無法の間口へ、油断を連れて
今回の任務の目的地に与えられた、『セクター0』なる名は仮称である。
各居住区の性質ごとに大まかな区分が為され、番号が割り振られている地下都市。例えば『セクター6』は廃棄物処理場であり、上層街から投棄されるゴミの山から資源を取り出して生活する市民たちが集っている。
しかし、セクター0という居住区は公には存在しない。貧困層が暮らす下層街よりもさらに地下、人間が住まう事の想定されていない空間を慣例的にそう呼んでいるだけである。
「マナコ先輩は、セクター0に向かったことがおありなのですか?あの場所について、何かご存知の様子でしたが……。」
「いや、行ったことは無いですねぇ。けど、噂だけは聞いてますよぉ、随分と楽しそうなところらしいですからねぇ。」
任務通達を受け、常通りに排水管を経由して目的地へと向かうリズァーラーたち。黙々と足を進めるハリコの前では、マナコとヤキバがこれから向かう場所について話し合っていた。
セクター0は本来ならば地下における余剰空間、および万一に備えて最下層から地上へ脱出するための専用経路を備えた区画である。が、現状は来歴の知れぬ人間が数多く住み着き、他の居住区とは一線を画した様相を呈していた。
その象徴が、今回の処刑任務の現場となる『ブラックマーケット』である。
「そう言うヤキバさんも、今回の目的地について何か知ってるんですかぁ?」
「えぇ、ボンヤリと……行ったことがないはずの自分が、それを知っているのは随分と奇妙なことなのですが……。」
「そんなの、私たちリズァーラーにはよくあることですよぉ。人間さんの死体を引き継いでるわけですからねぇ。」
不可解を顔に貼り付けたままのヤキバへ、マナコは朗らかに答える。
死した人間の遺体に菌糸が繁殖して生まれるリズァーラーは、元となった人間が生前に有していた記憶をおぼろげにも断片的に引き継いでいることがある。
ヤキバの身体は、生前は食糧生産プラントの責任者をしていた人間のものである。彼の中に、地下都市の他セクターについての記憶がある程度残されていることには、一応の道理があった。
「セクター0は、管理局による統治が及びづらい地域だと、私の記憶にはあります。しかし無法地帯というわけではなく、そこに住まう者たちが独自に築き上げた掟が布かれている……いわば、裏の社会とも言うべき状況となっています。」
「詳しいんですねぇ、ヤキバさん。面白そうな場所だとしか知らなかった私とは、大違いですよぉ。他にどんなことを知ってるんですかぁ?」
興味津々な声色でマナコは続きをせがむも、ヤキバは首を横に振って返す。
「いえ、これ以上のことは何も……自分の中に眠っている記憶が、全て掘り起こされたわけではありませんし。」
「そうですかぁ。」
一瞬にして興味を失ったかのように、マナコはその一言だけで済ませた。
彼女の表情は見えない。例によって、人間の通行が想定されていない排水管の内部には一切の照明が無く、完全なる暗闇によって支配されている。
僅かな外光も差し込まない環境で周囲を見ることができるのは、変異した眼球によって特殊な視力を有するマナコだけである。ハリコはいつも通り、彼女に手を引っぱられて目的地への道のりを歩んでいる。
リズァーラーとして活動し始めてから日の浅いヤキバもまた、マナコによって誘導されなければ暗闇の中を歩くことはできない様子であった。
「ところでヤキバさん、少しは目が慣れましたかぁ?ボンヤリとでも、周囲が見えてきたりしてませんかねぇ?」
「いえ、僅かな光でもあれば、暗がりに目が慣れることもあるかもしれませんが……こうも完全に光の無い状態では、まるで視力が利きません。」
「なるほどぉ。やっぱ、ヤキバさんもリコくんと同じで、噛みつく能力が発達したタイプのリズァーラーみたいですねぇ。」
「ウゥー。」
ハリコも同意を示す唸り声を上げる。完全に言葉を発せないほどに口が大きく変異しているハリコほどではないが、確かにヤキバの口からは鋭利かつ大型に変化した歯が覗いていた。
彼が常時、口を半開きの状態にしているのも、その大型化した歯のために口を閉めることが出来ないためらしかった。
「すみません、何かにつけて中途半端な自分で……お役に立てるのか、今から不安です。」
「いやいやぁ、それぞれに役目を果たすメンバーが居ればいいんですよぉ。暗闇で先導することは私にお任せですよぉ。」
そう言いながらもマナコの口調は誇らしげであった。
これまで出会ってきた他のリズァーラーを思い返すに、地下空間の闇に適応した特殊な視力を有する者はほぼ居ない。強いて挙げるならば、キャシーとコンビを組んでいるウィーパぐらいのものである。
完全な暗闇でも周囲の様子を問題なく視認できる能力が、リズァーラーの中でも稀有なものであることは間違いなかった。
「ほら、言ってる間に到着ですよぉ、セクター0です。」
