強者よりの信頼は、抗えぬ拘束
先ほど襲撃を受けたばかりだというのに、何事も無かったかのようにブラックマーケット内の闊歩を続ける大司教の一行。
彼との同行を続けていると、様々な予想外かつ過激な事態に巻き込まれ、ともすれば忘れがちになる本来の目的を、ヤキバは改めて意識の中に呼び起こしていた。
『危険商品』……地上世界から回収された、引き金を引くだけで容易く人間を殺傷できる、凶悪な武器の購入者を処刑すること。それがリズァーラーたちに課された任務であった。
「キミは、ずっと黙っているね。緊張しているのかな?このブラックマーケットでは疑問に思うことも多いだろう、心に浮かんだことであれば、何でも私に尋ねて構わんのだよ。」
「いえぇ、特に気になることなんて、ないですのでぇ。」
大司教から声をかけられ、マナコは軽い返事だけを口にしている。彼女でなくとも、この危険極まりない人物……否、既に大司教は人間ではないことが明らかになっていたが……彼に気安く声をかけようとする思いは生まれ難かった。
任務指示にあった『危険商品』を購入することを、そればかりか既に同じものを複数所持していることを大司教は明言していたため、与えられた命令にリズァーラーたちが従うのであれば、彼を処刑することが現状の目的ではある。
とはいえ、その遂行は絶望的であった。既に仲間の一人であるハリコは四肢を失った状態で、大司教の腕の中に赤ん坊のような姿で抱かれている。
「か弱き子羊よ、私の腕の中は心地よいかな?キミは今、この地下都市で最も安全な場所に守られているのだよ。」
「ウゥ……。」
ハリコもまた、大司教からの語り掛けに対し、マナコ同様に多くを返そうとはしなかった。そもそも彼は言葉を発することが出来なかったが。
本来であれば処刑すべき対象を目の前にして、四肢を失い、何も出来ぬままに唸り声を上げるしか出来ない無力な存在と化しているハリコ。とはいえ仮に彼がマトモに行動できたところで、大司教を常に取り囲んでいる護衛たちに対処できるとも思えなかった。
分厚い装甲に身を包み、常人の数倍はある体格を誇り、なおかつ予期せぬ襲撃にも即座に応戦し得るほどの統率もとれている。
「敬虔なる門徒たちよ、ここいらで少し止まりましょう。」
「了解。」
大司教の声は即座に護衛全員に伝わり、足を止めた彼の周囲で警戒を続ける者たち、付近で不審者が身を隠せそうな場所を探りに向かう者たちが、それぞれの役割を命令無しに自発的に開始した。
当の大司教は、周囲を見回し、一つの問いを発する。
「目的の店舗まで、もう間もなくといったところですが……近くに、私からの指示に従ってくれる市民はいませんか?」
「探して参ります。」
護衛の一人が即座にこの場を離れ、手近な路地を覗き込んで回っている。
まもなく、か弱い声で小さな悲鳴が上がり、がりがりに痩せ細った浮浪者がひきずられてきた。おおかた、腹をすかせたままうずくまっていたところを運悪く見つかったのだろう。
大司教が望むならば、一人の人間の意思など無視して手駒のごとく扱うことも至極当然に行われるようであった。
「連れてきました。」
「おぉ、これはまた哀れな、困窮し果てた様子の市民ですね。はじめまして。」
「だ、だ……大司教様……あ、あ、あの、俺がなにか、マズいことでも、やらかしましたかね……?」
唐突に屈強な護衛によって首根っこを引っ掴まれ、このブラックマーケットで最も恐れられている存在の前へ引き出された男は、ワケの分からぬままにガタガタと震えている。
空腹と恐怖に同時に襲われているだろう彼の身体は、身震いだけで今にも骨が外れてバラバラになってしまいそうなほどであった。
彼を怯えさせまいとの配慮か、大司教はますます優しげな声色を作っている。そのことが果たして功を奏していたかどうかは定かでなかったものの。
「あなたは罪なき善良な市民です、何も怯える必要はありません。ほら、深く呼吸して……落ち着きましたか?」
「ヒ、ヒィ、ヒッ、ヒィィ……ハァ、は、はい、大司教様……。」
「よく聞いてください。あまりにも衰弱し、困窮しているあなたにこそ、頼みたい仕事があるのです。」
