選択しなかったのだから、措置は無差別に
警備兵たちと全く同じ装備を全身に着けたハリコは、まず歩きに慣れることに専念する必要があった。
食糧生産プラントの責任者を処刑する任務の前段階として、食糧保管庫へ潜入するため、警備兵たちの協力を得て彼らと同じ外見になれたまでは良い。が、総重量がかなりのものになる重装備に振り回され、ふらついていてはせっかくの扮装も意味が無い。
自らの傍らを見れば、マナコは器用にも重みの増した手足を動かすコツをつかんだ様子であった。
「えへへぇ、リコくんだけヨチヨチ歩きで可愛いですよぉ、へへぇ。」
「ウゥー……。」
フルフェイスのマスク越しとはいえ、いつも浮かべているニタニタ笑いを容易に想像できる声をマナコが上げ、ハリコは不満げな唸り声を返す。
そんな二人のやり取りを刃物で切って断つように、低い声が飛んだ。
「喋るな。」
緊張感とは無縁のマナコにも、流石に口を噤ませたのは、警備隊長の声である。
警備兵たちは全員が同じ格好をし、顔を空気タンクに接続されたマスクで覆っているため外見上の区別はつかない。が、彼らの隊長が見せる態度は、先ほどこの装備品を貸してくれた隊員とは明らかに異なっていた。
たった一言の警告、それを聞き入れなければ後は無い、との冷たさを存分に含ませた厳格な命令だった。隊長は人間であり、ハリコとマナコのようなリズァーラーに言葉を尽くす必要のない存在であることにも間違いは無かった。
「出発。」
心配そうにこちらを見つめているシェルとベスタ、そして装備品を脱いで下着姿になっている隊員、彼らを見張る警備兵を幾名か排水管出口へ残し、警備の巡回部隊はハリコとマナコを連れて歩き始める。
徐々に歩く動作にも慣れつつあったハリコは、次にマスク越しの視界の不自然さにも慣れる必要があった。
照明が設置されている近くでは、普段から見えている光景に近い視界を得られていたが、周囲の暗さが増すほどに視野内の色彩は失われ、代わりに明暗の差が強調されたような視界へと変わっていく。すなわち、色は判別できないまでも暗がりでハッキリとものを見ることが出来るのだ。
リズァーラーが主たる活動環境とする暗闇においても、警備兵たちが行動できるのはこのマスクの恩恵あってのことらしかった。この物資の限られた地下都市で、これほどの性能を有する装備品をいかにして生産したのか、見当もつかなかったが。
「道を空けろ。」
隊長が声を上げた先では、この区画に到着して初めて目にする市民の姿があった。
生産プラントの住民たちは食糧を自分たちに必要な分をしっかり確保している、という噂に間違いは無いらしく、下層街の貧困な市民と比べれば明らかに栄養状態は良好であった。彼らの作業服に蛍光色の反射板がいくつも貼り付けられているのは、監視されやすくなる措置であろう。
警備兵たちの巡回ルート上から、先ほどまで手入れしていたのだろう作業器具を片付ける市民。警備兵たちは黙って待っていただけであったが、普段から監視の視線を向け続けてくる相手を間近にして、市民の表情はこわばっていた。
巡回から戻ってきた警備部隊を出迎えるように、市民の近くで歩哨に立っていた警備兵が両足を揃えて姿勢を正し、深く頷く。身動きのとりづらい狭所の多い地下都市において、警備隊同士が交わす無言の挨拶である。
隊長が軽く頷き返す頭上では、空中を渡る通路上で他の警備兵も挨拶を返していた。見回せば、この区画で働く市民たちの全てを監視できるあらゆる位置に、警備兵は配置されていた。
「巡回E班06、帰還。装備消毒ののち施設内の警備任務に戻る。」
食糧生産プラントは、無機質な白壁に覆われた施設であった。
建物外部の市民たちは主に作業器具の点検や修理の作業に追われていた。肝心の食糧生産、作物の栽培は清潔な施設内部で行われているのだろう。
巡回班の隊長が扉横の通話口に向かって声を発すると、扉が重々しい音と共に開く。内部には複数名の警備兵が待ち構えており、入ってきた相手を確認した彼らもまた足を揃えて頷く挨拶を見せた。
至る所に配置される警備兵の量は、この施設がいかに厳重に管理されているかを物語っていた。
「お前たちは、こっちだ。」
行動を共にしていた警備兵の一部が離れて行くのを見て、そちらについて行こうとしたハリコとマナコが呼び止められる。
