古き世こそは悪夢と知り
つい先ほどまで尋問・拷問の対象としてのみ扱われていた3名のリズァーラーたちは、打って変わって歓待を受けることとなった広間の豪奢さに目を丸くしていた。
数々の調度品、装飾に覆われた高級そうな家具もさることながら、赤々と暖炉に火が焚かれていること自体、地下都市においてはほとんど信じられない光景であった。地下では供給手段の限られた貴重な酸素を、野放図に浪費していく炎の存在は、この部屋の主の権力や財力をそのままに誇示するかのようであった。
「すわりなさい、迷える子羊たちよ。きみたちは、ワインを飲むかね?……そも、ワインという言葉すら知らぬかもしれないね。」
“大司教”ドミトリー・マルチンクスは、マナコとヤキバには椅子を勧めつつ、四肢を切断されたハリコの胴体を手近なソファの上に置く。その仕草は一応丁重であったが、どちらかというと人形や玩具を扱うような振る舞いに近しかった。
「ウゥ……。」
「……。」
マナコは先ほどから何も喋らず、変わり果ててしまったハリコの方へ視線を向けている。相変わらず半開きの口の端が上がったまま、大して表情の動かないマナコであったが、その目にはハッキリと仲間を案じる色が浮かんでいた。
ハリコの身体の切断面は、未だ生々しく乾くはずもなく、内部から伸びた菌糸が接続されるべき先を求めてウネウネと蠢いている。大司教へと返答する役目は、ヤキバが担う他になかった。
「いえ、自分たちは人間様と同じ飲食物は不要でして……その、助けていただき、感謝いたします。」
「少し怖がらせてしまったかもしれないが、あれも熱心な門徒たちなのだ。彼らの働きのおかげで、この地下都市にも神の教えが浸透しているのだよ。」
手足を鋸で切除されてしまったハリコにとっては怖がらせるどころの騒ぎではなかったのだが、リズァーラーがどれほどの損傷を負っていようとも、大司教自身の価値観においては大して気に留めるべき事項ではないのだろう。
彼は今、部屋の隅に置かれた棚の前に屈み、一本の黒っぽいほっそりした形状の瓶を取り出している。飲料の瓶としては地下都市で見慣れぬ形であった、リズァーラーたちが手にする瓶は、大抵養分液の支給時に渡されるものであり、内容物がハッキリと分かるような透明の瓶である。
大司教の挙動は、多少わざとらしく見えるほどにゆっくりとしたものであった。巨体の護衛たちよりもなお高身長な体躯ゆえ、その緩慢さはますます際立った。
「部屋が薄暗くて済まないね、ワインは繊細なのだ。光や酸素にあてられては、簡単に劣化してしまう。ゆえにこそ、ずっと地下空間で生き続ける、我々のための飲み物だとは言えるのではなかろうか。」
「……は、はぁ……。」
ヤキバは何とも返答できず、ただただ大司教の動きを目で追うばかりであった。
先ほどの拷問部屋から救い出されたのは儲けものであったが、自分たちリズァーラーが管理局から与えられた任務を果たすには程遠い状況である。あの短時間で手足を失ってしまったハリコの処遇も定まっていない。マナコは呆けたようにハリコの方を見つめるばかりで、何も自ら言動を起こそうとはしていない。
話し相手であるリズァーラーたちが黙り込んでいることなどまるで意に介さず、大司教は滔々と喋り続けている。
「ワインボトルが、なぜこのような形をしているか知っているかね?長期間の保管を前提として作られる類のワインは、その中に多くの澱が沈殿する。注ぐ際に、それが舞い上がらぬよう、そして瓶の肩でせき止められるよう、古代の人間たちが見出した工夫なのだよ。」
言いながら、彼は先ほどと変わらずゆったりした動作で、瓶の栓を慎重に抜いている。その体躯に見合った怪力の持ち主らしく、何ら力む様子を見せることなく、堅く封じられた栓を彼は静かに抜きとった。
栓を抜いて即座に飲み始めるわけでもなく、大司教は部屋の隅へと向かい、グラスを吟味し始める。一連の動作は、同席するリズァーラーたちへと種々に語り掛けつつ、リズァーラーたちの存在を意に留めぬかのごとく行われた。
「ワインがどのように作られるか、聞いたこともないだろう。この地下都市で細々と醸造されているドブロクとはわけが違う。まだ地上世界に人間が暮らせた時代、『ブドウ』という植物から長い時間、手間暇をかけて作られた酒なのだ。」
どのように作られた酒であるかなど、そもそも人間が口にする飲食物から無縁のリズァーラーたちにとって興味を惹く話題ではないことだけは確かであった。
ヤキバは、大司教へと自らの提案を語り掛けるタイミングを窺い続けていた。目の前にいる男が、この地下都市最下層、セクター0における最大の権力を有する人物であることは間違いない。こちらの提案を飲ませることが叶えば、今回の任務を成功へと導けるかもしれない……ハリコの身体的損傷は、代償として大きすぎるが。