マナコにそう告げられても、ハリコとヤキバは変わらず自分たちを包み込んでいる暗闇が見えるばかりである。
が、狭い排水管の中で淀むばかりであった空気が、徐々に動きつつある様は感じられた。やがて微かに遠方から人間たちの立てる音や声が聞こえ始め、カビた壁面で弱々しく反射する光がようやく見え始める。
排水管の出口を常通り塞いでいる鉄格子を押し開けて、踏み出したセクター0の光景は、一見他の居住区と区別し難いものであった。
「なんか、拍子抜けですねぇ。廃材で建てられた小屋の群れ、剥き出しの岩盤の壁面。地下都市の下層ならどこでも見れるものばかりです。」
「ウゥ。」
「ですが、一般市民には気安く近寄れない、異質な居住区であることには違いありません。用心して進みましょう。」
のんきな声を上げているハリコとマナコに対し、ヤキバは警告する。とはいえリズァーラーの身では、この場所に張り詰めた独特の緊張感を感じ取ることは出来なかった。
限りある命を有する人間であればこそ、セクター0、『ブラックマーケット』の迷宮に占められた空間を前にして、自らの生命を守ろうとする本能的な警鐘が鳴るのだ。
廃材の小屋が寄り集まった集落は、瓦礫で組み上げられた要塞のごとき外観であり、路地は人がようやくすれ違える程度に狭く、すぐに折れ曲がって視界も見通しが利かない。
一度中へ足を踏み入れた者が再び出てこられる保証など、無いようにも思われた。
「ここに住んでいる方々は、お仕事に向かうたびに迷子にならないんでしょうかねぇ。そもそも、どんなお仕事をしているのか、パッと見では分かりませんけどぉ。」
「ウン。」
しかし、やはり変わらずノンビリと構えたマナコ、そして疑う事を知らぬように彼女に付き従うハリコは、迷わずブラックマーケットへと踏み込もうとする。
ヤキバは慌てて両名を引き留めた。
「お、お待ちを。中に入って、互いにはぐれてしまっては任務の遂行もままならなくなります。まずは各々の行動目的を明確にしておくべきです。」
「目的って、標的を処刑することですよぉ。通達された任務内容、もう忘れたんですかぁ?」
「ウゥー?」
「そういう問題ではなくって、ですね……。」
あっけらかんと返答するマナコおよびハリコを前にして、ヤキバは早くも自らの役割を見出しつつあった。
この先輩2名に任せていては、真っ当に処刑任務を進めることは出来ないだろう。未だ彼が直接会った事はない、シェルやベスタが担っていた苦労についても、十分に推し量れるものであった。
ヤキバは相手に伝わりやすい物言いを脳内でまとめてから、改めて口を開く。
「今回の処刑標的は、『危険商品を購入した市民』とのことです。個人名も、住処も明かされていません。すなわち、標的を見つけ出す過程も、自分たちに委ねられているわけです。」
「ですねぇ。それは前までの任務でも同じでしたよぉ。現地に行ってから、周囲の方々に聞いてまわって、ようやく標的を見つけたんですぅ。ねー、リコくん。」
「ウー。」
「そう……ですか。」
ヤキバは頭を掻きながら、この先輩二人を相手することの厄介さを実感していた。
そのような手段で特定された標的が、本来想定された処刑対象ではない可能性について考えないのだろうか。そもそも、聞き込みを行った相手が当の処刑標的自身であった場合、自分以外の別人へと誘導することは十分にあり得るではないか。また、標的の処刑を望まぬ人物が相手だった場合、処刑任務自体を妨害されかねない。
実際、前回のエネルギー供給プラントでは危うく管理局の想定になかった人間を処刑しかけたハリコとマナコであったが、考え方を改めるつもりはないらしかった。
「手当たり次第に聞いてまわるのは、無しにしましょう。今回は特に、場所が場所です。管理局に所属しているという肩書きも、我々を守る役には立ちません。」
「えぇー、それじゃあどうすれば良いんでしょぉ?」
「ウゥ゛?」
ヤキバは、管理官から任務内容を通達された際に渡された指示書を取り出す。
一番の新米リズァーラーである彼がそれを持たされていることは、本来あり得るべきことではなかったが、今回のマナコは逸る気持ちと共に駆けだしていった結果、その指示書を置き忘れていたのである。
「今、手元にある手がかりは、この危険商品の外観のみです。調査を行う場合は、これをもとに現地の商店を調べてまわることが最良かと考えます。」
「やっぱり、聞き込みすることに違いはないじゃありませんかぁ。この写真を掲げて、大勢の人に見えるようにしながら探し回るのが一番早いんじゃないですかぁ?」
「それだけは、絶対にやらないでください。聞き込みを行うのはあくまで、店舗を経営している人物に対してのみです……。」
人間を疑うこと、人間を警戒することを知らぬ動物のようなまなざしを返すマナコを前に、ヤキバは初めての溜息を吐いた。




