処刑任務の妨害者たち
予想外、かつ経験したことの無い状況を前にして、ハリコは動きが取れずにいた。
人間を相手取るのであれば、抵抗を受けたとしてもこちらが優位に立てる。外気も外光も遮断された、地下の密閉空間の環境はリズァーラーたちに有利に働く。満足に呼吸も出来ない状態で、更に完全なる暗闇に包まれた人間は、まともに周囲状況に対処できない。
だが、自分たちと同じリズァーラーが処刑対象に付き添っているとなれば、話は大きく違ってくる。
「まだ、敵対していると決まったわけではありませんけどねぇ。」
マナコは傍らのハリコに対し、囁きかける程度の声量を保っている。目の前のドアからも距離を取り、内部で息を潜めている者たちへ聞こえないようにしている。
罪人として認定され、ハリコたちの手によって処刑される市民の住居内で、リズァーラーと思しき存在が待ち構えているのは前代未聞の事態であった。マナコは、離れた場所からこちらを監視し続けているシェルに向けて手を振って見せる。大声を出して伝えるわけにはいかない。
マナコと同じく真っ暗闇でも視力を働かせられるシェルは、予定が狂った知らせを受け取った合図に、手を振り返す。その後、傍らに控えていたベスタと共に移動を開始する様が、マナコからは見えた。
マナコは再び、隣で緊張している様子のハリコへ声を掛ける。
「処刑プロセスが順当に進めば、私たちはこの後、対象の死亡確認のため室内に入ることになりますねぇ。」
処刑対象が一切抵抗しない場合、空気供給の遮断された室内でその者は窒息死することとなる。そして処刑任務が完了したのを確認した後、遺体を回収するのが何事もなく事態が進んだ場合のリズァーラーたちの役目であった。
今回に関して言えば、外見上は処刑標的が表立って抵抗することもなく、処刑は順調に進行しているように見える。
「とはいえ、正常に呼吸音が続いているうえに、見知らぬリズァーラーの気配があるってのは、普通じゃありませんよぉ。」
「ウゥ……。」
ハリコも同意の念を込めた唸り声を返す。
身動きが取れない二人の背後に、先ほど移動を開始していたシェルが近寄ってきていた。マナコは声を低めるべき状況であることを示すため、シェルが口を開く前に人差し指で自分の口の前を遮って見せる。
シェルも察し、マナコの耳元に口を近づけて小さな声で尋ねた。
「どうしたよ、お二人さん。ずいぶんと距離を縮めちゃって。」
「端的に言いますと、私たち、待ち伏せされてるかもです。標的の呼吸音は続いてます、そして呼吸を必要としない何者かが標的の近くに居ます。」
いつもの調子であればマナコも冗談をシェルに返していただろうが、彼女が必要事項だけを伝えたのは、それだけ事態が切迫している様を示していた。
シェルは手を繋いで連れて来たベスタの方をチラと見る。
ベスタが彼と手を繋いでいたのは、暗闇で視覚を働かせられるシェルに先導される必要があってのことであり、それは彼女がいかにも不承不承といった雰囲気でおざなりにシェルの手を握っているところからも窺えた。
暗闇の中とはいえ、自分に行動判断が委ねられているのを感じ取ったベスタは言葉少なに考えを伝える。
「所定の時間が経過したら、予定通りに入り口の扉を開けて。ただ、そのまま、中には入らないで。」
「入ったとたん、襲われるかもですからねぇ。」
「私たちが、別方向の窓を蹴破る。内部からの反応があれば、その隙に本来の入り口から突入を。」
すなわち、本来の入り口とは異なった侵入経路を用いて突入すると見せかけ、内部で待ち構えていると思しき者たちの意識がそちらに逸れたところで、正面からの進入を試みるという案だ。
「……。」
「おっけーです。」
ハリコは緊張の色を目に浮かべたまま黙りこくっていたが、マナコはあっさりとベスタのプランを受け入れた。ハリコの腕を引っ張って、入口へと近づく。