どのように働きかければ、この怪物的な大司教の機嫌を損ねることなく交渉できるのか、ヤキバは未だに掴みかねていた。相変わらず大司教は、何を伝えたい意図があるのか不明なまま、自分の語りたいことだけを語っている。
「つまり、人類が地下でしか生きられない今、もはや生産することなど不可能な代物だということだよ。欲しければ、地上世界から見つけて、持ち帰る他に入手手段はない。」
ハリコとマナコは目を丸くしたまま、反応できずにいる。ヤキバもまた、地上はまず立ち入れない死の世界だという認識であり、大司教の語る内容を前にして呆気に取られているばかりであった。
そもそも、大司教が語る内容を傾聴することは、現状の目的ではなかった。しかし、彼の語り口は奇妙なまでに聞く者の意識を惹きつけ、何の根拠もないままに説得力を有しているかのようだった。
ほんの一口分、古びた瓶のなかから濃い赤色の液体をグラスへと注ぎ、大司教は口元を近づけて香りを確かめている。
「これは良い、風味が損なわれていないワインにまみえるのも久方ぶりだよ。腕の悪い運び手を全て殺したのは、善き判断だった。」
彼は先ほどまで同様、独り言のようにつぶやきながら、リズァーラーたちの前に並べたグラスにもワインを注ぐ。先ほど自身が喋っていた通り、瓶の底に溜まった澱を掻き立てないように、静かに、穏やかな手つきで。
彼の命じる先、あるいは彼自身の手が、過去にどれほど血や返り血で染まっていたとしても、その片鱗すら垣間見せない紳士的な振る舞いであった。
「君たちも味わいたまえ、上等な品だよ。何せ、欲しいと望んだ物が大抵手に入る私ですら、珍しいと感じるのだからね。」
「これは……恐縮です。」
グラスを手にしたのは、やはりヤキバだけであった。その肉体に染みついた、生前人間であった頃の習慣か、相手からもてなされた品は形だけでも手に取ろうと、自然と手がのびたのだ。
マナコはちょっと顔を近づけ、すぐにグラスの中から立ち上ってくる香りから顔をそむけた。既に菌類が活動しつくした後の液体など、同じ菌類であるリズァーラーには魅力的に感じられなかった。そもそも両手を失ってしまったハリコは、踏ん張る両足もなく身を乗り出すこと自体が出来ない。
ヤキバも形だけ口をグラスに近づけ、すぐにテーブルの上へ返した。リズァーラーたちがいかなる反応を示すかなど最初から気にしていないのか、大司教は喋り続ける。
「何もかもを我がものとするほどの力を得ても、私には決して得られないものがある。知識だ。私には知り得ない、ワインの当たり年がいつなのか、このワインは適切な熟成期間を経ているのか……誰も教えてくれない。」
大司教の語り口はしみじみと寂しげな響きを奏で始める。
聞いている者が人間の感性を有してさえいれば、彼の胸中に抱かれる巨大な虚空、決して満たされぬ孤独を感じ取ることも可能だったかもしれない。
「人類は何もかも、地上へ置いて来てしまった。積み上げた叡智、文化、信仰を。それらの中に生き、それらを覚えている人間は、もう居ないのだ。」
が、ここで彼の話を聞いている者たちは人間ではなく、リズァーラーであった。その記憶の片隅に、人間として生きていた残滓は残していたとしても、根本的に人間とは異なる菌類、リズァーラー。
むろん、大司教もまた、自分の心境に同意を求めてはいなかったろう。彼は自分の語りたいことをのみ語り終えて満足したのか、またしても部屋の隅へ向かい、重そうな机の引き出しを開け、何やら取り出している。
再び暖炉の灯りが届く位置まで戻ってきた時、大司教が手にしていた物体は、この時代に生きる者たちが一度も見たことの無い形状をしていた。金属の光沢に、木で出来た持ち手が付けられているあたりは工具にも似ていたが、その割には複数の部品が組み合わされた精巧な造りをしている。
「今から何百年前に作られたものか、これもまた地上世界から回収された品だ。何だと思う?」
「……わかりません。」
「君は?そっちの君は?」
「ウゥー……?」
「見たことないですねぇ。」
大司教は、ヤキバに続いてハリコへと質問を投げかけるも、当然ながら誰も答えられるはずがない。
その物体の先端には先に穴が開いていた。大司教はリズァーラーたちを指さす代わりに、それを突きつけながら質問を繰り返していたが、おもむろに持ち手近くの部品を動かす。
カチリ、と金属のパーツが噛み合う音が響く。
聞いたことの無い音ながら、とてつもなく不吉な響きを感じ取ったハリコが小さく唸ると同時に、耳を聾する轟音が一体を劈いた。
ッバガァン!!
