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日の目を見ざるリズァーラー  作者: MasauOkubo
リズァーラーの情報伝達菌糸に関する実験・研究者立ち合い
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人ならざる姿を己自身もまた知らず

「そろそろいいだろう、樹脂も固まった頃だ。顔を上げてもいいぞ。」


 頭部の型を取るため、樹脂で満たされたボウルに顔面を浸していたハリコへ、ウィトゥスが声を掛ける。


 樹脂が固まっている頃だという見立てに間違いは無かったらしく、上体を起こしたハリコの顔には、固形化した樹脂と金属のボウルがそのままくっついていた。


 どこかマヌケな絵面を目の前にしたマナコは、顔面から樹脂が剥がれないことに慌てている相棒を心配することなく、屈託なく笑っている。


「えへへぇ、リコくん、それ前が見えてないですよねぇ、へへぇ。」


「ムー、ンー。」


 ハリコは不満げな唸り声を上げるしか出来ない。マナコの声の近くで、小さい足音が床を幾度も踏んでいるのは、グレッサもまた面白がっているためだろう。


 どうにか顔面から樹脂の塊を引き剥がそうと頑張っているハリコの手を、ウィトゥスは引き留めた。


「おっと、無理やり剥がそうとしてはいけないね。皮膚や眼球まで一緒に剥がれてしまうかもしれない。」


「ムー!?」


「君たちリズァーラーにとっては、そうなったとしても大した損壊ではないかもしれないが、管理局からは次の任務に支障のない状態で帰せと命じられているのだ。」


 言いながら、ウィトゥスはまず容器として用いていた金属のボウルを外してテーブルに置き、ハリコの顔面に貼りついたままの半球型の樹脂を剥がしにかかった。


「焦らなくていいとも、完全に固まりきる前の状態だからね。ある程度の軟性があるから、樹脂を徐々にめくっていけば取れるとも。キミも手伝ってくれ。」


「はぁい。じっとしていてくださいねぇ、リコくん。」


「ンムー。」


 しかし、何ほどのことも無いように語ったウィトゥスの言葉とは裏腹に、ハリコの顔面から型取り用の樹脂を剥がす作業は難航した。


 しっかりと顔面に貼りついた樹脂は、ほぼ力尽くで引き剥がすほかに無い。目の周囲から樹脂を剥がす際など、ハリコは本当に眼球を引っこ抜かれるかと感じるほどであり、彼は渾身の力でまぶたを閉じていた。


 暗闇をコソコソと移動するには向いているハリコの小柄な体は、ウィトゥスとマナコが彼の顔面から樹脂を剥がそうとする力によって幾度も揺さぶられた。


 どうにかこうにか顔の上半分から樹脂を剥がし終え、残るは口元である。ようやく周囲の光景を見ることが出来るようになったハリコが、真っ先に目にしたのはこちらを覗き込むウィトゥスの顔であった。


「うむ、しっかりと樹脂を咥えこんでくれているね。牙の生え方も、型にとることが出来ていそうだ。」


「ンムグ。」


「では、出来るだけ口を大きく開けるように力を入れてくれたまえ。キミの歯が引っこ抜けることが無ければ、問題なく外れるだろう。」


 言われた通り、ハリコは顎を可能な限り全開にする。


 人間に筋力で劣るリズァーラーが、唯一の武器とする顎の咬合力はさすがに十分なものであり、一番外側に生えている大顎の牙はすんなりと樹脂の型から外れた。


 が、ようやくハリコの顔面から樹脂を剥がすという重労働から解放された、とばかりに油断したマナコが樹脂の塊をハリコの顔から遠ざけた時、ハリコの口の中から何かが引っ張り出される。


「じゃあ、これで樹脂は全部剥がれましたね……あっ。」


「ンガ!?」


 彼女は大して意識してなかったが、ハリコの口腔内には第二の顎が存在し、それはまだ樹脂の型から外れてはいなかったのだ。


 喉の奥から肉を引っぱり出されるような感覚を覚えたハリコはしばらく苦しそうな唸り声を上げていたが、こちらを見つめるウィトゥスとマナコの顔に好奇心がありありと浮かんでいることに気づく。


「ほぉ、その内側の顎は、そんなにも前へと展開することが出来るのか。」


「リコくん、今までやった事なかったですよねぇ、それ。」


 ハリコも自身の口元へと、見づらいながらも視線を向け、そして顔をしかめた。


 常に自分の口の内側に収まっていた第二の顎が、樹脂の型に嵌まったまま引っぱり出され、完全に口の外側へと出てきてしまっている。


「ムグ……!?」


「本人にとっても驚きの構造、ということか。自身の身体構造を把握しきっていなかった、というわけだね。」


「ですねぇ、私もリコ君が普通に顎を開け閉めする所しか見たことないですし。」


 当惑の色ばかりがハリコの目に浮かんでいる様を見たウィトゥスは、興味深げにそのハリコの口の中から引っ張り出されている第二の顎を眺めている。


 マナコと、ついでにグレッサもじっとハリコの口元を見つめているが、こちらは単に珍しいものを面白がっているに過ぎない反応であった。自分の体が、思いもよらぬ変形を行っているのが気持ち悪く、ハリコは第二の顎を樹脂から引き剥がす。


