命綱は無く、深い深い地下都市の底へ
購入するだけで処刑の対象となる危険商品を、買い求めようとしているのは“大司教”なる人物。
その呼称を聞かされたヤキバは必死になって自らの記憶を浚ったものの、この地下都市に聖職者が勤めるような宗教施設が存在したという知識は彼の中に無かった。
変わらず口を半開きにしたままボンヤリしているハリコとマナコには、そもそも大司教という言葉の意味すら分かっていなかっただろう。
「申し訳ありません、勉強不足なもので……大司教さん、とは、どういうお方ですか?」
ヤキバは、店主の男に問い質す。
当の店主は、すでにリズァーラーたちへ説明すべき用件も全て伝えたと判断したのか、危険商品が収められたケースを片付けようと立ち上がったところであった。ヤキバからの問いに、さも当然の事を伝えるかのような口調で返す。
「このブラックマーケット、全てを牛耳っておられるボスだ。」
「大司教という肩書は、聖職者のものであるようにお見受けしますが……。」
「まぁ、一応、本人はそれっぽく振舞っているがな。実質は闇社会の首領だ、死にたくなけりゃ不用意に関わらねぇことだ……っと、お前らは既に死んでるんだっけか。」
店主はリズァーラーたちへ背を向け、商品のケースを抱えて店舗の奥へと戻っていく。
今まで黙って背後に立っていたボディガードの男が、その巨体をノッソリと動かしながら急かした。
「親切な旦那は、テメェらに教えるべきことは全部喋った。とっとと出ていけ、俺たちは今から大司教様のご来店に準備しなきゃならねぇんだ。」
「はい、では、これにて失礼いたします……。」
今度こそ、この場に食い下がる必要性を見いだせなくなったヤキバは、追い立てられるがままに店舗から出ていく。ハリコもマナコも、事情が込み入っていることだけは理解しているのか、ポカンとした表情は崩さないまま入り口のドアから追い出された。
自分たちが出ていくと即座に背後で重い錠の音が響くのを聞きながら、ヤキバはこれからの任務遂行について思案し始める。
どちらかといえば、途方に暮れていると表現したほうが正確だったであろうが。
「危険商品の所在を特定し、その購入を予定している人物についての情報まで得られたのは、大きな収穫でしたが……このセクター0にて、最も処刑し難い人物が標的だったとは。」
「標的が誰なのか分かったのなら、あとは居場所を突きとめて処刑しに行けばいいんじゃないんですかねぇ?」
「ウゥー。」
頭を抱えているヤキバの傍らで、マナコが楽観的な見通しを述べ、ハリコも同調するように唸り声を上げている。
この先輩リズァーラー2名が、今までの任務をいかにして無事に遂行してきたのかがヤキバには疑問であった。が、おそらくはこの両名の行動を制御する同行者が居たおかげだろうと思い直し、現在は自らがその役目を担わされているのだと考え、改めて溜息を吐いた。
「現状のまま、何も状況が変わらなければ、先ほど店主さんが仰った"大司教"を処刑することが我々の任務目標になります。が、おそらく遂行はほぼ不可能でしょう。このブラックマーケット全体の首領ともなれば、彼を護衛する戦力も相当なものでしょうし……。」
「あのぉ、そこのお方?大司教さん、ってどこにお住まいか、ご存知ですかぁ?」
ヤキバのブツブツと呟いている声を他所に、マナコは手近な路地でしゃがみこんでいる薄汚い男にさっそくの聞き込みを行っていた。
リズァーラーにいきなり話しかけられた男は、何事かとばかりに怪訝そうな表情を持ち上げたが、“大司教”の名を聞くと同時に顔面から血の気が引いていく。そのまま、何も答えずに立ち上がり、震える足で幾度も転びそうになりながらその場を逃げ去って行ってしまった。
「あららぁ、ちょっと質問しただけなのに、あんなに怯えることはないんですけどねぇ。ちょっと追いかけて……」
「ちょ、ちょっとマナコ先輩、止まってください。」
ヤキバは慌ててマナコを引き留める。
「おそらくですが軽々しく口に出してはいけない人物なのでしょう、“大司教”というのは。それに、当人の居場所を知ったところで、我々には処刑遂行することなどほぼ不可能だ、との推測を述べたばかりですが。」
「隙を突けばいいんですよぉ、人間さんは暗闇で目が見えないんですから、どうにかして停電を起こしたりしてですねぇ。」
「ウン、ウン。」
同意を示して頷いているハリコであったが、ヤキバにはマナコの提案を肯ずることなど到底できなかった。
