手綱を取り得るは御上の者たちのみ
マナコの体内を別のリズァーラーと菌糸で接続する実験、およびハリコの頭部を型取りして標本を提供する作業を終え、ウィトゥスの研究施設から帰ることとなった2人。
その見送りに警備兵が付き添うのは当然の事であったが、老科学者ウィトゥス自身もまたついて行きたいと申し出たのは意外な事であった。
「私たち、パイプラインが通ってる管理設備を抜けて下層街の排水管へ帰るだけですよぉ?道中、何も面白い所に寄ってく予定はないんですけどぉ。」
「ウゥー。」
マナコが多少の当惑の色を浮かべて言い、ハリコも同調するように唸り声を上げる。
が、ウィトゥスは彼自身を護衛する警備兵に囲まれながら、既に管理設備へと降りる梯子へ手を掛けていた。
「いやいや、私はキミたち自体に興味があるのだ。純粋なリズァーラーに触れられる機会は得難い、僅かでも長く、観察及び聴取の時間を取りたいのだ。」
老いた体でありながら、研究施設の中で精力的に実験室の間を歩き回っているおかげか、管理設備の長い廊下を進む間もウィトゥスの足取りはしっかりしたものであった。
当然、マナコとハリコは彼からの質問攻めに遭い、この疲れを知らぬ老人の口からよどみなく言葉があふれ出てくる様には舌を巻くほかに無かった。
「そうだ、それからキミ、キミはどんな暗闇でも見通すことが出来るのだよな?」
やはりリズァーラーの名前など覚える気が無いのか、ウィトゥスは名を呼ぶ代わりにマナコを指さして尋ねる。
人間から無視され邪険に扱われることが殆どのリズァーラーにとっては、科学者のようにこちらに興味を抱いてくれる存在の方が稀有であり、マナコは快く返答していた。
「はいぃ、罪人を処刑する際には、行動を制限するために停電を起こして真っ暗闇にしますからねぇ。その時には必須の能力ですよぉ。」
「暗闇の中では、どのように見えるのだ?人間はごく僅かな光が残された闇であれば、そのうち目を慣らして周囲が見えるようになる……しかし完全に光が差し込まない状況では、また異なるメカニズムを要すると思われるのだが。」
「えぇとぉ、何と言ったら良いですかねぇ……その、明るさと暗さの区別がつかないんですよぉ、私。」
「ほう。光が物体の表面で反射されることによって色や形状を認識している、一般的な生物の視覚とは全く異なるのだろうか。」
マナコの特殊な視力については、今まで彼女は偶に相棒のハリコへと語ることがあれど、ハリコは科学者ほどの洞察力など有するはずもない。
話を聞かされても曖昧な唸り声を返すばかりのハリコとは対照的に、ウィトゥスは顎髭を擦りながら猛烈な勢いで独り言を始め、たった今マナコから語られた内容について考察し始めた。
「ならば、光源の有無はもとより関係が無いはずだ。必要ないとならば、他の手段、すなわち音波等の反射を利用しているのだろうか。しかし、全体の形状のみではなく、対象物の細部に至るまでを見分けることが必要な状況、例えば処刑すべき人物を特定する際に難儀するはずだ。キミは、目の前にある物の色や表面の模様などを識別できるのか?」
「はいぃ、それは普通に見えますよぉ。任務の指示書とか、一応は読めなきゃですからねぇ。」
「確かに、その通りだな、紙片の表面に印字された内容を把握できるのならば……あぁ、こうして話している間にもキミに参加してもらいたい実験内容が浮かんでくるじゃないか、リズァーラー特有の色彩の識別についてもじっくり検査をしたい、きっと、また来てくれ、私の研究所に。」
「それはもちろんですよぉ、実験のご褒美がもらえるのなら。」
マナコは、先ほど加工されたばかりの血肉が詰まった瓶を、ポケットの上からさすりながら答えた。
当初の予定ではハリコとマナコを監視する警備兵がついてくる程度だったのだが、科学者ウィトゥスを護衛するための警備兵が更に幾名か追加されたため、管理設備の廊下を移動する一同はそれなりの大所帯となっていた。