一方、シェルに手を引かれたベスタは処刑標的の住む廃材小屋の周囲をぐるりとまわり、反対側に小さな窓を見つけた。自然光の存在しない地下空間とはいえ、区画全体を照らす工業用照明の灯りを外光として取り入れるための窓が設けられることはある。
透明なガラスではなく、これまたゴミ山から回収したのだろう半透明な樹脂を張っただけの粗末な窓枠は、いかにも容易く蹴破れそうな脆い構造であった。
「さ、そろそろです。」
「ウゥ……。」
「緊張するこたないですよ、リコくん。私たちリズァーラーは、身体の心配なんてほぼ要らないんですから。」
マナコが言う通り、もともと人間の遺体に菌類が侵入して繁殖した結果生まれたリズァーラーは、菌糸の活動に必要な水分と養分さえあれば常に損傷部位の修復が可能な存在であった。
むろん必要とする水分をすべて失う状態、例えば炎で燃やし尽くされるような形になれば文字通りに殺菌されてしまう。が、酸素が自然に供給されることの無い地下空間では燃焼自体が簡単に収まってしまううえに、同じ空間に居合わせた人間たちにも酸素不足という危害が及ぶ。
現在、待ち構えるリスクの専らは、未知のリズァーラーの存在に集約されていた。
「入口、開けますよ。」
内部の処刑対象が、本来窒息するに十分な時間が経過すれば、手順に従ってマナコたちが生死の確認を行うことになる。
廃材のドアを開ける音はギィィッと耳障りに響き、この家の裏側で待ち構えているベスタとシェルの耳にも届いたであろう。
ベスタとの打ち合わせ通り、まだ中に入ることはしない。未だ意図的な停電が続けられている暗闇のなか、マナコは目を凝らして家の中を覗き込む。廃棄物処理エリアの住民らしく、ゴミ山から拾って来たのだろう様々な廃材がごちゃごちゃと積まれている。
家の内部には縦横に電線ケーブルが走り、工作機械のようなものも置かれているのが見えた。乱雑な室内のいずこかに身を隠しているのか、処刑対象である人間の姿はない。
「誰も、見えませんねぇ。」
「ウー……。」
もとより暗闇では何も見えないハリコもまた、懸命に前方から聞こえる音に耳をそばだてる。頭部を大きく欠損している彼には、本来の人間同様の耳朶は無かったが。
マナコが報告した通り、中からはほんの小さな音ながら、一人の人間の呼吸音が聞こえた。空気供給が断たれるのを見越して、ゴミ山の作業員たちが持つ空気タンクを自宅に準備していたのだろう。
たしかにそれは息苦しい響きを伴っては居なかったものの、いよいよ処刑担当のリズァーラーが扉を開けたことに反応してか、その主の緊張を示すように頻度が高まっていった。
しかし、自分たち以外のリズァーラーと思しき、呼吸を必要としない存在が立てる物音は聞こえない。いよいよ対峙すべき瞬間が来るまで、完全に気配を消して待ち続けるつもりであろうか。
「変ですねぇ、標的以外にも、誰かが居たような気配があったんですが。」
現在は既に普通の声量で喋っているマナコの声は、家の中で待ち構える者たちにも聞こえているだろう。待ち伏せる側が意識を向ける先を揺さぶるため、敢えて聞かせているのだ。
別方向からのベスタによるアプローチがあれば、まずそちらに反応が見せられるはずであった。
盛大な破壊音を立てて、入り口とは反対側の窓が蹴破られる。
「うわっ!?」
「おっと!」
ベスタとシェルの、驚きを示す声が響く。何に対して驚いたのか、マナコの居場所からは分からない。
ただマナコの目には、家の中に何かの白い粉塵が飛散した様が見えた。その時は、それが単なる埃だろうと判断したマナコはハリコの腕を引っ張って告げる。
「んじゃリコくん、突入です!失礼しまぁす!市民生活管理局でぇぇす!」
「ウゥ!!」
家の裏側では、先ほどの蹴破った音に続いて、廃材を叩く音、引っぺがす音が続いている。
おそらく、ベスタとシェルが、引き続き侵入を試みて内部の者と攻防を続けているのだろう。マナコは変わらず、自分たちの所属を呼ばわりながら家の中へと踏み込んでいく。