「はっはっは、驚いただろう。これは、小さな金属の塊を、この破裂音と共に撃ちだす道具らしくてね。ほれ、ここに名前が刻まれている……『Colt Anaconda』とね。」
先ほどの轟音のために耳鳴りに襲われていた面々。大司教が語る言葉は、前半ほとんど聞き取れていなかった。
反射的に目を固く閉じていたハリコは、恐る恐る目を開く。自分の胴体に手足がくっついていないのは先ほどまでと変わりなかったが、その胴体の真ん中に大穴が開いていた。
「ウ……ア、ァ……。」
かつての人類が築き上げた文明においては『拳銃』『ハンドガン』等と呼ばれていたそれを、大司教はハリコに向けた状態で発砲したのだ。
痛みを感じないリズァーラーではあったが、今まで経験したことの無い損傷を目の前にして、彼はしばらく固まっていた。人間に当てはめれば、血の気が引くという状態に近しかったろう。
「いやぁ、唐突に済まないね。この道具を使って人体を攻撃すれば、どれだけのダメージを与えられるのかを試したかったのだが、なかなかその機会が無くって。キミたちが来てくれて本当に良かった、人類の生み出した知恵について、また一つ造詣を深めることが出来たよ。」
悪びれるはずもなく大司教は語り続けている。
「リコ……くん……」
マナコはハリコの胴体の中央に風穴が開いた様へ視線を向けたまま、固まっている。さすがの彼女も、いつもニヤついている口元が下がりつつあった。
ここからの判断を間違えては、この地獄のような場から脱する機会を逸することとなる。ヤキバは極度の緊張感とともに、大司教へと向き直った。
「大司教様のご研究をお手伝い出来て、我々としても光栄です。」
「そうかな?君たちは、私の助けとなるために、ここに来たわけではないだろう。」
ヤキバが口にした言葉に、想定以上の冷静さで返す大司教。
今なお細く煙を上げ続けている拳銃を愛でる恍惚とした表情に似合わぬ、冷静な返答にヤキバは多少面食らったものの、ここで引いては彼と交渉するチャンスはない。
ヤキバは自分の服の内ポケットから、無事に持参し続けていた任務指示書を取り出しながら続けた。
「はい、ですが多少は関係がある目的でして。私どもは、ブラックマーケットで取り扱われている、こちらの危険商品についての情報を求めに来たのです。」
しばらく大司教はこちらに背を向けたまま、ヤキバが取り出した任務指示書には視線を向けなかった。
彼の機嫌を損ねるリスクを負ってでも、改めて自分たちの目的を聞いてもらおうとヤキバが口を開きかけたが、先に声を上げたのは大司教の方であった。
「見当はついている。これと同じものがセクター0に流通することを、管理局は恐れているのだろう。」
「はい?」
「なんだ、キミたちは何も知らされていないのだね。」
そこで初めて、大司教はリズァーラーの方を向き直る。彼の表情は、変わらず温和な笑みを湛えたままであった。
「その『危険商品』とやらは一つじゃないよ。地上で回収した希少な物品は全て私の元へ寄越すよう伝えていたのだが、他所から金を積まれた不届き者が、指示に従わなくてね。」
彼は再び、カチリという音をたてながらヤキバへと拳銃の銃口を突きつける。
その使われ方、その威力のほどを目にした今となっては、突きつけられるそれは恐怖の対象でしかなかった。
「これと同じものが、いくつかブラックマーケット内に流出してしまった。まぁ、そのこと自体は大した問題じゃない。私が命ずれば、門徒たちはいかなる手段を使ってでも取り返してくれる。」
先ほどハリコを拷問して四肢を引きちぎった、全身が装甲で覆われた巨漢たち。
大司教のボディガードでもある彼らが、セクター0内を殺気立った様子で歩き回っていた裏には、大司教直々の命令があったためなのだろう。
「だが、管理局が気を揉んでいるというのなら、付き合ってやらんでもない。」
ヤキバの目の前に、大司教はずいと顔を近づける。
彼の目は、どれほど奥に入り込もうとも底にたどり着かぬ闇で満たされているようであった。その周囲に細かく刻まれた皺は、彼が命を一つ奪うごとに刻まれたかのごときであった。
「何せ、キミほどの者がリズァーラーへと身を堕とされてしまうほどだ。私としても、必死になった管理局と正面切ってやり合いたいとは思わん。」
「そ、そうですか……協力、いただけるのですね?」
威圧感に押されながらも、ヤキバは辛うじてそう念を押すことだけは忘れなかった。自分がリズァーラーになる前、何者であったかなど思い出せないことには違いなかったが。
返答の代わりに、大司教は満面の笑みを浮かべる。相手を肯ずる意思、親愛の情をこめたはずの顔は、今までに彼が浮かべたあらゆる顔立ちの中でも、最も獰猛であった。




