進化の軌跡を紐解くは菌糸
老科学者ウィトゥスが実験室に籠っている間、ハリコとマナコは外で待たされていた。
「まだ、帰っちゃダメなんですかねぇ。今回の任務は、科学者様の指示に従うことって話でしたけどぉ。」
「ウー……。」
待たされるだけの退屈な時間も、顔全体を覆うフードの下で唸り声をあげることしか出来ないハリコでは、雑談相手にもなれない。
二人を案内する役目をウィトゥスから与えられているグレッサも同じく居合わせていたが、こちらも口の存在すべき箇所が皮膚で完全に覆われており、言葉を発することは出来ない。
マナコは器具でまぶたを全開のまま固定された左目をキョロキョロさせ、何か退屈しのぎになる物はないかと探していたが、清潔な廊下が整然と並ぶ照明の光とともに延びているばかりである。
とはいえ、こんな状況でも静寂を静寂のままにしておけないのがマナコであった。
「そういえば、グレッサちゃん。」
「?」
物理的に口を開けないグレッサは、返答がわりにマナコへと首を傾げる仕草を見せる。
「グレッサちゃんは、ここの研究施設でのお仕事が長いんですかぁ?」
「……。」
首を横に振るグレッサ。
「じゃあ、ここに来たのは割と最近なんですねぇ。その前までは、何をしておられたんですかぁ?」
「……?」
再びグレッサは首を傾げたまま、しばらく固まっていた。やがて、今度は小さく首を横に振る。
「覚えてない、ってことですかねぇ?」
「……。」
今度は、グレッサの首は縦に振られた。
それはリズァーラーという存在の特性上、十分に予測し得る反応ではあった。人間の遺体に胞子が入り込み、繁殖した菌糸が筋繊維や神経組織等の機能を代替することよって活動しているのがリズァーラーである。
人間として生きていた頃とは全くの別物であり、以前までの記憶や人格などは当然ながら残っていない。
「つまり、グレッサちゃんがリズァーラーになったのは、つい最近ってことになりますねぇ。」
「……。」
グレッサは相変わらず首を傾げたまま、マナコの喋りに付き合っている。その表情には、語り掛けてくる相手の真意を理解しかねた困惑ばかりが浮かんでいた。
「いやぁ、大したことじゃなくってですねぇ。でも私、なんだかグレッサちゃんに、以前どこかで会ったことがあるような気がしてましてぇ。」
「……?」
「でも、リズァーラーになったのがつい最近のことなら、私の思い違いでしょうねぇ。」
以前、ハリコとマナコだけに任ぜられた、下層にて窃盗を行っていた母娘の処刑任務。
あの任務にシェルとベスタも参加していれば、そしてこの場に彼らも居合わせていれば、マナコが述べたのは決して思い違いではないということに気づけたであろう。グレッサのルビー色の瞳、そして多少色褪せてはおれど髪の色にいたるまで、あの任務で処刑された少女のものとそっくり同じだったのだ。
が、マナコはもちろん、ハリコもまた過去の記憶をあまり詳細に考察する類の性格ではなく、やがて実験室から満足げな表情を浮かべながら出て来たウィトゥスによって、この会話は中断された。
「あぁ、待たせて済まないね、君たち。いやはや、有意義な発見であった。やはり純粋なリズァーラーとの交流は、私の研究に新たな活路を見出してくれる。」
「はぁ、よく分かりませんでしたが、お役に立てたようでなによりですぅ。」
「役に立ったもなにも、おかげで私の立てた仮説が、より確かなものであると確認されたのだ。今後は実験に用いる検体にも、更に具体的な注文をつけねばなるまいな……」
ウィトゥスは自身の灰色の髭をたくわえた顎をしきりに擦りながら、なにやらブツブツと独り言めいた内容を呟きながら廊下の向こう側へと歩いていく。
ついて来いとも何とも言われなかったハリコとマナコはボンヤリと老科学者の背を見送っていたが、間に入ってきたグレッサが二人の腕を引っぱる。ウィトゥスが自身の中の考えをまとめるのに夢中で、指示を出し忘れているのであろうことを彼女は察せたらしい。