「お邪魔しますよぉ!管理局の任務ですぅ!速やかなる任務遂行にご協力を!」
「ウ!?」
勢いよく室内に踏み込んでいった二人に向け、積み上げられていた廃材の陰から、真っ黒な液状の何かが噴出される。
暗闇の中において、それはますます通常の視力では認識の困難なものであったが、咄嗟に視界の端で異変を捉えたマナコは前進しようとするハリコの腕を引っ張って後ずさった。予告なく腕を引っ張られたハリコは動作が遅れ、彼が頭に被っていたフードに真っ黒な液体は降りかかる。
おそらく有害な薬品だったのだろう、ドロドロと布に染み込んだ真っ黒な液体は途端に熱を持ち、煙を上げ始めた。
「ウ!ウァ!」
「リコくんは熱かったらフード脱いでください!そこですね、敵さん!」
悲鳴を上げているハリコを傍らに、マナコはたった今の襲撃者の居場所を見定める。
そして躊躇なく、陰に隠れている何者かに向け、積まれていた廃材を蹴り倒した。鍛え上げた人間ほどには筋力がないリズァーラーたちも、常人程度には運動能力がある。
しかし、ガラガラと音を立てて崩れた廃材の山から転げ出たのは、ガラクタを組み合わせて作られた装置だけであった。処刑担当リズァーラーを迎撃するため、機械仕掛けで作動するトラップを仕掛けてあったのだろう。
「ありゃ?もしかして、私が感じ取った気配って、ただの機械……?」
マナコの口走った予測は、直後に否定された。
彼女の背に、数本の刃がドスドスと突き立てられる。
刃というよりは、単に金属片を鋭利に研いだものと呼んだ方が正しかったが。
いつの間にかマナコの背後に回っていたその者は、手に刃を握っていたのではなく、自身の腕に埋め込まれた無数の金属片を、そのままに突き刺していたのであった。
「うわぁ、ビックリです!どちら様、ですか!?」
「黙ってろ。」
背を刃で固定され、振り返れないままにマナコは背を逸らし、背後からの襲撃者の姿を確認する。
腕だけではなく、身体の随所、頭部からも複数の鋭利な金属片が突き出ている。大きな金属片の中には、完全に頭蓋骨を貫通していると思われるサイズのものもあった。
相手は人間ではないことが明確に判別される外見、すなわちリズァーラーであることは間違いない。
しかし、その目は生前の人間のものと変わらないことをマナコは見て取った。
「あなた、目は変異してないですねぇ。こんな暗闇で、何も見えてないんじゃないですか?」
「黙ってろと言っている!」
無論この相手も、数の不利は承知の上で行動しているのだろう。
襲撃者はマナコの背に刃を突き立てたまま、もう片方の手で探り当てた彼女の頭をグイと引き寄せ、マナコの見開かれた目に向けて刃を振り下ろそうとした。暗闇での索敵を担当するリズァーラーの目を潰せば、立ち回る上での条件は同じになる。
しかし、最初の薬品噴出のトラップを、ハリコがマトモには浴びていなかったことは計算外であった。
「グゥゥォオオ!」
「チッ!もう動けるのか!」
顔を覆っていたフードを剥ぎ取り、もともと大きく欠損した頭蓋が露出し、剥き出しになった大顎に牙を光らせ、ハリコが襲撃者の腕に噛みつく。
口腔部に変異を来たしたリズァーラーであるハリコの顎は、人間本来のものよりも大型化し、咬合力も数倍に跳ね上がっている。
腕力では人間に劣るリズァーラーたちが罪人の処刑を担当できるのは、こういった噛みつく力の発達した者たちに依るところが大きかった。
「離れろっ、この!」
「グォルルルル!」
ハリコの顎に、噛みつかれた相手の骨がミシリと軋んでヒビの入る感覚が伝わる。
既に噛みつかれた部位の皮膚や筋肉は……リズァーラーたちの身体はいずれも菌糸で構成されているため、本来の動物が有する皮膚や筋肉とは質が異なっていたが……完全に噛み裂かれ、その断面が露出している。