「一般市民が相手であれば、停電を引き起こすだけでも十分な行動阻害になるかもしれませんが……先ほど店舗のボディガードを務めていた男の装備品を覚えていますか?」
「はいぃ、管理局で運用されている警備兵さんたちと、似たような装備を身に着けてましたねぇ。顔も、マスクで完全に覆われて。」
「おそらく、暗闇で視界を確保する機能を有しているでしょう。要人の警護を担当している者たちも同様だと考えれば、暗闇が我々リズァーラーに有利な状況であるとは断定できません。」
その上、地域全体を一斉停電させられるという保証も無い。一般の居住区であれば、電力供給が管理局による制御下にあるため、それが可能であったのだが。
管理局による統治の影響が及んでいないセクター0では、各々の店舗、住居が独自の給電ルートを確保しているらしく、頭上には無数のワイヤーが乱雑に絡み合う光景が広がっていた。
「更に、地下都市におけるもう一つの重要なライフライン、空気供給についてもセクター0においては潤沢に為されているようです。ますます、人間相手に活動を制限することは非現実的です。」
多数の人間が生活していれば当然のごとく呼吸に適した空気は無くなっていく。
清潔な空気を無償では得られないこともまた、地下都市に住まう市民たちの活動を制御する一要因ではあったのだが、見たところブラックマーケット内ではあらゆる人間が問題なく活動を続けている。
住居も無く、道端に乏しい品を並べてうずくまっている者たちも栄養失調気味ではあれど、呼吸困難に陥っている様子はない。
「件の大司教さんに危険商品購入を諦めるよう求めるのも難しそうですし、今回は処刑を諦め、いかに遂行が困難な状況であったかを帰ってから釈明するのが現実的かもしれません。」
「それは出来ませんねぇ。」
「ウー。」
ヤキバの提案を、マナコはきっぱりと退ける。ハリコもまた即座に首を横に振って、表情を険しくしている。
「管理局から命じられた任務は、絶対にやらなきゃダメなんですよぉ。」
「とはいえ、我々がここで活動不能状態に陥るリスクも大きすぎます。任務を遂行できず戻った場合の罰則は何ですか?」
場合によっては、任務未達成時のペナルティを選ぶことも視野に入れるべきだ、とヤキバは伝えようとしていた。
マナコからの返答は、相変わらず単純かつ明確なものであったが。
「知りませんねぇ。知りませんけど、任務を遂行できなかったリズァーラーが現状、存在しないことだけは確かですねぇ。」
「ウン。」
すなわち、任務遂行できないリズァーラーは、存在を許されないということ。
雇われている人間とは違い、そもそも人権を有していない、命無きリズァーラーには保障される将来などなかった。
ヤキバの前で語るマナコの表情は変わらずあっけらかんとしたものであったが、語られた言葉はリズァーラーの管理局における待遇の冷たさを余すことなく伝えて来た。
「……そう、ですか。」
ヤキバは再び考え込む。いよいよ、窮地に追い込まれつつある現状は厳然として彼の思考の前に立ちはだかっていたが。
しかし、その思案は不意に投げかけられた、粗暴な声によって遮られた。
「おい、お前らか?大司教様の事を嗅ぎまわってる余所者は。」
「えっ……」
ブラックマーケット内に溢れる喧噪の中、リズァーラーたちは既に包囲されていることに気づいていなかった。
先ほど店舗の前で来客を見張っていた門衛と同じ装備品に身を固めた、やはり巨体の男たちがリズァーラーたちを取り囲み、その中の一人が話しかけてきていた。
自分たちの身分を隠すべきか否か、警戒の唸り声を上げているハリコの隣でヤキバが決めかねるうちに、マナコが先に返答してしまう。
「はぁい、そうですよぉ。私たち、管理局から来させていただいたんですけど、大司教さんに用事がありましてねぇ。」
見るからに危機が迫っている状況で、変わらぬ能天気な調子で言葉を返せるマナコの神経を、ヤキバは信じられぬ思いであった。
「お前らがどこから来ようと関係ない、目的を全部吐いてもらうぞ。」
「あっ、あの、抵抗はしませんので、出来れば乱暴なことは控えていただければ……」
「ウゥ゛ゥ゛!ア゛ウ!ワ゛ウ!」
ヤキバが穏当な扱いを懇願している隣で、ハリコはピークに達した警戒心のまま吠え声を上げている。
が、リズァーラーたちそれぞれの反応などまるで意に介すことなく、装甲に身を固めた男たちはハリコ、マナコ、ヤキバ各々の身柄をヒョイと抱えあげ、軽々とその場から運び去ってしまった。




