博士の研究施設へ来るようにとの指示ですねぇ。」
マナコからの返答を前に、ベスタは一瞬目を見開き……そして本来人間の死体が元となっているリズァーラーには最初から血の気など無かったが、顔が青ざめたように見えた。
シェルはただ黙って俯くばかりである。ヤキバはたった今マナコが語った事の真意を理解しきれていなかったものの、先輩たちが動揺するほどに只ならぬ報告があったことだけは把握した様子であった。
「ウゥ……?」
ハリコは、マナコに抱きあげられた状態のまま、仲間たちのもとへ唐突に訪れた静寂を不思議そうに見回していた。
黙り込んでしまったベスタを前に、マナコもまた何も気づかぬ様子で語り続けている。
「こないだは、いっぱい新鮮な養分液を戴けましたからねぇ。今回は、ウィトゥス博士に5名分の養分液をおねだりしてみましょうかねぇ、シェルさんにベスタさん、ヤキバさんの分まで、おみやげを持って帰れそうですよぉ。」
「……そうね、そうなれば良いわね。」
ベスタは、ただそう返答するだけがやっとのことであった。
手足を失い、もはや真っ当に任務行動の出来なくなったリズァーラーが、科学者の研究施設へ送られれば、研究資料として遠慮なく解剖されてしまうのがほぼ確実な予測であった。
不安で一杯の仲間たちに見送られながら、ハリコを抱きかかえたマナコはご機嫌に歌を口ずさみつつ、排水管の暗闇の中へと歩み出ていった。