 自分自身が経験したことの無い動きだったため、ぎこちないながらもどうにかハリコは第二の顎を開き、樹脂の型から外した。


「面白いですねぇ、口の中から別の口が飛び出してくるなんて。シェルさんとかに見せたら笑ってもらえるかもですよぉ。」


「ウゥ゛ー……。」


 一度飛び出した第二の顎を引っ込めるのも初めての経験であり、ハリコは喉の奥から徐々に力の込め方を変えて動かし、それを口の中にどうにか収納した。


 単に面白がっているだけのマナコとは別に、ウィトゥスは科学者らしく、ハリコの口の動き方を観察していた。


「ふむ、珍妙だが、生物学的には有り得ない構造ではない。特に人間からかけ離れた形状へと口が変化したリズァーラーの場合、口の中に含んだ食物を移動させるための舌が存在しないだろうからな。」


「舌……人間さんが食事する時に使うんですかぁ?」


 マナコは、初めて聞く言葉をウィトゥスへと聞き返す。


 口元が人間のものから大きく変異していないマナコにも、口の中に舌はある。とはいえ、専ら栄養摂取を指先などの体表から行うリズァーラーは、舌を食事に用いることがない。


「あぁ、生きている人間ならば、舌を使って食物を噛みやすい位置に動かし、或いは飲み込むために奥へと運ぶことが出来る。しかし、このリズァーラーのように……」


 リズァーラーの名前などいちいち覚えるつもりはない様子のウィトゥス。


 ようやく樹脂の型取りから解放されて、やれやれと顔面をさすっているハリコは唐突にウィトゥスによって顎を掴まれ、無理やり開かされた。


「ングァ。」


「口が大きく変異したため舌も消失していれば、口の奥へと食物を移動させる手段が別に必要となる。そのため、主に咬合に用いる顎とは別に動く、内側の第二の顎が前にせり出し、食物を噛んで喉の奥へと引っ張り込む構造が存在することは十分に合理的だ。」


 ウィトゥスは無理やり開いたハリコの口の中から、再び第二の顎が伸びて出てくるのを期待するようにじっと覗き込んでいた。が、ハリコはつい先ほど、初めて自分の第二の顎が前へと伸びることを知ったばかりである。


 思うがままに動かせるはずもなく、彼は面食らったように目を白黒させるばかりであった。それでも興味深そうに観察の眼を輝かせているウィトゥスの背後から、マナコは口を開く。


「けど、私たちリズァーラーは皮膚から養分と水分さえ吸収すればいいんですけどねぇ。人間さんみたいに歯で噛んで、食べ物を口から飲み込むなんてことはしないんですけどぉ。」


「あぁ、確かに、菌類としての特徴を有するリズァーラーには、食料を咀嚼し飲み込む構造は必要ない。だが、このような形状、元となった人間の遺体には存在しない形状へと変異しつつあるということは……これは進化ではないか?そうだ、生きとし生けるものが地上から姿を消し、地下で暮らす現代において、人体が新たなる存在へと進化の兆しを見せているのだ!」


 急に口数が増え、早口で独り言を呟き始めたウィトゥス。


 彼の手で顎をがっしりと掴まれたままのハリコは顔を動かせなかったが、そうでなければマナコと当惑の表情を浮かべた顔を見合わせていたことであろう。


 代わりにマナコはグレッサと目を見合わせていた。常よりウィトゥスと共に過ごしているグレッサの方は、この老科学者の振る舞いに多少慣れているのか、苦笑にも似た色を目に浮かべてマナコを見返した。


「えぇとぉ、それは、すごい発見なんですかねぇ。」


「まだ、まだ確定ではないがね、しかし、もっとじっくりと観察できれば、人間以上に現代へ適応した種への進化を、実証できるやもしれん。あぁ、時間の制約なく、キミたちを研究対象にし続けることが叶えば……!」


 ウィトゥスは相変わらず興奮した状態で、マナコからの問いかけに答えているとも、独り言を言っているともつかない言葉を吐き続けている。


「へぇ、よく分かんないですけどぉ……その発見が、社会の役に立てばいいですねぇ。」


「役に?役に立つかだと?知った事ではない、役に立つか否かなど!良いかね、探求というものは役立つ目途が無かろうと、真理を求める心の逸るままに為すべきなのだ……」


 そこまで喋ったウィトゥスは、ふと冷静さを取り戻したように口を閉じる。


「……。」


 彼の顔へと、グレッサが沈黙したまま、今までの彼女が見せたことの無い鋭さを含んだ視線を向けていた。


「あぁ、分かっているとも、グレッサ。まったく、研究予算を握られている立場では、迂闊な事も言えん……。」


 ウィトゥスは、マナコ、そしてハリコの顔へと視線を向ける。目の前にいるこのリズァーラー2名が、市民生活管理局に所属しており、処刑任務の担当であることを改めて思い出したようであった。