警備部隊の隊長は、通路の片隅に備えられた、浅い水槽の中に足を踏み入れていた。薬剤が混ぜられた水が張られているのか、色は薄い白に濁っている。
既に水槽の縁に座り込んでいた隊長は、硬い毛のブラシで丹念にブーツの側面や靴底を擦り洗っていた。
「ここでブーツの消毒をしろ。」
人間の衛生観念に普段触れることの無いハリコとマナコには奇妙な動作のように見えたが、食品を扱う設備を警備する以上は不可欠な行為であった。
見様見真似で隊長の行動をなぞり、ハリコもマナコも消毒剤入りの水槽に踏み入り、ブラシでブーツを擦った。菌類であるリズァーラーの地肌に消毒剤が付着すれば、間違いなく身体にダメージが入るため、シェルやベスタがもしこの光景を見ていたら青ざめただろう。
その後、細かい格子状で床下からの通気性を確保した金属床を歩き、隊長はハリコとマナコと共に狭苦しい小部屋へ入った。
「じっとしてろ。」
その小部屋の壁面には無数の丸い穴が開いていたが、3名が入ったのを確認して扉がピタリと閉まった後、強烈な風がその穴から吹き付けられる。
体の表面に付着した塵や埃を吹き飛ばし、床下へ吸い込むための清浄装置であった。頭上からは青紫色の光が照射されており、こちらも殺菌のための措置である。
これまた自身が菌類であることを自覚するリズァーラーであれば生きた心地のしない環境であったが、何も分かっていないのが幸いし、ハリコとマナコはマスクの下でポカンとした表情のまま、この殺菌装置の騒音に身を任せていた。
暫くの後に装置は止まり、入ってきたのと反対側の扉が静かに開く。
「来い。」
どこに向かう、とも具体的には言わず、隊長は最低限の指示だけを口にして施設の廊下へと出ていく。
食糧生産プラントの施設内は、明るく照らし出されている殺風景な廊下が延びている様だけは、以前訪問したウィトゥスの研究施設に似ていた。床面が薄い緑色であり、設備内の洗浄に用いた水を流すための排水溝が備えられている点は違っていたが。
ハリコとマナコは律儀に黙ったまま、警備兵の隊長について歩く。部屋名の記載も無い扉が延々と並ぶ施設内は、確かに何の案内も無ければたちまち迷ってしまうだろう。天井に並ぶ照明の形も全て同じであり、目印になりそうなオブジェクトはほぼ置かれていない。
目標の潜入先は、食糧庫である。設備内で働かされている者たちは、自由に歩き回ることを禁じられているのだろう。廊下では巡回する警備兵の足音が響くばかりであった。
が、しばらく歩いていたハリコとマナコの前で、扉を開いて唐突に姿を現した一人の男は明らかに警備兵とは異なる格好であった。上等そうなスーツを身に纏い、蓄えた顎髭の形も整え、時間をかけてセットしたのだろうヘアスタイルを戴いている。
せかせかと足早に歩み出てきた彼は廊下を見回している。隊長は既に足を止めており、装備品の重さに慣れきっていないハリコとマナコの不自然な歩き方が目立たぬように制止していた。
案の定、警備兵たちの姿を見つけた男は、口早に良く響く声で話しかけてきた。
「あぁ、キミ!間もなく管理局の職員様が食糧生産プラントの視察においでになる頃だ、見学ルートの警備は万全だろうね?」
「はっ、全隊員、警備計画通りに配置しております。」
「今回の視察では多少のヘマもすべきではないからね。今まさに建設が進んでる上層街の新規居住区、あそこの住民の分も食糧増産が進んでいるとアピールしなきゃならない。」
上層街の新規居住区というのは、以前の任務でハリコ達のチームが赴いた現場のことだ。
掘削作業の安全確保が不足していると主張していた現場監督も処刑され、現在は順調に作業が進んでいることと思われる。住民が増えることも見越して、食糧の生産体制を管理局職員が視察しに来ることになっているのだろう。
とはいえ、このタイミングで管理局からの視察が行われることには、処刑の前段階の工作に気づかれづらくする意図があるとも考えられた。
責任者が多忙であれば、多少の違和感にも気づかれることは無い。実際に、目の前の男は早口のままに次々と警備隊長へ言葉を投げていた。
「そこでだね、キミに頼みがあるんだが、私についてきてくれんかね?あちらは大勢の護衛を引き連れてくるだろうが、このプラントの責任者である私が単独で出迎えというのは、ね、いささかみすぼらしいじゃないか。」