「あ、私たちも、ウィトゥスさんについて行ったほうがいいですかぁ?」
「うん?おっと、そうだった、純粋なリズァーラーは命令した通りにしか動かんのだったな。では、私についてきてくれ。あと一つ、協力してもらいたい実験がある。」
「はぁい。」
命令した通りのことしかやらない、というのも確かにリズァーラーの特徴ではあった。
ハリコとマナコの場合は、単に察しが悪かっただけかもしれないが。
普段から満足な話し相手を得ていないためか、あるいは一人きりの時も同様なのか、施設内を歩いて移動する間もウィトゥスの語りが止むことは無かった。
「いやはや、許されるならば君たち純粋なリズァーラーについて、時間的制約を気にすることなく研究を続けたいのだがね。」
「そうなんですかぁ。とはいえ私たちにも、処刑任務というお仕事がありますからねぇ。」
「分かっていたとも、前々から。いくらでも金は積むから買い取らせてもらえないかと管理局に幾度か頼み込んだのだが、連中も頑として手放す気が無かったのだ。」
「えぇと、買い取らせて……ってのは、何をでしょうかぁ?」
「もちろん、キミたち2名のことだとも。キミたちは、よほど優秀なリズァーラーとして管理局に気に入られているようだな。」
「なるほどぉ。嬉しいもんですねぇ、評価していただいてるんだと知れるとぉ。」
マナコはのんきに応答していたが、彼女の傍らでハリコはその視線にますます警戒の色を宿らせていた。
人権を持たないリズァーラーは、運用する側の思惑次第でいかようにも扱われる。不要と判断されれば廃棄ないし廉価で売却されることもあるし、高額での買収を提示されれば手放されることもある。
仮に自分たちが管理局に重宝されておらず、この科学者の元へ売り払われていたら、散々実験のために使い潰されたあげく解剖されてしまっていたかもしれない。
元来リズァーラーというのは水分と養分さえ与えていれば文句を言わない連中とされていたが、そこまで憶測を巡らせたハリコは、実験体として扱われることをきっと自分は受け入れ難く感じるだろうと考えた。
「ここだ、入りたまえ。」
ウィトゥスは歩調を緩めることなく一つの扉を引き開け、別の実験室の内部へと入っていく。
後について入っていったハリコたちは、部屋の壁面の棚に数多くの頭蓋骨が並んでいる様を目にする。余りにもムラの無い白色で出来上がったそれらは、単なる標本であったかもしれないが。
「私は、純粋なリズァーラーが引き起こす、身体の変異にも興味があってね。」
語りながら、ウィトゥスは大きな金属のボウルの中へ、何やら粘性の液体を注ぎ入れている。
「この研究所で私が遺体に菌糸を植え付け、意図的に変異を促したリズァーラーには、生前の体型から大きく離れた骨格になる者が居ないのだ。多少は変わる者もいるがね。」
棚に並んでいる頭蓋骨の標本の中には、確かに多少人間の頭部から形が歪んだようなものも見られる。しかしハリコのように、大幅な変異を来たしたものは無かった。
目を丸くして無言で室内を見回しているハリコの代わりに、マナコが答える。
「たしかに、そうみたいですねぇ。さっきからずっと一緒にいるグレッサちゃんも、口が皮膚で覆われてる以外は人間とあまり変わらない姿ですしぃ。」
「あぁ。生前と近しい姿になることには納得いくのだ、本来の人間の身体を模倣すれば、いくら損壊していてもリズァーラーは組織を再構築できるからな。だが……あぁ、キミ、その覆面を取ってくれ。」
「ウゥ。」
ウィトゥスに促され、ハリコは顔を覆っているフードを取った。
人間同様の皮膚が残されている目元以外は、殆ど骨格が露出したような頭部が露わとなる。人間の前歯の十倍近くはあるだろう牙、そしてそれが植わるに相応しい厚さを有する顎を目の前にして、ウィトゥスはますます興味深げに目を細めた。
「そう、この形状が謎なのだ。リズァーラーとしての活動を開始する際、すでに人間ではない姿で固定されているならば、いったい何の形状を模倣したことになるのだ?」