言いながら、大司教は懐から角ばった財布を取り出し、市民の手へ押し付ける。
地下都市においては、ほとんどの人間はわざわざ財布を持ち歩くことなどない。生きるために必要な物資は、命ぜられた労働をこなしていれば配給されるためだ。
一部の富裕層のみ、贅沢品を購入する際に財布を持ち出す程度であった。ずっしりと重いそれを手のひらに押し当てられ、痩せ細った男は困惑と共に大司教の顔色を窺っている。
「受け取りなさい。あなたには、買い物を頼みたい。」
「か、か、買い物……ですかい……?」
男は大司教を見上げ、その腕の中に赤ん坊のように抱かれている、四肢を失ったハリコの異様な姿を見てすぐ目を背けた。
外見を気味悪がられることに慣れているハリコも、あまりに不本意な状況に唸っている。
「ウゥ……。」
「えぇ。私が指さす先、見えますか?あの扉の中へ入り、『大司教からの遣いだ』と店主に伝えなさい。向こうには私の求める品が伝わっています。」
大司教が指さしているのは、当然、リズァーラーたちが『危険商品』を調査しに入り、その実物を確認した店舗であった。
入り口の見張りも相変わらずそこに陣取っていたが、既に大司教の一行が接近している様は見えているのだろう。既に扉の脇に退いてドアを開ける準備をしている。
「あの品は危険なものです。私が買い、回収しなければ、ブラックマーケットの安全は保たれない。」
「そ、そんな大事な買い物を、な、な、なぜ、俺なんかに……?」
「哀れで惨めな市民よ、あなたに生きる糧を与えるためです。神の使徒である私の手伝いをし、祝福と共に、生きる術を手に入れたくは思いませんか?」
大司教は、抱いていたハリコをすぐ横の地面に置く。やせ細った男の手の上に財布を今一度押し付け、もう片方の手でしっかりと財布を握らせる。
「この財布、私が頼んだ買い物を終えれば、あなたに中身ごと差し上げます。おそらく、あの品を購入しても、半分以上は残るでしょう。それを全て、あなたのものにして構わない。」
「……へっ……そっ、そ、そそ、それは、本当に……!?」
「えぇ、私は真実しか語りません。良いですか、あの店から購入した商品を、私の元へ持ってくるのです。それだけで、あなたは新たな人生を拓くことが出来る。」
「はっ、はいぃ!しょ、承知いたしました、大司教様ぁ!」
唐突に舞い込んできた幸運、おそらく一生かかっても稼ぎきれないような大金を手にした男は、先ほどまでの恐怖に興奮がプラスされ、ますます震えを増し始めた膝で立ち上がった。
そのまま、先ほど指し示された店の方へと歩いていく。入り口の見張りは、その貧相な男が財布を握って近づいてくる様を訝し気に見つめていたが、大司教がじっと視線を注いでいることもあってか、大人しく店の扉を開けた。
大司教の傍ら、護衛の一人が立ち上がる。
「大司教様、あの男の見張りに向かうべきでしょうか。奴が、財布を持ち逃げするかもしれません。」
「心配ありがとう、敬虔なる門徒よ。ですが、私は確信しています。彼は善良なる市民です、そのように私欲に駆られた行動には走らないでしょう。」
たしかに、そのように無謀な行動は、あの哀れな市民には実行できなかったろう。
大司教が言うように善良な心ゆえではなく、もしも言いつけを破ったらどんな目に遭わされるとも分からないという、恐怖ゆえに。その感情もまた、自分自身の人生の価値をも遥かに超えてしまいそうな大金を握ったことで、麻痺してしまっていただろうが。
「……さて、迷える子羊よ。」
「ウゥ?」
大司教は、先ほど地面に置いたハリコの身柄を改めて抱き上げ、愛おしそうに話しかける。
むろん、彼が言葉をかける対象は、ヤキバとマナコも含まれていただろう。
「『危険商品』を購入した者を、処刑せよというのが、管理局からの指示だったね。」
「ウ……。」
「……その通りです、大司教様。」
ハリコは言葉を詰まらせ、マナコは相変わらず黙りこくっている。
ようやっとヤキバだけが、大司教の真意を汲み取り、どうにか返答できたのであった。