この提案を前にして、さすがのハリコとマナコもそれに従うことの不都合に気づいた。
食糧生産プラントの責任者、すなわち今回の処刑標的が目の前にいる男であることは間違いない。処刑標的のすぐ傍に居られるとはいえ、今回は処刑前のお膳立てとして市民の数を彼に知られず減らさなければならないのだ。食糧庫に向かい、託された薬品を食糧に混ぜ込むことが最初の目標である。
とはいえ声を発することを禁じられている両名には、どうとも対処のしようがなかった。代わりに、警備隊長が返答する。
「我々の現在の任務は、見学ルート外の設備巡回となっております。あなたの護衛ではありません。」
「まぁまぁ、硬いことを言わずにさ。出迎えの時だけでいいんだ、私の顔を立てると思って、さ。」
「警備部隊は市民生活管理局の管轄下にあります。プラント責任者様といえど、我々に対する命令権は有しておられません。」
「……ったく、ちょっとぐらい融通を利かせてくれたっていいだろうに……」
男はブツブツと文句を残し、しかしこんな場所で無駄な時間を過ごしている場合ではない、とばかりにセカセカと歩み去っていった。
全ての警備兵が管理局から派遣されており、現地では命令を下す立場の者が居ないことは、今回のような潜入任務をも容易にしていた。あるいは管理局は、こういった工作を可能にするため、各居住区に警備部隊を派遣しているのではないかとも考えられた。
食糧生産プラントの責任者がその場から去っていったのを確認し、警備隊長は再び無言のままに歩き出す。目指す食糧庫には、間もなく到着した。
もちろん、その扉にも『食糧庫』などと案内板が貼ってあることはない。他の部屋や区画入り口と何ら変わりのない、無機質な扉だけである。仮にこの施設へ何の案内も無く侵入していたら、目的の場所へ到着するのは困難を極めただろう。
「ここだ。」
隊長はその一言だけを呟き、自身は入り口を見張るように扉の横で直立不動の姿勢を取る。
ハリコとマナコは相変わらず、声を発してはならないという命令を守って無言のままであったが、互いにマスク越しの顔を見合わせる。とはいえ、ここから先は現地での命令を待っていても仕方ない。警備隊長もまた、具体的に指示内容を口にするわけにはいかないだろう。
一応、先ほど見真似た警備兵同士の挨拶のように隊長に小さく頷いてから食糧庫の内部へと入っていった。
食糧庫内はひんやりとした空気で満たされ、薄暗い照明だけが柔らかな光を注いでいる。内部はかなり奥まで広がっており、天井近くまで並んだ棚に、所せましと直方体のコンテナが詰め込まれている。
入り口の扉を閉めた後、マナコはその目で暗い食糧庫内を見渡し、誰も居ないことを確認してからようやく口を開いた。
「じゃあ、さっそくあのお薬を食糧に垂らして回りましょうかねぇ。」
「ウン。」
「しかし、一滴ずつでいいとしても、この倉庫の食糧全部には無理ですねぇ。どれを選んで、薬品を混ぜ込めばいいんでしょうか。」
たしかに、小瓶に収められている薬品の量では、食糧庫の全ての食品に細工するには到底足りない。
しばらく食糧庫内を歩き回りつつ見回していた2人であったが、ある物に気づいたハリコが唸り声をあげ、マナコの腕を掴んだ。
「ウー。」
「どうしたんです?リコくん。そちらに何が……。」
ハリコが指さした先には、粗末な布袋で個装されている食糧が数多並べられているテーブルであった。
袋の口から覗いているのは、束となったキノコ類の頭、そして僅かな野菜の生白い色をした茎である。コンテナにまとめて詰め込まれているわけではなく、一人分ごとにまとめてあるあたり、各家庭へ配給するための準備が済まされた食糧であると思われた。
「なるほどぉ、あれに薬品を垂らせばよさげですねぇ。すぐに効果が出れば、それだけすみやかに処刑へ移れるってわけです。」
「ウン。」
ポケットから薬品の小瓶を取り出したマナコは、迷わず内容物を食糧の上へと一滴一滴垂らし始めた。ハリコがその後について歩き、個装されている食品全体に薬品が馴染むよう軽く揺さぶっていく。
これを口にした市民が二度と目覚めぬ眠りにつくことは知っていたが、一切の躊躇なくこの措置を進められるのも、この2人がリズァーラーたる所以であった。




