処刑公務は疎まれて
地下都市の廃棄物処理エリアは、本来居住区としての想定は無かったものの、実際のところは数多くの市民が住み着いている。
言わずもがな、富裕層の街から投棄される大量のゴミが宝の山であったため、それを目当てに下層の住民たちは集まってくるのだ。本来は廃棄物によって埋め立てられる前提で作られた空間ゆえ、日々押し寄せてくるゴミの山を処理し続ければ自分たちの居住空間を広くとれるのも魅力であった。
しかし、いかに宝の山とはいえ、有用な資源として再利用できる品は限られている。無制限に住民が押し寄せ、手当たり次第に欲しいものを抜き取っていては、個々人の“収益”量は不確実になってしまう。
そのため、廃棄物処理エリアでの人の出入りには地元住民の目が光らされており、彼らを取りまとめる住民会の影響力も強かった。
「今の時間帯、ほとんどの方がゴミ山の方に出勤されてると思ったんですけれど。」
「ウー。」
「やっぱり、街の監視役の方たちは残っておいでなんですねぇ。」
唸り声しか返さないハリコに対し、喋り続けるマナコはキョロキョロと周囲を見渡している。
廃材の寄せ集めで建てられた家々の隙間から、この区画を往来する存在へと向けられる視線はいくつもあった。病気、あるいは怪我によって、満足に動けない者たちだ。
上層の街とは異なり、満足に医療処置も受けられない住民たち。廃棄物処理エリアから資源を回収する仕事の中では、ゴミ山の崩落に巻き込まれての事故が相次ぐ。ただ転んで擦り傷を負うことにすら、衛生的とは言えない環境ゆえ感染症のリスクがある。
この区画に住まい続けることを住民会から認められている彼らだからこそ、働けなくなった後も街の監視役として生きる道が与えられているのだ。とはいえ、その寿命が決して長くはないことは、老いた住民が存在しないことからも窺い知れた。
「呼び止められはしませんねぇ。さすがに監視役の方たちは、私たちのことをご存じのようですね。」
「ウゥ。」
こちらに監視の目を向け続ける者の一人に向けて、マナコは手を振ってみせるも、相手は不機嫌そうに視線を逸らしたのみであった。
人間の居住区内で活動する際、リズァーラーたちは一様に薄汚れた作業服を身につける。人間とはかけ離れた容姿を持つ者は、その部分を隠すようにして目立ちすぎぬように努めている。
頭部が大きく欠損しているハリコは、頭全体や口元を覆うようにフードを被っている。マナコの場合は、器具を装着して見開き続けている目の部分を半ば隠すように前髪を伸ばしている。
が、その髪型自体が、少なくともこの区画で生活する人間ではないことを間接的に示していた。
「そりゃあ、こんなに髪の毛を伸ばしてる人、ここらに居るはずがありませんし。」
地下の生活空間において清潔な水は貴重な資源であり、稀有な地下水源は軒並み富裕層の居住区で確保されてしまっている。汚染された水を浄化し、消毒したものは当然ながら有料であり、手に入れた際に優先される用途は飲料水としてであった。
下層の街で他に得られるのは清潔とは言えない水ばかりであり、労働のたびに汗や皮脂で汚れていく頭を逐一洗髪できるほどの余分な水はない。必然的に、住民たちの容姿は軒並み髪を短く刈り上げたものとなった。
富裕層においては、自分が日々髪や身体を清められるほどに潤沢な水を消費出来る生活をしていることを示すため、髪を伸ばすことが社会的ステータスの一種ともなっていた。が、彼らはそもそも廃棄物処理エリアに来るはずもなく、薄汚れた作業服など着ることはない。
「そういやリコくん、前の任務で服についちゃった返り血、そのままですねぇ。」
「ウー。」
「新しい作業服を管理官に頼んでも、なかなか申請が通りませんね。」
実際のところ、死体に菌糸が取りついて活動しているのがリズァーラーであるため、生前の頭髪は基本的にほぼ抜け落ちている。
彼らの頭部から生えているのは菌糸そのものであり、人間の髪の毛とは性質の異なるものであった。
しかしある程度形を整えれば、頭髪とは殆ど外観上の区別はつかない。地下都市での活動にて衆目を引きすぎないよう、特に顔面に変異をきたしたリズァーラーたちが見る者に不快感を与えぬように、顔の一部が隠れるまでに菌糸を髪のごとく伸ばすことは許可されていた。
だが、同じく髪を伸ばしている富裕層との徹底的な差別化のため、人間よりも下の存在であるリズァーラーたちには清潔な服の着用が認められることなど決して無かった。
「着きましたよ、住民会の集会所です。」
「ウ゛。」
「会長さん、おられるでしょうか。ごめんくださぁい!」
街の随所から突き刺さる視線を背後から感じながらも、ハリコとマナコは目的の場所に到着した。
このエリアの状況を詳細に把握し、廃棄物の山という資源の利用を管理するため、住民会は地元住民たちによって結成されている。この区画を利用する人数を制限し、資源の勝手な持ち出しを阻止するうえでも、地域管理が厳格に為されているのは言うまでもない。