靴音を響かせながらゾロゾロと歩き続ける一行の前方に、設備点検の業者がパイプライン前で作業を行っているのが見える。彼は周囲の床一面に工具を並べているため、大人数が通り抜ける隙間が無い。
ハリコのすぐ隣にいた警備兵が一歩前に進み出て、ガスマスク越しの無機質な声で業者へと告げる。
「道をあけろ。」
「あ、は、はい、少々お待ちを……。」
物々しい装備を身につけた警備兵を目の前にすれば、作業員の声に緊張が走るのも無理からぬことではある。
が、彼の視線は、主にこの一団に同行しているリズァーラー……すなわち、ハリコとマナコの方へと向けられていた。定期的に警備兵が巡回するのは常通りであったが、これだけ大勢の警備兵が同時に行動し、さらにリズァーラーまでも引き連れていることはまず無い。
見ている側にも彼の緊張感が伝わってくるような、小さく震える指先で工具を片付けつつも、遂に作業員は耐えかねて尋ねた。
「あの、もしかして、処刑任務、ですか……?」
あくまでも彼の質問は、ハリコやマナコを無視し、警備兵に向かって行われた。人間である以上、この地下都市での市民権を失っていない以上……彼はリズァーラーよりも社会的地位は上である。
今の自分が、人間として振舞うだけの権利を失っていないことを確認せずにはいられなかったのである。人権を有する市民からの質問に対しては、警備兵も最低限ながら返答を怠らなかった。
「違う。」
「で、でも、そのリズァーラーを連れているってことは……この付近にいる誰かを処刑しに向かうところじゃないんですか。」
「これらのリズァーラーは単なる移動中だ、処刑任務は無い。」
「そっ、そうなんですね、いや、最近、同業者が唐突に処刑されたばかりなので、つい不安になってしまいまして……。」
彼が口にしたのはまさに、ハリコとマナコが、シェルやベスタとともに行った処刑任務の事であった。
自分と全く同じ境遇にいる市民が処刑されたとなれば、流石に無関心ではいられないのだろう。見れば、目の前にいる彼も、あの時処刑された作業員と似たり寄ったりな風貌をしていた。
そんな彼に対して警備兵は返事を続けようとしたが、それを遮って笑ったのがウィトゥスである。
「かっはっは!何も悪いことをしていなければ、処刑を恐れる必要などあるまいに!」
「で、ですよね、処刑された作業員は、何らかの犯罪に手を染めていた……ということでしょうね。」
「その通りだとも。ささ、早く道をあけたまえ。あぁ、また帰り道に私はここを通るから、そのつもりで。」
「はい、その時までには作業を済ませます。」
管理業者の眼からは、リズァーラーに加えて数多の警備兵を連れ歩いているウィトゥスが、その老いた風貌も相まって管理局の幹部にでも見えたのだろう。恐縮しきって工具を片付ける手を早め、廊下の隅に身を退いて一同を通した。
ウィトゥスは単に、余計なことで思索と歩行を邪魔されたくなかったため、適当な事を喋っただけにすぎなかったが。
「さぁ、まだまだ話のタネは尽きない。もっと聞かせてくれ、キミたちがいかにこの世を見ているのかについて。出来れば、このままキミたちの住処にまでついて行きたいほどだ。」
「えぇ~?ウチは汚いところですよぉ、謙遜じゃなくて、本当に。」
ウィトゥスの朗らかな口調に返すマナコの言葉を遮り、警備兵が頭を下げて進言する。
「ウィトゥス様、これらが住み着いている下層の排水管内は非衛生的な環境です。進入はお考え直しを。」
「分かっておる、まったく冗談の通じぬ奴らだな。」
そんな会話を賑やかに続けながら去っていく一同。
背後で彼らを見送る作業員の眼には、従順の檻の中に自らを閉じ込めた、小動物のような臆病さだけが浮かんでいた。