が、相手も怯む様子はない。先ほど背中を突き刺されたマナコが痛がるそぶりを見せなかったように、リズァーラーは痛みを感じない。体の欠損部位は時間経過次第で菌糸が再構築するゆえ、損傷お構いなしに戦闘を続けることは難しくない。
腕に噛みつき続けるハリコに対して、全身から金属片が突き出しているリズァーラーは幾度も刃を振り下ろす。
とはいえ、両腕が塞がれている今、振り下ろしているのは頭部から突き出した金属片である。姿勢に無理があるため、勢いはついていないが。
「ガルルル!グゥウウウ!」
「こいつっ!くたばれ!」
「ご自身が良くご存じでしょうに、私たちは簡単にくたばらないですよぉ。さておき、私は処刑すべき市民さんの確認に向かいたいのですが。」
「逃がすか!」
背に刺さった刃を抜き取るように離れようとしたマナコであったが、再び体内に角度を変えて刃を強く押し込まれる。マナコは背後で戦っているハリコに助勢しようにも、背中に無数の刃を突き立てられた姿勢で固定されていては満足に手も出せない。
一方、ハリコと戦っている謎のリズァーラーも、片腕をマナコの拘束に使い、別の腕をハリコに噛みつかれて動かせず、やはり身動きの取れない状態が続いていた。空いている脚で蹴りを入れようにも、完全に体に密着され組みつかれていては満足に動かせない。
が、その膠着状態が終わるのも時間の問題である。ボキリ、と鈍い音がハリコの噛みつく腕から聞こえる。
相手の腕内部の骨格を噛み折ったことを確信したハリコは、そのまま顔を激しく左右に揺すって食いちぎる体勢に入った。
「クソ……!」
「私を離してくれたら、あなたの腕を食いちぎるのもやめさせられますよ。リコくん、私の言う事ならちゃんと聞いてくれますので。」
「黙れ、統治者に飼い慣らされた雑菌どもの言に耳を貸すものか!」
相手は頑固に言い張ったものの、その声色には焦りが浮かびつつあった。
それは当然、ハリコとマナコが侵入してきたのとは別方向から聞こえてくる騒動に意識を取られていたためであった。
おそらく、暗闇の中での視覚補助を担当する相棒が、窓からの進入を試みるシェルとベスタを相手取っていたのだろう。が、そちらでの格闘は存外にあっさりと片付いたようであった。
「ゲホッ、ゲホ……あぁ、あ……」
年を取った男の咳き込む声が響き、その呼吸音が弱々しくなり、やがて途絶える。それが、今回処刑の対象として選ばれた市民の喉から出ているであろうことは、彼の護衛を務めていたリズァーラーたちでなければ知り得ない。
次に聞こえて来たのは、ベスタでもシェルでもない、少年の声だった。
「キャシー、任務は終了です。護衛対象が死亡しました、任務失敗です。」
まだ停電は続いていたため、その者の姿を見ることが出来たのはマナコとシェル、すなわち暗闇でも目が利く者たちだけである。
少年の言葉にかぶせるように、シェルは自分たちの仲間にも聞こえるよう状況説明を繰り返す。
「俺たちにとっちゃ、任務成功だ。処刑は完了した……さて、いろいろややこしいことになっているが、そろそろ停電も解除されるかな?」
シェルの言葉に応じるように、区画全体の工業用照明が点灯し、同時に室内にも明かりがともる。
噛みついた相手の腕を食いちぎろうとしてハリコが懸命に首を振り続けているのは変わらずであったが、当の相手は一点に目を向けたまま表情も固まっていた。
標的である市民は、シェルによって押し倒され、空気タンクを奪い去られて絶命している。
だが、キャシーと呼ばれたリズァーラーがより強い視線を注ぐ対象は別の場所にいた。
蹴破られた窓枠、廃材の欠片が散乱する床にて、少年の姿をした別のリズァーラーがベスタによって組み伏せられていたのだ。
「キャシー、僕たちが今考えるべきは、いかにして帰投するかの手段です。」
「帰れると思う?あなたたちがやったことを見逃すことは出来ない、市民生活管理局の任務執行妨害で連行する。」
ベスタは、少年の姿をしたリズァーラーを、より強く床に押しつけ、冷たく言い放った。