他所からの侵入者や望まぬ来訪者があれば、力尽くで立ち退かせる必要もある。
やせ細った病人や怪我人とは対照的な外見、屈強な住民たちが集会所の出入り口にはたむろしていた。呼び出しが掛かればすぐにでも行動できるよう、新鮮な空気の供給口間近に陣取っている。地下社会では呼吸に適した清潔な空気を得やすい場所にほど、立場の強い者たちが集まっているのだ。
マナコが朗らかに挨拶しても、彼らはチラと一瞥をくれるばかりで返事などない。ここにリズァーラーたちが訪れたということは、市民生活管理局の意に従っての任務であることが明確だったためだ。
上が決めた事項の執行を妨害すれば、自分たちのライフライン、すなわち空気や水を止められてしまう。住民たちにとっては不愉快なリズァーラーの訪問も、拒むことは出来ない。
「失礼しますよぉ。」
そう言いながら彼らの傍を通り抜け、集会所の中へ入っていくマナコの足元に、唾が吐き捨てられた以外は全く相手にされることなどなかった。
集会所の内部は、備え付けられた照明ばかりが眩しいだけで、殺風景に机や棚が置かれた室内は余計に薄暗く感じられた。もとより居住用としては設計されていない区画、暗所を過剰な光量で照らしだす工業用の照明器具しか存在しないのも当然のことではある。
明暗のコントラストをやたらとくっきり映し出す照明の下、席について書類に目を通している住民会会長の顔の陰影も深く見えた。
「お邪魔いたします!市民生活管理局より参りました、当地域における任務の執行を通達させていただきます!」
「……。」
マナコがはきはきと必要事項を述べても、会長は全く返事もせず、本日分の廃棄物から回収された資源リストをチェックする作業を続けているばかりである。
自分たちが管理し流通させるべき資源を守り、この区画に住まう者たちの生活を保障するだけでなく、コミュニティを運営していくうえで相応しからぬ住民が居た場合は立ち退きを迫ることも役目である。その手腕を求められることもさることながら、外観上も威圧感のある者が会長に選びだされるのは必然だった。
集会所の入り口で用心棒のごとく集まっていた者たちに輪をかけて、住民会会長は大柄な体格であった。彼も長きにわたって廃棄物エリアでの労働に従事してきたのだろう、筋肉の盛り上がった肩の太さは、小柄なマナコの胴体の太さを超えるかと思われるほどだ。
その表面に残る傷跡や無数の皺は、彼がこの下層街の困苦に耐えながらも相応の年月を生き抜いてきたことの証でもあった。
「今回の任務対象となる方の移動を止めていただいているとのこと、協力的な措置に感謝いたします!」
「……俺が会いに行くから、家から出ないよう伝えている。」
ようやく口を開いた住民会会長の声は、ごく静かな調子であった。一言一言に、聞くものの腹の底を震わせるような重低音が響いていたが。
彼が仮に大声を出すことがあれば、間近に居る者たちはその音圧に叩かれてあっさり気絶するであろうとも思われた。
相対しているハリコが目に緊張の色を浮かべている隣で、マナコは臆することなく朗らかな調子で応答を続けている。彼女の中には、そもそも感情の区別というものが残っているかどうかすら怪しいものであったが。
「ご協力ありがとうございます!既にご存じかと思いますが、私どもの任務中には一時的な停電が発生いたします、その間は住民の皆様に屋内へ留まるようお声がけを願います!」
「分かってる……仕事時間中にやるこたねぇだろ……。」
愚痴こそ返されたものの、地下都市における下層民のコミュニティの中でも、この会長が率いる集団がリズァーラーたちに協力的であることは違いなかった。
表立って市民生活管理局に反抗すれば生きづらくなるだけであることは、あらゆる住民が理解している。が、住民の処刑を担うリズァーラーを疎む感情は根強く、明確ではない形での妨害が為されることは珍しくなかった。
秘密裏に処刑の標的となった市民を逃がしたり、事故を装ってリズァーラーの頭上から廃材を落としたり。この区画と違って住民の自治が厳密に為されていないエリアに至っては、そもそも生活管理局の権限など気に留めぬ者たちによって、リズァーラーへの明確な攻撃が行われることもある。
そんな中でも廃棄物処理エリアの住民会が協力的であったのは、彼らもまた下層街の中では裕福な部類に入っていたためでもあった。廃品から回収した資源を売却して得た利益で、上層街から清潔な空気や水を購入するだけの余裕があったのだ。
逆らうことで失うものが多い場合、統治側の決定事項をないがしろには出来ない。
「ところで、会長さんはご存じですか?今回の標的さん、どうして処刑されることになったのか。私たちも知らされてないんですよねぇ。」
「……。」
必要な通達事項を述べ終えた後、マナコは純粋な疑問を会長へとぶつける。
何故、この街に住まう者の一人が処刑されなければならないのか。彼が罪人として認定されるに至った経緯は何か。それは同じくハリコも気にしていたところであり、この一帯の住民たちの面倒を見ている住民会の会長となれば知らぬはずはない。