 マナコとハリコ自身には、地下都市のリソースを無意味なことに浪費する存在を見つけたところで、独断を下すことは出来なかったのだが。


「あー、そうだな、いずれこの地下空間へと適応する手段を見いだせれば、より少量のリソース消費で社会を維持する役には立つかもしれんな。管理局から提供される検体を、今後も有効活用していくつもりだとも。」


「なるほどぉ、私たちには難しいことは分かりませんけど、応援してますねぇ。」


「ウーウ。」


「あぁ、またいずれ時間を取れれば、ぜひウチの研究所へと来てもらいたい。研究の種は尽きんのだ、キミたちについては……さて、褒美として、新鮮な死体が欲しいんだったね。」


 ウィトゥスが約束通りに褒美を渡してくれることを知り、ハリコとマナコは先ほどまでの当惑も吹き飛んで目を輝かせた。


 新鮮な死体をウィトゥスが保管している場所までは、さして歩かされることもなかった。今まで通された研究室にたどり着くには、広大な研究施設内を延びる長い廊下を移動する必要があったものの、死体の保管所へのアクセスだけは容易な構造となっていた。


 それは研究施設のどこに居ても実験用の死体を確保するためでもあれば、保管所が相応に広かったためでもあっただろう。


「ここだ、降りてきたまえ。」


 多少薄暗くなった照明の中、下階へと階段を下りていった先にその空間はあった。


 一定間隔で柱が並んでいる広大なエリアに、数え切れないほどのベッドが並んでいる。その殆どには人間の身体が寝かされており、状態を保存するためか、傍らの機器から伸びたチューブがその体内へと接続されていた。


「ざっと百体は揃っておる。研究用の体は別に取ってあるから、好きなのを持っていけばいい。」


 人間の価値観からすれば異様な光景であった。


 ベッドに寝かされている体の中には、生きていた時に着ていた被服がそのままで、つい先ほどまで何の変哲もない日常生活を送っていたばかりのような状態のものもある。接続されたチューブからは空気が送り込まれているらしく、単に深い眠りについているように胸部が上下している体もあった。


 ハリコとマナコは、新鮮な死体という看板に偽りなき光景を前にして、ますます表情を明るくしていた。


「たしかに、腐りかけたりしてないですねぇ、どれも新鮮です。まるで、まだ生きてるみたいに。」


「腐敗しては研究対象にならんからね。たしかに、生態的にはまだ生きているとも言える状態だとも。」


「あれ?死体じゃないんですかぁ?」


「脳はすでに破壊されている、人間としては死んでいるも同然だ。この状態で保存しなければ、新鮮さを保つのは難しいからね。」


 いくつか触れてみれば、それらは生きている時と同様に体温を有している。単に眠っているだけの状態にも思えるそれらの身体を、ウィトゥスは死体と称したのだ。


 とはいえ、リズァーラーであるハリコとマナコにとっては、この上なく喜ばしい贈り物である。まるでご馳走の並ぶビュッフェに招かれた子供のように目を輝かせて見回し、二人は揃って健康的に肥えた男の身体を指さした。


「じゃあ、あれがいいです!」


「ウー。」


「おぉ、丁度良かった。早めに処分するようにと管理局からお達しのあった身体だ。なにぶん皮下脂肪の多い身体は実験に不向きでね……だが、キミたちが食べてくれるのなら、丁度良い。」


 貧困層ではあり得ない肥満体の男は、おそらく富裕層に属する何者かであろう。社会構造の中でも上位に座する人間が死体として処理される必要があるということは、相応に厄介者扱いされていたと推測される。


 ウィトゥスはベッド脇の装置に向かって操作を行い、肉体を維持するための空気や栄養を送り込んでいたチューブを外す。ハリコとマナコは常に持ち歩いている死体袋を取り出そうとしたが、科学者はそれを制した。


「いや、ここで養分液に加工するほうが持ち運びやすいだろう。実験に協力してくれた礼だ、瓶詰めの状態で持ち帰ってもらおう。」


「本当ですかぁ!いやぁ、何から何まで、ありがとうございますぅ。」


「ウゥウゥ。」


 無邪気に喜んでいるハリコとマナコの脇では、自動的に動き出したベッドが壁面に開いた小部屋の奥へと進んでいく。ほどなく、遺体の破砕機が高速回転し始めるモーター音が響き、粉砕された血肉がタンクの中を満たしていった。


「へぇ、ここの施設にも、遺体の細断機があるんですねぇ。」


「我が研究はリズァーラーを対象としているからね。グレッサやデリク、その他にもリズァーラーに摂取させる養分液を生産する必要がある。」


「うらやましいですねぇ、ウチには手動の細断機があるだけですからねぇ。キメ細かい養分液は、なかな作れなくって。」


「今後も、我が研究所に足を運んでくれればいい。実験に参加してもらえれば、その度に上質な養分液をご馳走してあげよう。」


 ウィトゥスは、まるで孫をいつくしむ老人のようなまなざしでハリコとマナコを見やり、穏やかに微笑んでいた。

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