「ウー?」
問われたところで、ハリコ自身がそれに答えられるはずもない。マナコなどは、そもそもウィトゥスの発した問いかけの意味すら理解できない。
ハリコが剥き出した鋭い牙は威圧的な外観であったが、ウィトゥスはますます目を近づけ、ハリコの顎の一端を掴んで無理やり開閉させる。ハリコは不愉快そうに唸りながらも、科学者の手にいじくられるに任せていた。
「見れば見るほど、既存のいかなる生物にも類似していない。下顎が左右に分かれて別々に動くだけでなく、内側にさらに小さな顎が存在するのか。大昔……すなわち人類がまだ地上で生活していた頃には、似たような骨格を有する生物もいたかもしれんが……」
「ウ゛ゥ゛。」
「あぁ、すまない、サッサと済ませたほうがいいだろうね。このボウルの液体の中に、顔を浸してくれ。」
先ほど粘性の液体を注ぎ入れていた金属ボウルの中を、ウィトゥスは指し示す。
人間に命令されたこととはいえ、得体のしれない液体の中へ顔を突っ込むことについてはハリコも強い警戒感を示した。暫し固まったまま、くすんだ緑色の粘液が溜まっているボウルを見つめているハリコに対し、ウィトゥスは言葉を継ぐ。
「心配しないでいい、これは型を取るための樹脂だ。顔面を浸したまま、しばらく待てばそのまま固まる。私の研究のため、キミの顔の標本を作っておきたいだけだ。」
「ウー?」
「大丈夫、毒性は無い、固まったら君の顔から簡単に剥がれるさ。顔面を浸している間、呼吸は出来ないが……キミたちリズァーラーにとって、そもそも呼吸は必要ないのだろう?」
「ウン……。」
それでもハリコは多少の躊躇いを見せたが、周囲からの妨害に気を向けねばならない普段の処刑任務よりは楽だと考え直し、意を決して粘液の中へと顔を突っ込んだ。
「しっかりと樹脂を口の中にまで含んだ状態で、動かさないでおいてくれたまえ。口腔内の牙の生え方についても、記録しておきたいからね。」
目を閉じた真っ暗な状態で、ウィトゥスの声だけが耳に届く。
慣れない状況の中、もごもごと口を不器用に動かしているハリコの隣で、マナコの小さな笑い声が聞こえる。その声が向けられているのがハリコではなく、小さな足音の持ち主であるところを聞くに、彼女は早くも現状に飽きてグレッサに構っているのだろう。
自分の顔面の型をとる樹脂が固まるまで、身動きが出来ないまま、ヒマつぶしすら許されない体勢を続けることをハリコは今さらになって覚悟した。
「ところで、ウィトゥス博士、ちょっとお伺いしたいことがあるんですけどぉ。」
マナコの声があちらこちらへと揺れ、その近くでトタトタと軽いグレッサの足音が鳴っている。
グレッサとなにがしかの遊びを続けながら、マナコはウィトゥスに質問しているらしい。ずいぶんと気の緩んだ態度であったが、マナコもウィトゥスもそれを気にする類の性格ではない。
「なんだね?」
「私たち、いつも任務を受けた際は、養分液をごほうびとして頂いてるんですよぉ。ほら、処刑した市民の遺体を引き取って、それを加工してですねぇ。」
「ウム、知っている。今回の、私の実験に協力するという任務に対しても、報酬が欲しいということだね。」
「はいぃ、ご用意いただけるなら、ぜひぃ。」
「構わないさ、今日も新鮮な死体が研究所に届く。実験に適さないものはどうせ地上へと捨てることになるから、好きなものを持っていくと良い。」
今日“も”新鮮な死体が届くということは、毎日のようにこの研究施設には人間の死体が提供されているということになる。
ハリコとしては、自分たちの処刑任務の他にも市民の死体が出る状況があることが多少気にはなったが、マナコはウィトゥスからの芳しい返事にただ喜ぶばかりであった。
「わぁ、ありがとうございます!今から楽しみですねぇ、リコくん!」
「ンムー。」
ハリコはいつも通りの唸り声で返事したつもりであったが、まだ固まり切らない樹脂の中に浸けた口元からは籠った音が出ただけであった。