しかし、住民会の会長は忌々しいリズァーラーと言葉を交わす気はそれ以上無いらしかった。
彼からしてみれば面倒を見ていた住民の一人を殺しに来た存在、無駄話をして居座ろうとするリズァーラーを集会所から蹴り出さずにいるだけでもまだ温情であったかもしれない。
「……ま、知る必要はない、ですかね!では、お邪魔いたしました!行きましょ、リコくん。」
「ウ、ウヴ。」
ハリコも言葉を発せない口をモゴモゴと動かして、別れの挨拶のつもりの唸り声を残す。マナコに腕を引かれ、こちらに邪険な視線を向けて来る住民たちの間を通り抜けて、集会所から外へと出ていく。
比較的新鮮な空気に満たされていた建物から出れば、この区画の空気はやはり濁っていることが明確に感じられた。
上層街から投棄されるゴミは、ありとあらゆる類の埃、粉塵を巻き上げて空中に漂わせているのだ。
「さぁて、管理官から頂いた区画図によると、標的のお宅は街の外れにあるようですね。」
「ウゥ。」
マナコは便宜上“街の外れ”と述べたが、廃棄物処理のために掘削された区画の隅、と表現した方が正確であった。
ゴミで埋め尽くされる予定の空間であり、居住者の安全性などは考慮されていない区画において、壁面は常に崩落の危険性があった。資源を回収できるゴミ山からも遠く、そのような場所に住まうのは殆どが怪我で働けなくなった者ばかりだった。
最低限の水や食料しか与えられないものの、先ほどの住民会が見回り、面倒を見ているおかげで彼らは生き延びている。もはや死にゆくのを待つような状態の住民、その一人がわざわざ処刑対象に選びだされたことが、また不可解な状況ではあった。
二人は標的が潜伏している付近まで来る。照明の光も遠方から届くものばかり、常に埃っぽい空気のフィルターが掛かっている一帯は、延々と暗がりの中に沈み続ける廃材の家並みであった。
「そりゃあ、逃げる心配もありませんよね。逃げ出すほどの体力なんて残ってないかもしれませんし。」
「ウー。」
「標的の監視を担当していただいてるセカンドチームの皆さん、ここらで合流できるはずなんですが。」
周囲を見回しながらマナコが疑問を口にした次の瞬間、彼女は背後から勢いよく肩を叩かれて小さく飛び上がる。
リズァーラーを敵視する住民からの襲撃か、とハリコも警戒して振り返るも、そこにあったのは見知った顔であった。
「よっ!相変わらずボサッとしてるねぇ、お二人さん!」
「……ウ。」
「わっ、シェルさん!何でここにいるんですか、標的の監視、ちゃんとやってるんですかぁ?」
マナコと同じく、頭部の菌糸を伸ばした前髪のごとく垂らし、目のあたりを隠しているリズァーラー。シェルの顔は、鼻から上の部分が大きく削がれて存在していない。
彼が周囲の様子を探る場合、その奥に真っ暗な空間を有する前髪の隙間から、目玉が覗く。普通の人間とは異なる視力を発揮するシェルは、これまたマナコ同様にいかなる暗闇でも明瞭な視界を有することが出来た。
その能力を生かし、シェルは処刑となる標的を監視する任を負って、セカンドチームの一員となっていたはずだ。マナコが変わらず笑顔のまま、彼女にしては真剣に投げかけた問いに対しても、シェルはヘラヘラと笑いながら返す。
「だいじょーぶだいじょーぶ、監視ならベスタにやらせてる。俺なんかよりも真面目な奴に任せてた方が、確実でしょ。」
「いやいや、監視するのはシェルさんの役割でしょうに!ベスタさんはリコくんと同じく、逃げる標的に噛みつくのがお仕事なんですから。」
「停電が起きてないうちは、誰だって普通に見えるだろ?俺は、俺だからこそ能力を活かせる状況じゃなきゃ、働きたくないの。」
「それじゃー、屁理屈をこねる仕事とか向いてるんじゃないですかね!」
互いに減らず口の応酬を続けながら、シェルとマナコは朗らかに笑いあっている。
「……。」
視力に変異をきたしたリズァーラーが、例外なく底抜けの明るさを有するという法則があるわけではない。しかし、このリズァーラーたちのチームにおけるムードメーカーを担っているのが、シェルとマナコの両名であることは確かである。
対照的に、そもそも満足に喋ることの出来ないハリコは二人の口数の多さに飲まれたように目を丸くして傍らに突っ立っていた。ひとしきり喋った後、ふと我に返るようにしてマナコはシェルに問う。
「こんなうるさくしちゃって、標的に聞こえちゃってません?逃げられちゃいますよ。」
「逃げれるんなら、とっくの昔に逃げ出してるって。それに何か動きがあったら、ベスタが監視場所から飛び出して追いかけてるから。」
「……。」
シェルは、真横にある無人と思われた廃材の小屋の屋根の上を指さす。
先ほどまでそこには瓦礫が乗っているばかりだと思われていたが、よく見てみれば暗がりの中で身じろぎひとつせず、標的の潜伏場所へと視線を向け続けているリズァーラーが横たわっていた。